「あ。」

「どうしました?」


振り返って見るとマスターの髪が広がっていた。
どうやらゴムが切れて三つ編みが解けたらしい。


「……。」


そう言えば三つ編みじゃないマスターって初めて見た気がする。
起こしに行った時は既に起きてるし、シャワー浴びた後は髪が乾くまで私の前に出てこなかったし…。


「どうしたんだい?」

「えっ、あ、別に。……な、何でも無いんです!」

「ふーん…。」


つ、つい見惚れてしまった。
いつもと違うとじっと見てしまうのは生きとし生ける者の性か。


「そうだ。君、結んでみる?」

「はぁ?」

「そう、じゃあこれ。」

「待て待て待て!」


こいつ人の話聞いてない!
そんなさらっと言うんじゃない!


「やらないなら自分でやるよ。」

「だから待てっての!」


何でこう人を急かすんだ…!

あんまり突然過ぎて頭が付いてきてない。少しくらい待ってもらわないと。


「待つけど。」

「あ?」

「やりたいんだったら言えば良いのに。」

「バ、バカな事言わないでもらえます!?」

「君さ。本音と違う事言う時言葉が丁寧になるよね。」

「っ!?」


わ、私にそんな癖が!?


「……分かりました。今回だけですからね。」


このまま拒絶する理由なんて無い。
……したくも、ない。

マスターからゴムを受け取って綺麗な髪をさっと手で梳かす。
櫛なんか使わなくても十分まとまるさらさらの髪だ。きっと純血のエルフだからこんなに綺麗なんだと思う。


そして丁寧に慎重に結っていく。
出来るだけ時間を掛けて、少しでも“今”が長く続くように。


「……綺麗、ですね…。」

「まあね。」

「ちったぁ謙遜しろよ。」


一瞬力が入ってしまった。
そのせい今まで結んできた髪が解ける。これで苦労が水の泡だ。


「全く……変な事言わないで下さいね。」

「……。」


マスターは何も言わない。
別に傷付いた訳じゃない、と思う。むしろ傷付いた事なんてあるのだろうか。


「君、今何考えてたんだい?」

「え、あ、別に!?」

「ふーん…。」


人の心を見透かす術でも持っているのだろうか?
たまに不思議に思う。

単純に生きた年数が違うだけにしておくか。深く考えるだけ無駄に終わる。
「今、何を考えてたんだい?」

「いいえ別に!?そ、それより終わりましたよ。」


結び終わった三つ編みから手を離す。我ながら上出来だ。
元から癖の無い髪だから編む事自体は難しくない。


「マスター、違和感とかありますか?」

「珈琲が欲しいな」

「会話しようとか思いませんか?」


話が通じないのはいつもの事。
返事も聞かずにマスターの好物を準備する。

珈琲だけじゃなく前日に作っておいたザッハトルテも忘れない。


「マスター、先に食べますか?」

「珈琲が出来るまで待ちたかったけど我慢出来そうに無いな。食べようか。」

「はい。」


我慢出来ないなんてマスターらしくない気もするけど、そんな事はどうでも良いなんて思える。

マスターの前に一切れ乗せた皿を置いて、ミルを挽く。
豆を挽く音だけが響く中、そのBGMを遮るように声を発したのは……


「ねぇ、君って」

「よーっ、マスター!!いつ来ても開店休業みてぇな店だよなぁ!」


マスターではなく思わぬ来客だった。
さらっと失礼な事を大声で言っているが彼女に悪気は無いのだろう。

と言うかさっきマスターから大切な事を聞けそうな気がしたのに…。


「やぁ、アリー。どうしたんだい?」

「ん?別に大した用は無いぜ。たまたまこの辺に来たからな、挨拶だ」


た、大した用が来ないで欲しい…。
何せこの姉弟は他人の店で好き放題やらかした挙げ句片付けもしないのだ。


「あれ、これ何食べてるんですか?」


ノスト、って名前(だったはず)の弟がマスターの前に置かれたザッハトルテに気付いた。
ゴーグルじゃ見えないのか上にずらして見ている。窓から差し込む日光に背を向けているが、ストールの奥に隠された赤い瞳は私の位置からでも見えた。


「へぇ、ザッハトルテじゃねぇか。」

「姉ちゃん、これ僕らも食べましょ」

「駄目だよ、全部僕のだから。」

「マスターさんって酷いです!」

「あ、やっべ!おいノスト、宿取りにいかねぇと!」


慌ただしいアリーさんがノストさんを引きずる形で二人は立ち去った。
ゴーグルを装着するのを忘れない辺り、あれは相当大切な物みたいだ。

でも良かった……今日は店に泊まらないらしい。この国に人間を泊まらせる宿があるか分からないけど。
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