■ 姫と悪魔と睡魔
「姫、今日は『お泊まり会』じゃないんだ。睡魔が酔って寝てしまったから『仕方なく置いてやってる』だけなんだよ」
あくましゅうどうしは事情を説明をするが、姫はお構いなしに持ってきた枕のひとつを部屋の奥のベッドに置き、もうひとつを睡魔の頭の下に無理やりねじ込んでいた。もちろん睡魔は起きない。姫のテキパキと動き回る様子に帰る気はさらさらないのだと悟る。
「レオ君。『置いてやってる』イコール『お泊まり』だよ」
「まぁ……それはそうなんだけど。そこは気持ちの問題じゃないかな……。『お泊まり会』ってもっと楽しいものだと思うし」
「もちろんきっとそう。そして『パジャマパーティー』とは違う楽しさがあるはず! 似て非なる楽しさ。その先に、格別の睡眠があると思うの!!」
「あるかなぁ!?」
なかば確信めいた姫の思考にあくましゅうどうしは頭を悩ませる。そもそも『お泊まり会』とはなんだ? パジャマパーティーはお気に入りのパジャマで恋愛の話しだとかを盛り上げて楽しむ会だが『お泊まり会』とは?
「…………」
「…………」
あくましゅうどうしと姫は顎に手をかけ首を傾げた。
「……って、もしかして姫もお泊まり会の仕方がわからないのかい?」
「うん」
当たり前のように返事をする姫に対し、あくましゅうどうしはガクッと肩を落とした。しかし知識がなくともわかることは『お泊り』すなわち『この部屋で姫が寝る』ということだ。それだけは何があっても許されない。
「姫、何回も言ってるけど私の部屋で寝るのはダメだよ?」
「どうして? お泊まり会なんだからお泊まりしなきゃ意味ないでしょ?」
「それはそうなんだけどぉ……っ!」
異性の部屋で寝ることに対して姫には危機感というものが無さすぎる。常々、口を酸っぱくして言い聞かせているのだが効果があった試しがない。
あくましゅうどうしが頭を抱えているのをよそに、姫は睡魔の肩を叩く。
「ししょー。ししょー、起きてー」
バシンバシン。
「ししょおぉー」
バシバシバシ。
叩く手が徐々に勢いづく。姫に容赦はない。
「……ぅんん
…なんだ……、姫じゃないか……」
無理やり起こされた睡魔は寝ぼけ眼で姫を見やり「よく来たなぁ」とへらりと笑った。姫が膝を折って睡魔に目線を合わせる。
「ねぇ、師匠。『お泊まり会』って何すればいいの?」
「んん
? ……お泊まり会?」
「そう。お泊まり会。今日は私とレオ君と師匠でお泊まり会するの」
「そうかぁ」
「うん」
「ははは」「えへへ」と緩い空気に「『そうかぁ』じゃないよ!」と焦ったあくましゅうどうしがすかさず口を挟む。
「睡魔、姫が泊まろうとしてるんだから止めるべきだろうっ」
怪訝な顔で詰め寄るが、睡魔は相変わらず眠そうにダラけているままだ。
「ひめぇ、『お泊まり会』って言ったら、こうしてとりとめのない話をしながら眠くなったら一緒に寝るだけだ
」
「とりとめなくないよ!?」
「なるほど!」
睡魔の言葉に姫は立ち上がりキッチンへ向かった。手際よく茶を三つ用意してテーブルに運ぶと、あくましゅうどうしの腕を引っ張り椅子に座らせる。
「え、ちょっと、姫?」
「師匠はあっちで転げてるから、レオ君はこっち。私はこっち」
三人で小さなテーブルを真ん中に囲う。机の上には先ほどの魔界通販雑誌が開きっぱなしで、姫はそれを覗き込んだ。「ほうほう」と頷きながら印の付けられた寝具を指差す。
「レオ君これ買うの?」
「え、え……いや、その」
「誰のお布団?」
「あ……う、うん。睡魔の……というか、なにかあった時の客人用というか……」
実際、ここに寝に来るのは睡魔くらいしかいないのだが、本人を前にして正直に口に出すのは思いの外、恥ずかしい。あくましゅうどうしは言葉を濁した。
「せっかくならベッドがいいよ、ダブルベッドにしよう! ねぇ師匠もそう思うデショ?」
「おれは寝れればなんでもいいぞぉ
」
「あ、でも私も一緒に寝るからやっぱりキングサイズがいいね!?」
「いやいや! 一緒に寝ないし、しかもそんな大きなベッドこの部屋に入らないよ!」
住居スペースがベッドに侵略され、部屋がまさに寝るためだけの場所となってしまう。さすがに勘弁してほしい。
「ちょっと一日寝るくらいなら敷布団敷いたら充分だと思うから、これでいいんだよ、姫」
「ね?」と困った顔で笑うと、姫は「ぬうぅ……」と鳴いた。
──それから結局一時間ほど『とりとめのない話し』をしているうちに、睡魔はいつの間やら眠ってしまった。(恐らくものの十分も起きていなかった)あくましゅうどうしも寝るつもりでいたところを姫の騒ぎで起きていたので、時が経つにつれ抗い難い眠気に襲われる。楽しそうな姫の手前、何度も欠伸を噛み殺していると姫が顔を覗き込んだ。
「レオ君、もしかして眠たいの?」
「そんなことないよ。まだ大丈夫」
「でも、お目目うるうるしてる」
「え。そ、そう……かな?」
(あぁ。欠伸を我慢すると涙が出るのは何故だろう。姫はまだ話し足りないだろうし……。正直、私もまだ姫と一緒にいたい)
初めこそ追い返そうとしていたはずが、いつの間にやらほだされている。惚れた弱みというやつか。あくましゅうどうしは目を擦った後に笑顔を取り繕った。
「今日はお酒を飲んだから目が充血してるのかも」
「ほんと?」
「本当だよ」
「ふーん?」
大きな瞳であくましゅうどうしを見つめる。
「ほ、本当に本当だよ?」
王族の証である星の瞳。まっすぐ向けられた眼差しに心の隅々まで見透かされそうだと思った。
「そっかぁ。じゃぁ──…、寝よう!!」
「うん……。──うんンッ!?」
姫は勢いよく立ち上がり、部屋の奥、ソファの後ろにあるベッドへ足早に向かう。毛布を引っ張り出したせいで無造作になったままの掛け布団の上に『バフンッ』とダイブすると壁側へ寄り、開けたスペースをぽんぽん叩いた。
「レオ君早く」
「へぁっ!?」
・*.°
あくましゅうどうしは尻尾の先まで固まった。姫につられて思わず立ち上がったが、呪われたように動けない。
──…ベッドに誘われている? ……? …………??
悪魔の性なのか、男の性なのか。不覚にも邪な考えが一瞬だけ頭をよぎる。
あくましゅうどうしはまさかまさかと頭をブンブンと振って正気を保つ。忘れてはいけない、近くのソファには睡魔が眠っているし、姫がそんな意図があって自分なんかを誘うわけがない。
「お布団でゴロゴロしながらお話ししたら、いつ寝ても大丈夫だよ」
姫は名案だと言わんばかりにニコニコしている。
純粋な少女に何を想像したのか。
「だ、だから! それは……ダメだってば」
あくましゅうどうしは真っ赤な顔で首を激しく横に振った。
「ぬぅ」
あからさまに拒否をされると姫であれ傷つく。
ベッドから降りてあくましゅうどうしの手をとり引っ張るが、彼は断固として動かない。
「レオ君来て」
「無理だよっ」
「ぬうぅう!」
「ひめぇ! 私は床で寝るから!」
「なんで? このベッドはレオ君のなんだからレオ君はベッドで寝るんだよ」
押し問答を続けていると、とうとう睡魔がとろんと目を覚ました。頭上で騒いでいる弟子と友人。寝転びながら頭の後ろで手を組み、見上げて口を開く。
「今度はなんだぁ?」
「師匠。レオ君が床で寝るって言うの」
ぐいぐいと腕を引っ張りながら姫が怒っている。
「レオ
、寝るときはベッドで寝ないとダメだろう」
「ところ構わず寝てるお前に言われたくないよ!」
「ん? あぁ、確かに」
睡魔に気を取られている隙に、姫はあくましゅうどうしの背後に回り込み背中を押す。ベッドは目の前だ。だが許してなるものかと全力で振り返り、あくましゅうどうしはソファの背もたれの縁を両手で掴んだ。
「そうだなぁ……。じゃぁ、俺がそっちで姫と寝るからお前さんはこっちで寝るといい」
「ぬ?」
「は?」
思いもよらない一言に、あくましゅうどうしの顔色が黒々とした憎悪に変わる。
「そ
ら、仕方ない。譲ってやろう」
睡魔は毛布を肩にかけたままゆっくりと起き上がり意地悪く笑ってみせた。姫からは二人の表情が見えない。あくましゅうどうしが睡魔を睨みつけながら手を震わせると、ソファに使われている木材がピシッと音を立ててひび割れた。
姫はその間もあくましゅうどうしの服を引っ張っていたのだが、とうとう疲れてしまったようで、大人しくベッドの上へとひとり寝転ぶ。
あくましゅうどうしが「冗談じゃない!」と叫ぼうとした口を、睡魔は手のひらで塞いだ。
「冗談に決まってるだろう」
すかさずその手を払いのけ、あくましゅうどうしは睡魔の頬を両手で強く左右に引っ張った。
「冗談じゃなきゃ呪ってる」
危うく友人の呪詛人形を作ってしまう所だった。
悪趣味な戯れに腹を立てながら冗談であったことに安堵する。
「なぁ、レオ。よく聞け」
「なんだよ」
睡魔が耳元に口を寄せ囁く。
「──据え膳食わぬは男の恥だぞ……?」
「──…!!?」
あくましゅうどうしがバッと振り返ると、姫がベッドの上で仰向けに寝転びながらこちらを見上げていた。うとうとと眠そうな目でこちらを眺めているのだが、それが物欲しそうな顔に見えなくもない……。
すでに体力と精神力の限界を超えていたあくましゅうどうしは目眩を覚えてふらついた。
(もう、このまま全てを手放してしまおう。そうしよう。今日はもう私だって疲れたんだ……)
『ボンッ』と顔から火を吹き意識が無くなったあくましゅうどうしの身体を、睡魔が軽くポンと押す。目を回している彼の身体はうまい具合にベッドへと横たわった。
「……ぬ? レオ君、ちゃんとベッドで寝てえらい。良い子」
姫はうなされる悪魔の頭を優しく撫でる。
睡魔はその様子を見て静かに微笑みを浮かべた。
自分にとって大切なものを大事に扱われるのはやはり嬉しいものだ。
「姫も早く寝るんだぞ
」
「うん、師匠おやすみ」
「おやすみ」
睡魔がパチンと指を鳴らすと、三人が眠る部屋の灯りはゆっくりと消えいった──…。
・*.°
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