■ 人魚姫より眠り姫
──バンッ!
魔王・タソガレの居る執務室の扉が手荒に開かれる。椅子に座り、さてこれから仕事に取り掛かろうかとペンを持った矢先の出来事だった。突然の訪問者に顔を上げ、父親譲りの三白眼が見開かれる。
「ど、どうしたのだシルモス」
こぢんまりとしたシルエットはおかいこさまの魔女・シルモスだった。膝に手を置き、ゼェハァと苦しそうに肩で息をしている。弱点である姫と会うことがなければ比較的落ち着いた姿勢のシルモス。若くもないし、体力もない。そんな彼女の珍しい慌てように、タソガレの焦燥感も煽られた。
「……ないんだ。坊っちゃんから預かった『アレ』が……、どこにも」
「……『アレ』? ──えっ!?」
ガタッと椅子が床を擦る。デスクに両手をつき腰を上げた彼の前に、ヨロヨロと近付いたシルモスが二本の魔法薬瓶をコトリと置いた。タソガレの視線が薬瓶に移る。瓶に引っ掛けられた茶色い朽ちかけのラベルには、尾鰭のマークが描かれていた。
「しかも、一本だけ……」
「いつ……無くなったのだ」
「研究をしていたから、昨日の夜まではあった。途中で別の仕事が入ったから瓶は出したままで、……その、研究室の鍵を、掛け忘れてしまっていたらしい……」
シルモスは「すまない」と項垂れた。タソガレは苦笑いを浮かべ、ここまで必死になって報告に来てくれたシルモスを労る。力無くデスクに身体を溶かす彼女は、もう体力の限界を迎えていた。
一体誰が……、なんの目的で盗んだのか。使い様によっては悪さを働ける『ソレ』に、タソガレは顔を顰めた。
──バンッ!
再び執務室のドアが荒々しく開かれる。スカプラリオが肩からずれているのも気にせず、これまたシルモスと同じように息を切らしたあくましゅうどうしが立っていた。いつものパジャマ姿の姫を小脇に抱えているが、まるで荷物を持ち上げるような雑な抱え方は、紳士の彼にはあまりにも不釣り合いに見えた。
「え? いや、いくらなんでもその持ち方はどうかと思うぞ、あくましゅうどうし……」
地下にある悪魔教会から執務室のある最上階まで駆け上がってきたあくましゅうどうしだったが、彼もシルモスと同じ高齢者である。本来なら凄い体力だと褒められても良いのだが、本人はそんな些末なことに興味はないし、それよりも何よりもと、青ざめた顔でタソガレをただただ見つめた。
「に、人間の侵入者です……!」
「いや、それは姫だが?」
「姫じゃありません!」
「「…………え?」」
タソガレとシルモスの声が重なる。
「──何? 呼んだ? みんな騒がしいけど、どうしたの?」
ボロボロのあくましゅうどうしの背後から、姫がひょっこりと顔を覗かせた。あくましゅうどうしも気付いていなかったらしく、三人は驚いた表情で声を揃えた。
「「「ひめぇ!?」」」
・*.°
二人が黙って並ぶと、どちらが本物か見分けがつかぬほど酷似していた。姫をそのままコピーしたかのような偽姫に、一同視線が釘付けになる。姫が隣の偽姫にニコリと微笑むと、偽姫も同じようにニコリと笑った。
「……なぜ、姫が二人もいるんだ」
「わ、私にもわかりませんが……とりあえず、敵意はなさそうです」
「姫、お前また何かしでかしたんじゃないのか?」
「(今日はまだ)何もしてないよ?」
きょとんとした姫は嘘をついているように見えない。知恵のありそうなシルモスに聞いてみようと視線を落とすが、彼女はすでに床に倒れ込み「ふえぇ……」と悶え苦しんでいた。姫の顔が二つもあれば彼女の性質上、まぁ、そうなるのだろう。
……ところで、この男はなぜこの姫が偽姫だと確信を持って気付いたのか。タソガレは今度はあくましゅうどうしに視線を移した。目を瞑っている間に左右入れ替わる様なことがあれば、もう本物は分からない。それ程に瓜二つな姫達を前に、彼も自分と同じように悩ましげな表情を浮かべている。彼をしばらく眺めたあと、タソガレはそこに関してだけは考えるのをやめた。(何故なのかは、言えない)
コホンと咳払いをし、思考を仕切り直す。あくましゅうどうしの言う通り、この者は魔物の気配ではなく、人間の気配を纏っている。正真正銘、人間なのだ。
「こいつは何者なんだ。何が目的で……」
──バンッ!
三度目の扉が開く。もはやタソガレは音に驚くことはなかったが、現れた人物には目を見張った。
「偉大なる魔王よ」
「いっきゅん!?」
淫魔・いっきゅんが華麗に現れ、流麗に語る。
「我が妹が消えた。故に探しているのだが、知らないか」
「姫ぇ! 一緒に探してたのになんでここにいるのよぉ! ……うが!? 姫がふたりもいる!」
言った側から妹淫魔・さっきゅんが執務室を覗き込んだ。ふたりの淫魔の顔を交互に見やり、タソガレは冷静に指をさす。
「お前の妹はそこにいるではないか」
いっきゅんは首を横に振った。
「違う。『ひめドラゴラ』だ」
「あの……私、いつも一緒に寝てて……、だけど昨日の夜から帰ってきてないんです。だから姫にも手伝ってもらって、さっきからずっと探してたんですけど……」
姫から培養されたマンドラゴラ。通称・ひめドラゴラ。姫が仲違いするからとさっきゅんに押しつけた自立移動可能、自意識を持つマンドラゴラのことだった。タソガレは思わず深い溜息をつく。
先の『アレ』の件もある。なるべく早く解決しなければならないのに、次から次へと問題が山積みになっていく。どうしたものか……。三者三様の事件。一番初めに此処へ来たシルモスにいたっては、さっきゅんが現れてからついに墓となってしまっており、すでに数分前から戦線離脱していた。(姫×3の暴力)
皆が悩めるタソガレに視線を送る中、ひとりだけ、さっきゅんの顔をじっと見つめている。その視線の主である偽姫が歩みを進め、ふわりと細身の手をとった。
「うが?」
すぐ隣に立っていた、いっきゅんの手も、もう片方の手で握る。
「ほう?」
ふたりの真ん中で微笑む偽姫の行動に対して、タソガレと姫とあくましゅうどうしが、「んン?」と言いながら、同じように並んで同じ角度で首を傾げる。ふらり、姫が体勢を崩すと、背後のデスクにある魔法薬瓶が一本、コトンと倒れた。あくましゅうどうしは姫を支え、倒れた瓶を手に取ると、ラベルを見るなり慌てた様子ですぐさま振り返った。
「魔王様、何故『コレ』がここに!?」
「うん? あぁ、それは……」
──…ハッ!
あくましゅうどうしの手元を見たタソガレの動きが止まる。盗まれた『アレ』。喋らない偽姫。そして行方不明の──。
「ま、まさか! お前っ、ひめドラゴラか!?」
確信めいた言葉に、偽姫は笑顔でもって答えた。
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