kila→chime  
(by, fahrenheit いそあ様)



 キラキラした思いがどこからともなく降ってきて、あたり一面を満たしていくの。ひとつひとつは小さくても、とても透明感があって煌めいていて。降り積もった思いが、まるで清かな音まで奏でているみたい。
 小説で何度も読んだはずの光景は、実際体験してみると言葉には表せないほど心が震えた。言葉の偉大さを知りつつ、わたしは言葉の無力さを知る。
 こんな感覚を持てる瞬間があるなんて、わたし今まで知らなかった。


***


「ホワイトモカチョコレート、ロングでお願いします。」
「かしこまりました。」


 今わたしはティンバー駅前に新しく出来たコーヒーショップにいる。ティンバーは、ガルバディア大陸の列車ターミナルであるという交通の要所だ。ガルバディアの抑圧から解放され独立し、都市開発や店舗出店が自由化された流れで、今ではここに様々な店ができていた。ガルバディアへと向かう人、バラムやドールへと向かう人は皆、一旦ここティンバーに降り立たねばならない。そのそれぞれの乗り継ぎ時間を有意義に出来るよう、店は様々なものが取り揃えられていた。素敵なアクセサリーショップや、可愛い雑貨、楽しそうなおもちゃ、美味しそうなレストランまで、およそ人が行ってみたいと思うようなところがぎゅうっと凝縮されているみたいだ。このコーヒーショップも、本格的なドリップコーヒーからスイートドリンクまで幅広く提供していて、かなり人気を博していた。もちろん、わたしもスコールも気に入っている。この店だったら、スコールもわたしも飲みたいものが簡単に見つかるから。


 ドリンクが出来上がるのを待ちながら、わたしは席を探した。だいぶ春めいてきたとはいえ、まだ外の風は冷たく肌寒い。だからだろうか、路面に近い席はあまり人気がないみたいで、ちらほらと空席を見つけることができた。良かったわ、とわたしはほっとする。このコーヒーショップ、まだあまり店舗数がないせいかどこも凄く混んでいて、席の確保が大変だ。今日はまだ平日だからいいけど、祝日の昼間なんて、席に座る時間制限が出来るくらい。
 お目当ての席にわたしはコートをかけて、バリスタのところへ戻った。祝日よりはましと言えど、それなりに混雑しているせいでドリンクはまだまだ来ないようだ。何人もドリンク提供スペースのところで待っている人がいる。その人の列に並びながら、わたしはふと壁に貼られた鏡を見る。
 そこには、いつもと違うわたしがいた。


 わたしはじいっとその鏡を覗き込むように見つめた。どこかおかしなところないかな、ちゃんと可愛く出来てるかな。このリップグロス、ちゃんと発色してるかな。お化粧の色の乗せ方、可笑しくないかな。
出かける前にしつこいくらいチェックしたけど、全然し足りない。何か自分の姿を映し出すものがあると、すぐに確認してしまいたくなる。


 実は今日は、わたしとスコールが初めて外で待ち合わせをして、お出かけをする日なのだ。わたしもスコールもバラムガーデンに住んでいるから、どこか出かけるときなんていつも一緒に外に出るのが当たり前。今まで一度だって、待ち合わせなんてしたことない。たいていわたしがスコールの部屋で彼の仕事が終わるのを待ってて、仕事が終わったら一緒に出掛けるとか。わたしの支度をスコールがわたしの部屋の雑誌か何か見ながら待っててくれてて、支度が済んだら一緒に出掛けるとか、そういうのばかり。いつだってガーデンのゲートキーパーから一緒に出て、一緒に帰ってくる。


 もちろん、それに不満がある訳じゃないの。普通の恋人みたいに別れを惜しまなくても、ずっと一緒にいられるのだもの。大好きな人とずーっと一緒にいられて、それが当たり前で、なんて嬉しくて幸せすぎるなって思うくらい。
 だけどね、ちょっとだけ。ちょっとだけ贅沢な願いを持つとしたら。それはやっぱり、スコールと普通の恋人みたいに、外で待ち合わせしたりしたいな、ってことだった。
 もう来るかな、もうすぐかな。そうドキドキしながら彼のことを待ったり。わたしを待ってくれている彼を見つけたり。そういうトキメキって、ある意味男女交際のキホン、みたいなものでしょ?わたしだって、そういうのやってみたい。色々なこと、スコールと体験したい。もっともっと、ドキドキして幸せになりたいなって思うの。
 贅沢かな。贅沢よね。もう十分幸せなのに、もっと幸せになりたいって願うなんて。


 今日はスコールはガルバディアに出張で、ついでにティンバーに寄って政府とSeeD派遣についての打合せかなにか?があるって言ってた。いつもはガルバディアには飛行機で行ってとんぼ帰りする彼だけど、今日はそういう訳にはいかなかったみたい。
 そして、ちょうどいいタイミングで、ティンバーの森でガーデン生徒の園外活動なんてものがあった。その引率SeeDはニーダ。バラムからティンバーまではガーデン専用列車で行くらしい。わたし、それを聞いて、ちょっとチャンス到来かななんて思ってしまった。もし、彼らと一緒にティンバーまで行けたら、そしたらスコールとお外で待ち合わせ出来るな、なんて。駄目かなあ、でも、もし大丈夫ならわたし、って、つい願ってしまった。


 わたしは魔女だから、どこかへ1人で行くことは出来ないけど、誰かSeeDの付き添いがあって事前申請の許可が下りていれば、外出することは出来る。つまり、もしスコールと外で待ち合わせしたかったとしても、それにはSeeDの誰かに着いてきてもらわなくちゃならないってことだ。スコールが一緒でないなら、そういうことになる。
 お仕事ならともかく、自分の私用でSeeDに付き添いを頼むのって、どうにも気が引けてわたしはそれを頼むのをずっと躊躇していた。だってそうでしょう?外でスコールと待ち合わせしたいなっていうのは、単なるわたしの我儘で。別にそんなことしなくても、スコールと外に出かけることを禁止されてる訳じゃないのだもの。普通にスコールと一緒に出掛けて、帰ってくればいい話だわ。


 だけど、もし園外活動に行く生徒たちと一緒にティンバーに行けるなら。そしたら、スコールとティンバーで待ち合わせ出来るんじゃないかな。1人で街をうろつくのは出来なくても、この場所で待っていると、そう決めておいたら。そしたらスコールを1人で待つことも出来るかしら。もし、それが出来たら、わたしすごく嬉しい。舞い上がりそうな程!


 そう思ったら、どうにもそわそわして堪らなかった。馬鹿じゃないの、わたし。スコールのお仕事もガーデンの園外活動もとても大事な行事で、それに便乗してわたしが自分の望みを叶えるなんて図々しいったらない。浮足立つ気持ちを冷静に窘める自分は確かにいるのだけど、同じくらい「聞くだけならいいかな?ダメならそれで諦めるから、聞いてみるだけでもしてみちゃいけないかな」と願う自分もいる。心の中で、2人のわたしが囁きまくって、もうどうしたらいいか分からなくなって。そしたら、それ、どうやら思いっきりわたしの普段の態度に出てたらしい。わたし、自分が「わかりやすいタイプだ」っていうこと忘れてた。あのスコールにも指摘されてるっていうのに!


 まあともかく、わたしの挙動不審にいち早く気付いたのはセルフィで、「なんかアヤシイな〜」と言われてカフェテリアで問い詰められた。セルフィはあれでいて誘導尋問が上手い。そりゃそうよね、スコールと同じSeeD一発合格組なんだもの。普段楽し気でぽんにゃりした喋り方するからあまり気が付かないけど、彼女もやっぱり優秀で無駄な手を打たないプロフェッショナルだった。わたしはあっけなく洗いざらい白状させられてしまった。
 わたしの話を聞いたセルフィは、あっけらかんと「なーんだそんなこと。駄目かどうかは聞いてみれば一発だよ。」と言い放ち、その場で学園長とシュウさん、カドワキ先生に電話した。わたしの外出許可は基本この3人の決裁で下りているから、まあ彼らに聞けばすぐに分かるんだけど。それにしても今まで頭の中だけでごにゃごにゃ考えていたことがいきなり現実として動き始めて、わたしちょっとついていけなくて混乱してしまう。そんなわたしを後目に、セルフィはどんどん話を進めて、あっという間に許可をもぎとってきた。
 ティンバーで園外活動隊と別れて、スコールと合流できるのは大体30分後くらい。そのくらいの空白時間なら、ガーデンにわたしの行動と居場所を知らせるGPSを身につけることで対処可能と判断されたらしい。「1人で自由にショッピングとかは出来ないけどね。ごめんね。」とセルフィは申し訳なさそうに言ってたけど、そんなの全然構わないわ。ショッピングなら、スコールや皆と一緒にするもの。1人で買い物行くより、誰かと一緒にワイワイ選ぶほうが楽しいもの。


「ホワイトモカチョコレート、ロングのお客様。」
「…はい!」


 わたしの頼んだドリンクが出来上がったみたい。バリスタに呼ばれた声で、わたしは自分の物思いから我に返った。慌ててドリンクを受け取って、自分の席へと引き返す。わたしが確保した席は、それほど路面側ではないけど、きちんと外の様子が伺える席だ。ちょうどいい席が見つかって良かった。ここなら、すぐに彼を見つけられる。
 椅子に腰かけてから腕時計を見てみれば、スコールと待ち合わせした時間より15分程前。ゆっくりドリンク飲めるな、そう思った。熱い飲み物好きだけど、火傷するのはいただけない。熱い飲み物で口火傷すると、すっごく痛いのよね。下手すると薄皮まで剥けちゃったりして。せっかくのデートなのに、そんなことになったら悲しいわ。もしかしたら今日、スコールと、えっと、…キスとかしちゃうかもしれないし。口の中火傷してたら、わたし思わず「痛い!」とか言っちゃいそう。そんなのやだ。


 そっとドリンクカップに口をつけた。ふわり、としたホイップの甘さと冷たさ、その後に熱くてどろりとしたチョコレート。うん、美味しい。スコールはこういう甘いの苦手って言うけど、わたしは大好き。自分でもこういう美味しいドリンク作れたらいいなあ。お小遣いためて、エスプレッソマシン買おうかな。そしたら、わたしの好きな甘いドリンクも、スコールの好きな苦い本格的なコーヒーも楽しめるものね。ふたり、お互いの好きなもの飲みながらゆっくりお話ししたりして、そういうのすごく幸せっぽくていい感じだわ。


 さっきからずっと、わたしの考えはあちこちにふよふよと飛んで行って留まることがない。「こころにうつるよしなしごとを、そこはかとなくおもいつくれば」ってこういうことを指すのかも。わたしは、多分に浮かれているだろう自分を認識して少し擽ったく思った。考えてみれば、わたし、こんな風に自由に思いを飛ばすことなんてあまりなかった。いつも何だかんだ慌ただしくて、1人ぼーっとする時間なんて無かったかも。大体、わたし1人でいることなんてないし。傍にはスコールが、スコールがいないときは誰かが必ず傍にいる。
 そんな状態に置かれているのは、わたしが魔女だからだ。まだわたしという魔女の存在を世界に知られてそれほどたっていないから、予防処置的にそういうことになっている。わたし自身、ひとりぼっちにされるとあの魔女記念館のときの封印装置や宇宙に放り出されたときの恐怖、見えない未来への不安を思い出すから、だから誰かが傍に必ずいてくれる、っていうのは有難かった。わたし、ひとりじゃないんだわ。そう思うと、とても安心できるから。
 ーーーーー多分、それはもしかしなくても、少し歪んでいることなのだろう。


 1人でいられない。1人でいることが怖い。
 それは普通ではないことなんだろう、きっと。
 それでも、それがわたしだ。
 わたしは、そんなわたしを知り受け入れながら、いきていく。


 時計をもう一度見た。待ち合わせまで、後10分。まだまだきっと、スコールは来ない。会議は長引くことが多くて、早く終わることなんて滅多にないもの。目の前を行き交う人の群れは慌ただしくて、ここが交通の要所だということを再認識させる。
 こんなに人が多くて、わたしすぐにスコールを見つけられるかな。大丈夫かな。ちょっと不安になった気持ちを誤魔化すように、ゆっくりとホットチョコレートを飲んだ。そわそわ、ドキドキする気持ちを、濃厚な甘さが落ち着かせてくれるように思った。
 スコールは、どんな顔してここに来てくれるのだろう。わたしを探しながら来てくれるのかな。それとも彼は目がいいから、わたしのことなんてすぐに見つけちゃうかな。
 ティンバーの政府関係の建物のある方向をじっと見つめながら、わたしはスコールのことを思う。今日はSeeDとしてのお仕事で行ったから、SeeD服着てるだろうな。あれ、目立つけどカッコいいよね。普段のスコールもカッコいいけど、SeeD服着てるとカッコよさが2割増しするような気がする。前にスコールに言ったら変な顔されたけど。そのときのスコールの何とも言えない変顔を思い出して、わたしは思わずにやけてしまった。


 時計をわたしはまた見た。後、7分。時間は本当にあっという間に過ぎ去るものだ。もう後わずか、ほんの少しの時間が過ぎ去れば、わたしスコールに会える。スコールを待つ時間、もしかしたら何もすることがなくて持て余すかも、なんてセルフィに心配されたけど。そんなこと全然なかった。
 ただ、スコールのことを考えているだけで、あっという間に時間が過ぎていく。仕事で離れるとき以外はいつも一緒にいて、わたしの生活はほぼ彼に染められているっていうのに。離れているときでさえ、わたしの思考は彼のところから離れようとはしない。傍にいなくても、話をしていなくても、思考は常に彼に寄り添いたいと願う。わたしは確かに彼に囚われている、そしてわたしはその楔から逃げたいと微塵も思わない。もっともっと、わたしはスコールが欲しいと思う。貪欲、その言葉はまさにしっくりとくる。
そして、そんな重苦しいわたしを、スコールは拒まないでいてくれる。


 わたしは、またドリンクを飲んだ。
 この口いっぱいに広がる甘さは、まるでわたしがスコールのことを思うときの感情に似ている。言葉で表すのはとても難しいけれど、確かにわたしの心の中を埋め尽くすほどの、たくさんの光の粒みたいに煌めいた感情たち。ときには苦いものもあるけれど、それすらもっと欲しいと願ってしまいたくなるくらい、甘くていとおしい。
 全部、スコールがわたしにくれたもの。わたしの大事な、宝物。


 後、3分。わたしはまた時計を確認して、そしてスコールがやってくるであろう方角を見つめた。もうじき彼は来る。きっとわたしを探しながら、来てくれる。
 ドリンクを飲みながらあたりを眺めていたら、やがてふわり、とした砂金色の髪の毛が見えた気がした。


 スコール?


 足早にこちらに向かってくる姿は、SeeD服の上にお仕着せのコートを羽織ったもので。さらさらした砂金色の髪、色白な顔、澄んだ綺麗な蒼い瞳、そして特徴的な眉間の傷跡。
 ああ、スコールだ。まだ待ち合わせ時間には早いのに、もう来てくれたんだ。
 何だか、さっきからずっと胸の中で溢れていたキラキラの欠片たちがぶつかり合って、綺麗な音を立てているみたい。スコールの姿を見て、スコールがそこにいる、それを知って、わたしの胸はものすごく速く音を立てている。
 スコールはこの店の近くに来て客席を見渡した。わたしを探していてくれてるんだ。わたしは、スコール、と声をかけて手を挙げた。スコールはそれにすぐに気が付いてくれて、そして。
 そして、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。


 その笑顔を見た時のわたしの気持ち、それはもう絶対に言葉になんて出来ないわ。勿体ないな、誰かに教えたいし、スコールにも知ってもらいたいのに。どうしたら的確に言い表せるか、その術をわたしは知らない。
 ただ、胸がドキドキして、目がチカチカして、笑顔を見た瞬間に、ジャーンとまるでチャイムのように大きな音が鳴り響いて。キラキラしてる。眩しいくらいに、ただ。
 そう、あえて言うなら。
 わたしはスコールのことが本当に大好きなんだ。そういうことが分かる、それだけ。
 人波を掻き分けて、スコールがわたしのところにやってくる。それはきっとほんの僅かな時間だと思うのに、わたしにはまるでコマ送りのように見えた。


「ごめん、待たせたよな?」
「ううん。待ち合わせ時間にはまだあるよ?ありがと、急いで来てくれたんだね?」
「仕事が上手いこと早く終わったから、な。」


 多分それは嘘。だって、仕事が早く終わった、って言った時のスコール、ちょっとだけ耳が赤かったしそっぽ向いてたもの。いつだって仕事は延びることの方が多くて、オンタイムに終われば御の字だもの。
 ねえ、スコールもわたしに早く会いたいって思ってくれてた?
 そうなら、わたしとても嬉しいな。


「それ、もう飲み終わった?」
「ん、後ちょっと。」
「じゃ、俺の分は頼まなくてもいいか。」
「ごめん、急いで飲むね。」
「ゆっくりでいいぞ。」
「ううん、すぐ飲み終わるから。大丈夫。」


 スコールはわたしの前の席に腰かけた。ゆったりと足を組んでいる。このお店、たくさんのお客さんが座れるように、座席間隔はちょっと狭目だ。スコールにとっては狭くないかな。わたしの足と彼の足がぶつかりそう。わたし、急いで飲んでしまって、ここから出ようとそう思った。


 ごくごく、とドリンクを飲み切ってから、わたしはカップを見た。そこには当然というかなんというか、白いプラスチックの飲み口のところに、ピンクのリップがべったりついていた。キスマーク、って言えば聞こえはいいのかもしれないけど、まさにベッタリ。あんまり見ていて気持ちのいいものじゃない、って思うの、わたしだけ?
 わたしは急いでそのリップ痕を指で拭った。きゅっと力をこめて拭えば、色はあっという間に消え去り元の白いプラスチック色が返ってくる。しっかり痕跡を消して、わたしはこそりと安堵した。
 どうも、カップにべったり口紅やグロスが残ったままっていうの、わたし嫌なんだよね。ホントは食事のときにリップとかつけたくないなあって思うくらい。
 でも、せっかくお化粧してるのにリップつけないなんて何か変だし。何かものを食べたり飲んだりする前にリップをオフするのもおかしいし。仕方ないからいつもこうやって、飲み口のところを拭うことで誤魔化してる。


「…それ、いつもやってるな。」
「ん?」
「カップの飲み口を指で拭うの。」


 スコールが、少しだけ不思議そうな顔をしてわたしに尋ねた。わたしは、ああ、と頷いた。


「んとね、わたしここに口紅の痕が残ってるのって嫌なのね。何かあんまり綺麗じゃない感じがしない?」
「でも、そのカップただ捨てるだけだろ。そこまで気にしなくても。」
「そうかも。でも、こういう、飲んだ後にベッタリ色がついてるの、興ざめしちゃって。」
「ふうん。」


 わたしの苦笑しながらの言葉に、スコールは腑に落ちたのか落ちていないのかイマイチよく分からない感じで相槌を打った。そして、わたしの指先に気が付いた。


「リノア、指は汚れてもいいのか?ピンクになってるけど。」
「指は洗えばすぐに落ちるからいいの。飲んだ後のカップとかに残ったままだとちょっとだらしないなあって思うだけだから。」


 わたしはそう言いながら、紙ナプキンを取ろうとしたのだけど。それは出来なかった。何故なら、スコールがわたしの手を取ったから。


「スコール?」


 どうしたのかな、そう思ってわたしがスコールに問いかけると、スコールはわたしのリップに汚れた親指を見ていた。あ、あんまり見てほしくないんだけどな。何か気になることでもあるのかしら。わたしは妙に落ち着かなかった。
 やがて。
 スコールはひとしきりわたしの親指を見て。それから、それを自分の唇に寄せて触れた。自分の親指に、彼の薄めの唇がしっとりと触れる。その様子と感触は、視覚と触覚からわたしにとてつもない衝撃を与えた。わたしの心の中のキラキラした粒たちが、まるで津波のように荒れ狂ってる。清かな音はまるで轟音だ。スコールから与えられるドキドキが酷すぎて、まるで嵐みたい。わたし、今絶対顔真っ赤だ。だって顔がほてったように熱を持って熱いもの。
 わたしは慌ててスコールの手から自分の手を引き抜いた。親指を見てみれば、そこにはほとんどリップはない。ナプキンで拭く必要なんて全くない。さっきのリップの汚れは全部スコールのところに行ってしまったということだ。それって、なんていうか、その。
 わたしの心の中では色々な感情が渦巻いてぐちゃぐちゃ。ただ、その現実にジタバタするしかない。
 そんなわたしの様子なんて全然構わない風に、スコールはふむ、と首を傾げた。


「桃の香りがする。」
「…だって、ピーチフレイバーのリップなんだもん。」


 スコールらしいといえばらしい即物的な感想に、わたしは少し唇を尖らせながら答えた。スコールはふうん、と頷いた。


「そんなのあるのか。」
「こないだ買ってみたの。はい、紙ナプキン。スコールの唇、拭くといいよ。何か気持ち悪いでしょ?」
「別にいらない。」
「えー。」
「…見た感じ、どこかおかしいか?」
「おかしくはないけど…。」
「ならこのままで構わない。」


 わたしの渡そうとした紙ナプキンを、スコールはやんわりと押し戻した。普段男の人は口紅なんてしないし、そういうのが自分の唇にのってたりするの気持ち悪くないかな、って思うんだけど。わたしも初めてリップしたときは、自分の唇が妙にネットリしてるような気がして、早くとってしまいたくて仕方なかった。スコールはそんなことないのかしら?
 わたしの怪訝な顔に気付いたみたい。スコールが何だ、とわたしに尋ねる。わたし、自分が思うままに疑問を口に出した。そしたら当たり前のような顔をしてスコールが答えた。


「そんなの、今更だろ。」
「どういう?」
「だって、リノアが口紅してるときにキスなんてさんざんしてるし。」
「キ…!!」
「今までだって拭ったことなんてなかっただろ。」


 スコールにあまりにもあっけらかん、と答えられてわたし、ただ目を白黒させるしかなかった。そう言われればその通りで、確かにわたしがリップを引いているときにキスすれば、ばっちりスコールにも色や感触は移ってたはず。お化粧したばかりのときにそういうことはしてないけど、それでも多少は色移りしてた、よね?
 やだ、これからは気を付けないと。スコールの唇が淡く色づいてたとか、そんなの如何にもわたしたちがそういうことしてましたと言ってるようなものじゃない!恥ずかしすぎる。
 わたし、ぐっと手を伸ばして、持ってた紙ナプキンでスコールの唇を拭った。スコールは微妙に嫌な顔してたけど、我慢して。これから楽しいデートに行くのに、このままだったらわたし気になって仕方ないから。わたしの言葉に、スコールは苦笑する。納得してくれたのか、わたしの手を振り払うことはせずに、されるがままでいてくれた。
 拭い終わった紙ナプキンを見れば、やっぱりうっすらとピンク色がついていた。


「じゃ、行くか。」
「うん。」
「どこか希望は?」
「うーんと。せっかくティンバーまで来たから、あの綺麗な湖行ってみたい。んで、帰りにちょっとだけショッピング!」
「仰せのままに。」


 スコールが立ち上がってコートを羽織る。わたしもドリンクカップと鞄、コートを持って立ち上がった。だけどすかさずわたしの持った空きカップをスコールが奪って、ゴミ箱に捨ててくれる。そんなの、わたし自分でやるのにな。スコールはわたしを甘やかしすぎだと思う。でも、奪い返して自分で捨てるのも何だかすごく嫌な人間みたいよね。だから、照れくさいけどスコールがやってくれるのを待つしかない。
ゴミを捨て終わると、スコールはわたしに手を差し伸べてくれた。わたしが掌をそこに載せると、きゅっと指を絡めて握ってくれる。わたしの掌よりスコールの掌はずっと大きくて、スコールとこういう風に手をつなぐといつだってわたし、指が大きく広げられてるみたいな感覚に陥る。男の人と手をつなぐとどういうふうになるのか、それを教えてくれたのもスコールだ。
 わたしの胸に今も溢れている、このキラキラした感情の粒も、それらが重なり合ってぶつかり合って立てる綺麗な音も。すべて、スコールに教えてもらったの。スコールにもらったの。


 キラキラした思いがどこからともなく降ってきて、あたり一面を満たしていく。ひとつひとつは小さくても、とても透明感があって煌めいていて。降り積もった思いが、まるで清かな音まで奏でているみたい。
 小説で何度も読んだはずの光景は、実際体験してみると言葉には表せないほど心が震えた。言葉の偉大さを知りつつ、わたしは言葉の無力さを知る。
 こんな感覚を持てる瞬間があるなんて、わたし今まで知らなかった。知ることが出来て、良かった。


 わたしはすぐ横を歩くスコールの顔を見上げた。何だ?という顔をされたから、にこりと笑いかけてみる。この嬉しい、って気持ちが伝わるといいな、そう願って。
 スコールは少しだけ目を見張ったけど、すぐに小さく笑顔を返してくれた。


 ほら、また。
 キラキラしたチャイムみたいな音が聞こえる。


fin.





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