■ 人魚姫より眠り姫
「えぇっ!?」
さっきゅんが叫ぶ。姫といっきゅんはそれぞれ目を見開き、あくましゅうどうしは面倒なことになったと言わんばかりに、こめかみに片手を添えて、控えめに頭を振った。
「え……ど、どうしてひめドラゴラが姫に……え? え?」
ぐるぐると目を回して足元のおぼつかないさっきゅんの身体を、いっきゅんが支える。タソガレはあくましゅうどうしに目配せをし、デスクにある魔法薬瓶を一つ、三人の前に持って見せた。
「ひめドラゴラが姫になってしまった原因は、恐らく『コレ』だ」
「……ポーション?」
姫が手に取る。瓶は細身で内容量が少ない。天井の灯りにかざすと、ガラス越しに、中の液体が揺れて見えた。
「これは『人魚の涙』だ」
「人魚の涙?」
「簡単に言えば『変身薬』だよ」
落としてはいけないからと、あくましゅうどうしが姫から瓶を受け取る。
【変身薬/別名:人魚の涙(失敗作)】
効果 :人間になれる。
副作用 :声が出せなくなる。
製作目的:先代魔王・ウシミツの代で製作された。人間界城内への潜入捜査用に作られたが、人間になると声が出せなくなるため失敗作として扱われる。その後も試行錯誤されたが完成には至らず、現在はシルモスの手に渡り研究中の代物。
「──…昨夜コレがひとつ、何者かに盗まれた。恐らく……」
タソガレの説明が終わると、視線がひめドラゴラに集まる。確かにこの中に彼女の声を聞いたものは誰一人として居なかった。今も喋る素振りは微塵も感じらず、朗らかに笑顔を浮かべているだけだ。その笑顔は姫がマンドラゴラの副作用で『性格がふんわり』していた時に似ているようにも見える。盗まれたタイミングといい、人間になった時の姿が姫になることといい、犯人は彼女で間違い無いだろう。
さっきゅんがひめドラゴラの手を強く握り、一歩前に出た。
「え、ど、どうするんですか? 解毒薬は……」
いくら押し付けられたとは言え、毎晩共に寝るほど仲良くしていたのだ。このまま元に戻らなかったらと、声を震わせる。
「まだ、ない。この薬自体が未完成品なのだ。完成しないと、『解除薬』は作れない」
「そんなぁ……」
うがぁ〜と鳴いて落ち込むさっきゅんの頭に、いっきゅんが手を添える。先ほどからさりげなく妹を気にかける素振りに、タソガレは少々、意外性を見出していた。ひめドラゴラの世話もしていたようだし、サボり魔だが、面倒見はいい男なのかもしれない。……サボらなければ、完璧なのに。
隣で同じようなことを考えていたあくましゅうどうしが、タソガレの言葉に説明を付け足す。
「大丈夫だよ。『毒』じゃなくて、あくまで『薬』だから。身体から成分が抜け出れば元に戻るよ」
そう、毒であれば徐々に身体中の組織を侵食していき最悪不調をきたすものだが、その心配はいらない。しかも声を出せないと普通なら困るものだが、ひめドラゴラに関しては元より言葉は使わない魔物だったため、そこまで深刻な問題はないだろう。それでも、心配そうにしている妹が可哀想なのか、いっきゅんは視線を寄越した。
「これが解けるまで、どのくらい掛かるのか分かるか?」
あくましゅうどうしが遠い記憶を遡る。
「確か……研究資料には魔物の個体差はもちろん、服用した時間帯や環境……その時々で変わると書かれてたかな。それも兼ねての失敗作なんだと思う。量産できるものではないから実験結果も多くは無かったし……、色々と不安定なままなんだ。……とりあえず、戻るまでどこかでじっとしててもらわないと」
普段から手癖の悪さもある。放っておけば何も知らない魔物達に、思ってもみない被害が及ぶかもしれない。しかも姫の格好で本来の姿の時のように、勝手に城内をうろちょろされては困る。まだ一日は始まったばかりで各々(いっきゅんは怪しいところだが)業務が待っている中、四六時中監視するには人手不足だった。
「──じゃあ、私と一緒にいる?」
姫がひめドラゴラと並んで手を繋ぐ。
「お世話もできるし、私(本物)と一緒にいれば、もう一人がひめどらちゃんってわかるでしょ」
彼女はまるで一石二鳥と言わんばかりに自信満々だったが、いっきゅんを除くタソガレたちの顔は青ざめていた。問題児と問題児が一緒になれば、間違いなく問題しか起きないことは、姫という人物を知る者ならば誰にでも分かることだろう。いつもの二倍ともなれば最悪、魔王城が再び傾いてしまうかもしれない。
「誰か、適任者はいないか……」
名案(迷案)を無視して引き続き思考を巡らせるタソガレに対し、姫は不服そうに口を尖らせた。
「…………ぬ?」
不意に、ひめドラゴラが姫とさっきゅんの手を振りほどく。ぽすんっ、と収まった場所に、数秒、執務室の時間が止まった。
「……ッ……!? ……っッ!?」
ひめドラゴラはあくましゅうどうしの腰に手を回し、修道服に顔を埋めた。あくましゅうどうしは行き場の無い両手を浮かせながら赤面し、ひめドラゴラを見下ろした。いくらひめドラゴラとは言え、姫の格好でいきなり抱きつかれると激しい羞恥心が湧き上がる。
──姫じゃない! この子は姫じゃないっ! 姫じゃ……、ないっ!!さっきだって乱暴に抱えて此処まで来たじゃないか! あの時の私はどこに行ったんだ!
何度も力強く自分に言い聞かせながら、理性を保つ。
「ひめどらちゃん、レオ君と一緒にいたいの?」
ポイと投げられた姫の一言に、ひめドラゴラが頷く。「えぇ!? なんでぇ!?」と叫びながら、あくましゅうどうしは身体を引き剥がそうと、意を決してひめドラゴラの肩を鷲掴んだ。
「いやぁ〜、本人に希望があるのであれば仕方ないなぁ〜」
隣に立つタソガレがわざとらしく言い、あくましゅうどうしの肩に手を掛ける。
嫌な予感しか、しなかった。
「あくましゅうどうし。ひめドラゴラが元の姿に戻るまで、お前に頼んだぞ」
「ええっ!!」
「大丈夫、私もついてるよ」
姫はウィンクをして、グッドポーズを向けた。
嬉しいけど、そんな可愛らしい顔を向けるタイミングは、今じゃない。
「そ、そんなこと言われても……」
私にだって仕事がある。会議がある。無茶を言わないでほしいと訴えるが、タソガレは最優先事項として面倒を見ろと言った。無茶苦茶な上司命令だ。あくましゅうどうしの顔から血の気が引いていく。
「では戻ったら引き取りにこよう。ひめドラゴラはあくましゅうどうしに任せる。行こう、さっきゅん」
「え!? あ! あくましゅうどうし様、よろしくお願いします! お兄待ってぇー!」
「あぁ! ちょっと! 私、まだ面倒見るなんて一言も言ってないのに!?」
逃げ足の早いいっきゅんに、引き留める声は届かない。さっきゅんも律儀に頭を下げてくれたが、やはりいっきゅんには敵わないらしい。先程まであんなにこの子を心配していたのに。……金を積めば、少しは手伝ってくれるだろうか。
「……すまぬな」
「…………ははっ」
謝られるが、結局全てを押し付けられた悪魔。その足元には未だ、シルモスの墓が転がっていた。
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