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泣くことが出来る場所



わんわんと遠くで赤子が泣いている。
何かに恐怖したのか、それともただ愚図っているだけなのか。
それは赤子にしか分からない。
昔から『赤子は泣くのが仕事』と言われる程に、その方法だけでしか意思疎通が取れないのだ。
けれど、何かに不満を持っているという事はその態度で充分伝わってくるのだから、合理的と言えば合理的だろう。

「私も、泣けば良かったんだろうか」
「あ?」

買い出しに訪れた街中で、ぽつりと春夜の口から零された言葉にマルコは耳敏く反応する。
聞き捨ててくれれば良かったのに、彼は眉間に皺を寄せながら先を促した。

「何、妙な意地など張らず、素直になっていれば良かったと、今になって後悔していただけさ」
「意地だァ?」

今度は片眉を上げて不可解な顔をするマルコを一瞥する。これはもう最後まで話すしかないな、と溜め息を吐いた春夜は、観念して昔話をする事にした。

「昔、将来に対する天望で周囲と揉めた事があったんだ」

武士になりたいと切望する春夜と、女には無理だと諭じる周囲。
始めの内は取り合いもしなかった事が、段々と周りの状況や現実が見えてくるに連れて、春夜の中でもある程度線引きしていくようになっていく。

「あの頃は体面や周りの要望もあって諦めてしまったが、素直に自分の中にあった不満や思いの丈を周囲の人間にぶつけれてやれば良かったのかもしれない」

強く、立派な武士になりたいのです!

そう願い出た時の自分は確かに本気だった。
だが、それを聞いた時の祖父の悲しげな表情が今でも忘れられない。
春夜はその顔を見るのが取り分け嫌だった。
だからこそ、自身の本当の願いにも顔を背けてしまう事になった。

「今思えば、何故あんなにも聞き分けが良い子供に徹していたんだか」

祖父の、周りの声など関係ない。
なりたいものがあるならば、それを最後まで貫き通せば良かったのだ。
だが、春夜は自ら不意にしてしまった。
それは春夜自身の心が弱かっただけに他ならなかった。
気付けば、先程まで火が付いたように泣いていた赤子は母親にあやされ、静かに眠りに落ちている。
穏やかなその表情に、春夜の顔にも自然と笑みが溢れた。
そこでふと、あの時、周囲が自分の常識外れな願いを否定する中でも、唯一後押ししてくれた人がいた事を春夜は思い出した。
良く言えば勇猛果敢。悪く言えば猪突猛進。
自分が面倒な地位に就くのを拒む為だったかもしれないが、それでも誰も味方がいない中でただ一人の理解者であってくれたのは春夜の実の父親だった。
彼は、笑って春夜を肯定し、笑って背中を押してくれた。それだけで四面楚歌の状況だったあの時の彼女には、充分な心の救いになった。
この事に気付いただけでも、春夜の心は先程よりも幾分か軽くなったように思えた。そのまま、空を見上げてみる。
青一色に塗り潰された空の天辺に登った太陽の位置で、そろそろ船に戻らねばならない時間である事を察した。

「もう行こう。そろそろ出航する時間だろ?」

そう言って笑いかけてきた春夜に、それまで彼女を黙って見つめていたマルコは「春夜」と徐ろに呼び止めた。

「何だ?」

疑問符を浮かべる彼女には悪いが、マルコに春夜を立ち止まらせた理由はない。
ただ無性に、彼女を一人にさせたくはない衝動に駆られただけだ。
マルコは少しの間、口を開けたり閉めたりを繰り返した後、意を決してある事を尋ねてみることにした。

「おれ達はお前が自由に泣く事が出来る居場所になってやれてるかよい?」

おれ達、白ひげ海賊団は春夜の理解者でいてやれてるか、と。
彼女がこれまで自分の想いを吐露する事は殆どなかった。
ほんの一瞬の気の緩みから出た言葉だろうが、おれ達に心を許してきた証拠だろうが、この際どうでもいい。
ただ、この問いだけは、どうしても聞いておきたかった。

「……」

春夜は少し間を置いた後に、ふっと口元を緩ませながら答えてくれた。

「泣くよりも他の事で忙しいんだ。泣いてる暇なんて今の所ないさ」

大海に飛び出してこの方、覚える事ばかりなんだから、と話す彼女の表情は明るい笑みで満たされているように見えた。
先程の問いに対する明確な答えにはなっていなかったけれど、今はそれだけで充分だとマルコは思った。





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