※劇場版


「……グラハム、さん、!」

 ああ、よかった。間に合った――廊下の先に見慣れた背中を見つけたことに安堵して、わたしは、出撃を間近に控えたそのひとを呼び止めるために声を張り上げた。
 本来なら階級を付けて呼ぶべきところを、一瞬迷って、結局やめた。大掛かりな戦を前にしたひどく慌ただしい状況の中、持ち場を離れてもいいと、少しだけでも顔を見てきなさいと言ってくれたカタギリさんの厚意を無駄にしてはいけないと思ったし、何より、たとえ公私混同だと叱責されようが、今ここで、恋人としてではなく技術者として接してしまえば、一生後悔するような気がしたからだ。
 「なまえ?」。わたしを呼んで、グラハムさんが振り返ってくれる。あまり時間はない。けれど、言葉が出てこない。「あ、……ええと、」。もどかしくて、わたしは唇を噛んで視線をうつむける。
 ELSとの戦力差はざっと一万対一。人間側にとって圧倒的不利な戦局。この絶望的な状況下、それでも、グラハムさんは最前線で戦うことを強いられる。それが仕事だとは言っても、こんな状況では誰だって目前に死を意識する。覚悟する。グラハムさんだって、きっと。
 けれど、グラハムさんはわたしにそれを言わない。このひとは、わたしの前ではひどく格好を付けたがるから。そしてわたしは、いつだってそれに気付かないフリをすることしかできない。だとしたら。今わたしに何が言えるだろう。このひとを愛する者として、何を言うべきだろう。わたしは。

「わ、たし……信じてますから! グラハムさんなら大丈夫だって、絶対……っ」

 ようやく、うつむいたままで絞り出したその声は、震えを抑えるだけで精一杯だった。
 それは、わたしが初めてグラハムさんに吐いた嘘。中身なんて何もない、薄っぺらな虚勢。言葉にした途端、わたしの中の別の誰かがけたたましい笑い声を上げた。何を信じていると言うの何が大丈夫だと言うの。本当はこわくて仕方ないくせに不安に押し潰されそうなくせに。最悪の想像ばかりが脳裏にちらついて、立っているのがやっとのくせに。信じているのではなく信じたいだけ、縋りたいだけのくせに!
 こんな状態で、見え透いた嘘を吐いてまで『良い子』を演じる自分が、ひどく滑稽に思えた瞬間だった。

「なまえ、顔を上げてくれ」

 そんなわたしの頬を、グラハムさんの大きなてのひらがふわりと撫でる。たったそれだけで、わたしの中に渦巻く罵声が嘲笑が、一瞬で鳴りを潜める。そしてただ言われた通りに顔を上げれば、グラハムさんは、困ったように笑っていた。
 「こんなときだからこそ笑ってほしいと思うのは、私の我儘かな」。わたしは首を横に振ることしかできなかった。やさしいこえ。まなざし。ぬくもり。わたしを掬い上げるのは、いつだってグラハムさん以外にあり得ない。

「寄る辺ない私にとって君は標だ。君の笑顔が、私の帰るべき場所を教えてくれる」
「……はい。健闘を、祈っています」

 最後、わたしは何とかそう言って笑った。お世辞にもきれいな笑顔だとは言えなかっただろうけれど、それでも。
 帰ってきてほしいとは言えなかったし、言わなかった。それでよかったのだ。だってわたしは、帰ってきたグラハムさんにおかえりなさいを言えばいいから。


(けれど、その後わたしは思い知る)
(約束は果たされないもうやめてと叫んだ声も届かない)(あのとき行かないでと泣き喚いて引き止めていたら何か変わった?)
(奇跡なんて、起きない)



嗚呼お願いです生きて生きて生きて生きて生き て
title:選択式御題
20110619
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