〜待ちぼうけ〜(by.ひみつのかくれが 氷月 晶さま)
暦の上では、既に春。
しかしこのガルバディア・シティには、まだまだ雪がちらついていた。
冬薔薇で出来たリースに、淡く雪が積もる。スコールはそれをそっと払い、白百合を手向けて祈りを捧げる。
ここは、リノアの母、ジュリア・カーウェイの墓所だ。スコールとリノアは、彼女を偲ぶセレモニーに参加する為、ガルバディアを訪れていた。
スコールは胸の内で祈りの口上を述べると、静かに立ち上がってリノア達の傍らへ戻る。リノアは彼に微笑み、カーウェイは彼を労うように肩を叩いて迎えた。それを皮切りに、親族らが順に花を手向けていく。皆思い思いの白い花だ。スコールのように白百合を用意した者が多いが、中には早咲きの水仙であったり、白いデイジーであったりと、色こそ統一されているがなかなか賑やかである。
冬薔薇のリースはフューリー・カーウェイその人が亡き妻の為に用意した物だ。そしてこの中には、ほんの数輪だけ造花が混ざっている。紙と布で作成した、リノアの力作だった。
造花は、枯れない。それは2人がずっとジュリアを想い続けるという気持ちの表現だった。親戚の誰かは「いつになく素晴らしい出来だ」と褒めてくれた。実は蕊の部分にスコールの手が入っているのだが、そんなことは口にしない。
しかしあれは見物だった。苦心している彼女を傍で見ていた彼が、見様見真似で薔薇を模っていたのだ。あの美術の不得手なスコールが! 実はこの何でも高レベルでそつなくこなす青年は、美術の成績は人並み程度でしかない。その理由は彼曰く、「風景画なんて描けるか」だった。気の長い方ではない為、造形もあまり得意ではないらしい。その彼が、あーでもないこーでもないと、いつの間にかリノアよりも一生懸命に作成している姿が、リノアには何だか可愛くて可笑しくて仕方なかった。
結局その一輪も使わせてもらい、このリースが出来ている訳である。それを知っているのはリノアと、リースの手配をしたリノアの父だけだ。
最後の1人が墓の前から退き、セレモニーの第一部は終了した。これからは、親族が一堂に会しての食事会だ。
「では、すまないがスコール君」
申し訳なさそうなカーウェイに、スコールはほんのり微笑んで頷く。
「はい、お屋敷の方で待っています」
「ごめんね、お昼は婆や達が準備してるから。夕方までにはお開きになる筈だから、晩餐は一緒にね」
擦り寄って赦しを請うリノアに、スコールは小さく頷く。
「大人しく待ってる」
「書斎の鍵を開けている。好きに出入りしたら良い」
「はい、ありがとうございます」
カーウェイからの有り難い申し出に、スコールは素直に感謝した。彼の所蔵本には、貴重な文献やスコールの興味を引くものが山とある。中には絶版の書籍もあるものだから、スコールには正しく宝の山だ。
リノアが更に身を乗り出した。
「退屈なら遊びに行ってくれてても良いよ。ただ、外に出るときは防寒だけはしっかりとね。陽が射さなくて底冷えするんだから」
「わかってるよ。俺は何歳児だ」
これには苦笑するスコールと共に、カーウェイも笑い出しそうになった。リノアの物言いは、まるで母親のそれだ。スコールだってガルバディアの冬が初めてな訳がないのに、全く過保護なものである。
少し離れたところから、誰かがカーウェイとリノアを呼ぶ。リノアは慌ててスコールの頬に口付けて、カーウェイを急かした。カーウェイはスコールの肩を軽く叩き、迎えの車へ向かうよう促す。スコールはカーウェイと彼らの親族らに頭を下げ、その場を後にした。
カーウェイ邸に戻ったスコールは、屋敷の人々にたっぷりと歓待された。
濡れたコートをこちらに、部屋着に着替えるか、湯を使ったらどうかと矢継ぎ早に問われてたじたじとなる。
年嵩のハウスメイドが、コートを剥ぎ取られて所在無げにしていたスコールの許へやってきた。
「まぁまぁそんな薄着で! 寒かったでしょう、これを羽織って下さいまし」
薄着といってもセーターは着ているのだが、ガルバディアの人にとってみれば薄いのだろう。実際スコールもガルバディアの寒さを舐めていたと痛感していたから――コートを着込んでいる間は良かったのだ。何しろ上等な毛織物をこの日の為に用意したのだから――、ハウスメイドの持ってきてくれたストールはとても有り難いと思った。ストールからはふんわりと優しい香りがして、スコールは自然頬を緩ませた。
ハウスメイドはにっこり笑う。
「温かいでしょう? 元々は奥様が、お輿入れの時にお持ちになったそうですよ」
「え……じゃあ俺が使うのは悪いんじゃ……」
「そんなことはないですよ、今はお嬢様が使っておられますし。それに旦那様からもお嬢様からも、スコール様がお風邪を召されませんようにくれぐれも気を配って欲しいと言いつかっておりますからね、お気になさらず」
「そう、ですか」
ならば断る方が失礼に当たる。そう判じたスコールは、遠慮なくストールを肩に巻き付けた。
「さ、暖炉の間に参りましょうね。すこぉしお行儀が悪いですけれど、お昼御飯をそちらに用意しますから」
「ありがとうございます」
「いいえ、お嬢様のお選びになった方なんですから、大事にしなくてはね」
「…………」
スコールはもそもそとストールの中に首を引っ込めた。
ストールからはほんのりとリノアが好むラヴェンダーが香る。共寝をした翌朝の褥もよく似た淡く甘い匂いがするが、それよりもずっと清らな、ハーブそのものの香りがする。それでも、リノアを思い出して身を焦がすには充分で。
(……匂いだけで盛るのか、俺……)
物凄く、恥ずかしかった。あぁリノア、早く帰ってきてくれ!
……しかしそんなことを切実に願ったところで、希望が叶う訳でもない。
腹が充たされたスコールは、掃除か何か手伝わせて欲しいと申し出た。だが客人に仕事をさせては面目が立たないと固辞され(当たり前だ)、彼は暇を持て余している。書斎に篭り本を漁ってはみたが、驚くことに全くそそられない。ずっと読みたかった本もあるにはあったが、暖炉の前で開く気にはなれなかった。
もやもやを抱えること1時間強……余りの退屈さ加減に耐え兼ねて、スコールは街へ出掛けることにした。
ガルバディアの街は真っ白だった。
1年を通じて晴天乏しいガルバディアには、陽光がたっぷりと必要な温帯広葉樹を街に植えることはあまりない。長い冬の間葉を落とされてはますます寒々しく感じられるからだろう。シティには沢山の常緑樹が育てられていたが、雪を被って白くなっていてはやはり同じだ。
メインストリートでバスを降りたスコールは、特に当てもなくぶらぶらと街を歩く。
街は静かだ。夕べからいくらか積もった雪が、人々の行き交う音を消してしまう。そんな中、たまたま辿り着いた広場で、スコールはぼんやりと辺りを見渡す。広場には背の高いスノーマンが独り、箒とマフラーをお供にぽつんと立っていた。
待ちぼうけ、とは、こんな風か。
スコールがこの馴染みない街で1人になっているのは今日だけだ。それも夕方頃には終わる。だがこのスノーマンはこの冬中待ちぼうけをしていたに違いない。融けかかった彼は、誰を待っているんだろう。
(……新しい彼女、とか?)
空想の広場に、恋人とよく似たずんぐりむっくりなスノーレディが現れた。傘をくるくる回して楽しそうにしている彼女のほっぺには、きっと可愛らしいピンクのチークが似合うに違いない。
くふ、と小さく笑い、スコールは踵を返す。
広場の向こう側に、小さなカートが出ていた。スイートポテトのスティックを焼いてバターと砂糖をかけたものらしい。美味しそうな匂いだ。
「いらっしゃい。1人分は20ギルだよ」
「3人分下さい」
指を3本立ててそう頼むと、屋台の主はわざとらしい驚いた顔をした。
「おや、そんな可愛い顔して子持ちかい。今日は家族サービスデーかね」
「……? …………!!」
一瞬意味がわからずきょとんとしたスコールだったが、言われたことを理解するや否やぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違います! 俺、学生です!」
「あはは、こりゃ悪かった。そうだよなぁ、お客さんくらいの若い人なら3人分くらいあっという間か」
からからと笑い、屋台の主はひょいひょいと良い具合に焼けたスイートポテトを紙袋に放り込んでいく。流石に芋を3人分は食べません、とも言えず……スコールは大人しく紙袋を受け取り、そそくさとその場を後にした。
「お帰りなさいませ。旦那様、お嬢様」
ハウスメイド達の迎えを受け、カーウェイとリノアは屋敷に足を踏み入れた。ハウスメイドは雪に濡れたコートを手早く払い、2人を暖炉の間へ誘う。
「スコール君はどうしていた?」
「少し前に出掛けておられましたよ」
「え、この寒空に?」
リノアはきょろりと目を丸くした。ハウスメイドは小さく頷く。
「えぇ、余程お寂しかったのでしょうね」
皆で食べるのだ、と大量のスティックポテトを買って帰ってきた様子はどうにもいじらしくて、とメイドは笑った。
「それで、彼は今どこに?」
「先程温室の方に行かれました」
「わかった、ありがとう」
カーウェイは鷹揚に労い、娘の背を押した。リノアは笑顔で頷くと、温室のある庭へ急ぐ。勝手知ったる我が家、最短距離を駆け足で通り抜け、勢い込んで温室のドアを上げた。
「スコールー、ただいま!」
「あぁ、これは! お帰りなさいまし、お嬢さん」
花の手入れをしていた庭番が、曲げていた腰を伸ばして礼を取る。だが、肝心のスコールの姿はない。
「……あれ、スコールは? 温室に行ったって聞いてきたんだけど」
「んん、あの若い旦さんですかい? 旦さんなら、ほんの幾らか前に出ていきなすったですよ」
リノアは明らかにがっかりした顔になった。庭番は令嬢の可愛らしい様子に、愛おしげな笑みを浮かべる。
「どこに行くとか言ってた?」
「いやぁ、それは……。んー、剪定したバラの蕾を持って行きなすったが、何に使うんかねぇ」
「……ありがとう、探してみるわ」
首を傾げる庭番に礼を告げ、リノアは踵を返す。
それを庭番は慌てて止めた。
「おぉ、お嬢さんちょいとお待ちを」
「なぁに?」
リノアが振り返ると、庭番はどっさりとした花束を差し出した。
「お誕生日、おめでとうございます。ちょいと早いですがね」
「わぁっ、ありがとう!」
リノアはぱっと華やいだ笑顔になり、花束を受け取った。胸いっぱいに薫りを吸い込めば、それだけでもうっとりとしてしまう。
「良い匂い。うちにはないお花ね」
「良くお分かりで。こいつはね、憚りながらうちの農園で作ってるやつでさ。お嬢さんがきっと気に入ると思ったから、甥っ子を拝み倒して来たんですよ」
「大変だったでしょう? 本当に嬉しい、ありがとう!」
「いえいえ」
庭番は帽子を取ると、気取った仕種でそれを胸に当てて礼をする。リノアは手を振り、温室を後にした。
それにしても、スコールはどこに行ったのだろうか。庭を見回し、リノアは首を傾げる。彼は仕事の都合でガルバディアに来る頻度が多いとはいえ、住処ではないこの地の寒さには馴れてはいない。長く庭にいる筈はない、とは、思うのだが……。
「――あれっ?」
庭の片隅で、蹲っている背中を見つけた。花壇の前だ。
見れば、周囲の雪は粗方掻き集められていて、妙な空間が出来上がっている。
「スコール?」
ぎくっ、とその肩が跳ね上がる。恐る恐ると振り返った彼の顔は、悪戯を見つかってしまった子供のようだ。
「何してたの?」
「あっ……っわ……!」
そんなことでは隠れようもないのに、スコールは慌てた様子で何かを隠そうと手をかざした。
指の隙間から、向こうが見える。
小さな、とても小さな雪だるまだった。それがふたつ、花壇の縁石に鎮座ましましている。
「わ、可愛い♪ スコールが作ったの?」
リノアが問い掛けると、スコールは渋々頷いた。彼の耳は真っ赤になっている。
「……雪だるまがさ、広場で待ちぼうけしてて、……それが、その……」
「今日のスコールみたいに思った?」
「ん……」
スコールはこっくりと頷いた。
小さな雪だるまは、一方には艶のある葉っぱが刺さっていて、もう一方には小さな薔薇の蕾が刺さっている。葉っぱはぴんと上を向いていて、まるでスコールが愛用のガンブレードを振りかざしているようだ。となれば、この蕾は自分のブラスターエッジだろうか。
「……っしゅん」
リノアが雪だるまに見惚れている内に、スコールはすっかり冷えてしまったらしい。ぶるりと身体を震わせた彼は、小さなくしゃみをひとつ零した。苦笑したリノアは彼を振り返り……あることに気付いて目を丸くする。
「……やだ、スコールったら手袋してないの!?」
「あぁ……、最初はしてたんだけど、雪玉を上手く作れなかったから」
「きゃーっ、駄目じゃないの! 指先が真っ赤よ、霜焼けになっちゃう」
リノアは花束を小脇に抱えると、その真っ赤になった恋人の手を取る。まるで氷を握ったかのような冷たさに、リノアは飛び上がらんばかりに驚いた。
「うわ、冷たい!」
「ごめん!」
悲鳴じみた声を上げたリノアに、反射的に謝るスコール。それが何だかおかしくて、2人は同時に吹き出した。
「もうやだ〜、スコールってば。あはははっ」
「ははは……あ、そうだ。出かけたときにおやつ買ってきたんだ」
「うん、聞いた。あっついお茶入れるから、皆で一緒に食べよう。でも食べ過ぎないようにね」
「わかってる。今日は『お誕生日会』なんだろ?」
くすくすと笑い合う恋人達は、手をつないで暖かい屋内に急ぐ。
庭に残った小さな恋人達は、肩を寄せ合って楽しそうにその様子を見守っていた。
End.