騎士祭 作品 | ナノ

 Squall 〜雨の日〜




***




おかあさんが言っていた。この鳥は『愛の鳥』だって。おかあさんとおとうさんがむすばれるキッカケになった鳥だからって。

懐いていたけど、決してトリカゴにはとじこめなかった。庭に来れば呼ばずとも来て、ぼくの肩に乗った。歩けばどこにでもついてきた。

名前のない小鳥。
そんな小鳥がいなくなったのは、元々病気がちだったかあさんが亡くなって一週間が経った、ぼくの誕生日当日だった。



朝の晴れ間から一変、突然大荒れになった天気。

雨なんか嫌いだ。
風なんか嫌いだ。
僕なんか嫌いだ。



濃紺の傘をさしがら、ぼくは居なくなった小鳥を探していた。



「…っ。」



小鳥を呼ぼうとして息を大きく吸い込んだものの、それを声へと換えないまま吐き出す。
―――呼ぶ名前がないのだ。
こんなことになるなら名前を付けておけばよかったと、今更後悔した。

もうどれだけ探しただろう。傘を盾にして前へと進んでいたが、すっかり濡れねずみだ。今は突風こそないものの、しとしとと雨は降り続いている。

不意に通りがかりの公園の時計を見ると、既に昼の12時を過ぎていた。
今日の夜はお仕事だから、昼に美味しいご飯を食べようと言ってくれていた父を思い浮かべる。こんな天気の日は昼と思えぬほど薄暗い。このままお腹を空かせて当ても無く歩き続けるべきか、それとも我が家へと一度帰るべきか思案に暮れる。

その時だった。
歌うような声が聞こえたのは。



ぴっち ぴっち

ちゃっぷ ちゃっぷ

らん らん らん



それは公園の中から聞こえてきた。
まだ幼い雰囲気の、でも透き通るように綺麗な声。ぼくは引き寄せられるように、公園の中へと足を踏み入れる。



「…いた。」



噴水近くで遊んでいた少女に目を留める。
黄色の長靴に、空色のレインコート。フードを目深にかぶっていて顔は見えない。少女はあたり一面に広がる水たまりに入ったり出たりを繰り返していた。
手にはレインコートと同じ色の傘。それは本来の使い方をされないままに魔法の杖のようにただ彼女の手に握られている。



ぴっち ぴっち

ちゃっぷ ちゃっぷ

らん らん らん



楽しそうに、踊るように、彼女はひとりで遊んでいた。
いつもは子供たちで賑わう公園は、雨を避けるように静まり返っていて、その中で聞こえるのは彼女の唄と雨音だけ。




ぴっち ぴっち

ちゃっぷ ちゃ・・・




突然。唄声が止んだ。
ぼくの視線に気がついたのか、少女が振り返り、ようやくその顔が見えた。吸い込まれるような真っ黒で丸い目。

挿絵

ぱちくりと数回瞬かせると、ばしゃばしゃと水しぶきをあげながらこちらへ走ってきた。
そしてぼくの目の前で足を止めると小首をかしげてこう言った。



「一緒に遊ぶ?」



正直、少女の行動も発言もぼくにとっては意味不明で、返すべき言葉が見つからずに黙っていると、「へっくちゅ」と気が抜けるようなクシャミが聞こえた。



「わ、聞かれちゃった。恥ずかしい。」
「…こんな遊びしてるからだろ…。」



両手で慌てて口元を押さえながらも、さして恥ずかしそうでもない風に笑いながら言う少女に思わず本音が飛び出す。それに目を丸くした彼女は再びその口角をあげた。



「ねぇ、名前なんていうの?」
「……。」
「そうだ!うちに来て?キミともっと話してみたいな!」



言葉を発する間もなく手を引かれる。振りほどこうとしても振りほどけず、その小さい体のどこにそんな力があるのかと思うほど。
やがて"うちってどこだよ"とか、そんなことすら聞くのも面倒になって、半ば引きずられるようにしてぼくは少女の後に続いた。





***





少女は本当によくしゃべる子だった。ぼくはといえばほとんど無言で、ただただ彼女の話を聞くばかり。
小雨の中をどれくらい歩いただろうか。辿り着いた先は大きなお屋敷だった。あまり時間は経っていないことから、比較的近所のはずだが見覚えがないのはなぜだろう。そんなことを思いつつ、促されるままに中へと通される。
見るからに高そうな壺や照明のあるリビングらしき場所まで入ったところで「ここで待ってて」と言われて大人しく待つ。

どことなく違和感を感じてその原因を付きとめるべくあたりを見回していると、ようやく一つの理由に行きついた。
この家に入ってから一度も、彼女以外の人間を見ていないのだ。この部屋にたどり着くまでの廊下にも僅かな灯りがあるだけで、屋敷全体が暗い。こんなお屋敷なのだから、使用人が居てもいいはずなのに、まるで無人のよう。
それを不思議に思っていると、突然視界が白で覆われた。



「うわっ!?」
「わしゃわしゃわしゃ〜!」



白の正体はバスタオルだったようで、柔らかいそれでぐりぐりと髪の毛の水分を拭かれる。犯人はもちろんさっきの少女。
ほとんど背丈が変わらない彼女が後ろからのしかかるようにしているせいで、どうにも身動きが取れない。

挿絵

あらかた水分がとれたのか、しばらくしてすとんとフローリングに着地した少女を呆れ半分で睨みつけた。
タオルを取りにいった際に脱いだのだろう、空色のレインコートはいつの間にか無く、ふんわりと柔らかい曲線を描く白のワンピース姿となっていた。
短いのかと思っていた髪は肩より少し長く、瞳と同じく綺麗な漆黒。あの雨風でレインコートがその機能を十分に果たすはずもなく、髪は濡れてつやつやとしており、毛先からはぽたぽたと水分が零れおちている。
それを見るや、ぼくはタオルをひったくると、少女の頭にかぶせて乱暴に拭い始めた。



「きゃあっ、何するの〜!」
「あんただってしただろ…。」
「あはは、だからってもうちょっと優し…っくしゅ。」



本日二度目のくしゃみが聞こえ、ぼくは忙しなく動かしていた手を止めた。頭にタオルをかぶせた状態のまま、その顔を覗きこむと、またもや笑顔を向けられた。
どうにも調子が狂い、慌てて後ろに一歩下がり呟く。



「ジゴウジトクだ。」
「ジゴウジトク?」
「痛い目見たってそれはあんたのせいだってこと。こんな天気で外に何か出るから風邪なんてひくんだ。」
「だってこういう天気わくわくするんだもん。」



自分の耳を疑った。止まったはずの風が再び強く吹いていてガタガタと鳴る窓に目をやると、雨粒が叩きつけられている。
…この天気が、わくわくだと?



「あ。わたし、分かっちゃった。スコールがご機嫌ナナメな理由。」



言葉を失くしていたぼくの顔を少女はしたり顔で覗きこんだ。
何が分かったっていうんだ、そう思うと同時にハッとあることに気づく。



「お、お前…何でぼくの名前…。」
「さあ?なんででしょー?」



くすくすと喉を鳴らす少女。そんな彼女に背中を押され、そのまま革張りのソファまで連れてこられる。座って座ってと言われるがまま腰を下ろすと、見た目よりも柔らかなそれが体を包みこんだ。



「飲み物持ってくるね!」



結局何の謎も解明されないまま少女は走り去ってしまった。
お喋り好きな彼女に流されるだけ流され、慣れない疲労感に溜息を洩らしつつソファの背もたれに全体重を預ける。
再び窓の外に視線をやると、憂鬱な気分が倍増していくようだ。

―――雨も風も、こんな天気、キライだ。
―――まるで、ぼくみたいだから。



「自分の名前、やなんでしょ?」



いつの間にか目の前のテーブルにマグカップが一つ。戻ってきた少女は愛くるしい瞳を少しだけ細めて、年齢にそぐわない綺麗な笑みをたたえていた。
少女が自分の分もマグカップを持ちながら隣に座ると、二人分の小柄な体重を乗せたことで、ソファの沈みが僅かに深くなる。



「…誰だって、いやだろ。"スコール"なんて。」
「わたし、わくわくするって言ったよねぇ?決めつけるなんてダメだぞ?」



"スコール"。もっと幼いころはその意味なんて知らなかった。
でも知ってしまった。―――雨や雪を伴う突風。まさにこんな天気を意味しているなんて、知りたくなかった。



『やだ、またスコールだわ。』
『ほんとに困るな。』



吹く度、降る度、そんなことを囁かれ、まるでぼくに向けて言われているようで。
違うと分かっていても、幼心に小さく小さく付けられた傷は、やがて溝となっていて。
居なくなった小鳥も、こんな天気に、こんなぼくに嫌気がさしたのではないかと思うと怖くて。



「"スコール"は気まぐれでおもしろいと思うんだけどなぁ、わたし。」



ほらまた止んだ、そう言って少女が指差した先には、再び静まった空が見えた。



「無い方がいいなんてこと、絶対ないよ。ずーっと晴れ!ずーっと曇り!なんて変化がなくてつまらないよ。突然吹く風が気持ち良かったり、嬉しかったりする時だってあるよ。」
「……。」
「わたしも、今日"スコール"が吹いたからあの場所に行ったの。そしたらスコールに会えた!ね?それって凄くステキでしょ?」



些細な日常をひとつひとつ彼女は噛み締めているようで、今までのぼくにはない考え方に驚かされるばかりだった。
何も言えず、ゆっくりと少女の言葉を頭に溶かす。傷から少しずつ沁みわたる。



「それにね、あんな雨風の中ってね、ザァザァとかピューとか、草木が揺れる音とか、色んな音が聞こえるの。肌を風が叩いて、雨粒がぱちぱち当たって、色んな感触を感じられるの。そうしたら、生きてるーって実感できるの。」



ほんの短い間に何度も見た彼女の笑顔はいつだって眩しい。ぼくが雨や風なら、きっと彼女は太陽で。天気が晴れたり曇ったりするように、人もまた、いろんな人がいるから楽しくて。
少女の言う「面白み」だとか「楽しさ」がほんの少し理解できた気がして、ぼくは自然と口角をあげていた。それに気付いた少女がまた嬉しそうに微笑む。
笑顔の連鎖に少し恥ずかしくなってきてぼくは目を逸らすと、まだ口をつけていないマグカップを手にとって傾けた。



「…あまい。」
「もしかして…にがて?」



笑顔から一変、しょんぼりと眉を下げてがっかりした様子の彼女。安心させるべく、急いで首を横に振る。まだ温かくとろみのあるそれがゆっくりと喉を通って、じんわりと身体の中を満たしてくれた。



「これ、なに?」
「特製のあったかカリン茶だよ。」
「…おいしい。」
「ほんと!?よかった〜。」



少女は表情をまたころりと変える。嬉しそうに表情を綻ばせ、小さな足をぶらぶらと揺らしながら、自分のカリン茶に口をつける。



「これ、おかあさんがよく作ってくれてたんだぁ。」
「…そうか。」



マグカップを揺らして波打つ中身を見つめながら少女が漏らした言葉に、再び心に痛みが走り、それを耐えるように両手に力を入れた。
"おかあさん"なんて、ぼくにはもう…。



「そんな顔しないで?ね?」



全て見透かされているのではと思った。
少女の手がぼくの頭を撫でていた。
ぼくの手の甲には雫が一つ落ちていた。
いつの間にかぼくは泣いていた。



「スコールが悲しむと、おかあさんも悲しんじゃうよ。」



少女は一口またカリン茶を飲むと、それを机に置いた。
そしてマグカップを両手で包むように持っていたぼくの手を、それごと包み込むように小さな二つの手が覆う。彼女自身の体温とマグカップを持つことによって得た温度で、その手はとても暖かい。

挿絵



「だいじょうぶ。スコールだもん、突然の風にも雨にも、スコールは負けないよ。」
「……うん。」
「おかあさんがよく読んでくれた本にね、書いてあったの。」
「…うん。」
「親から子供へのはじめてのプレゼントは命。その次にもらうものが名前なんだって。」



ぽろぽろと、二人の手が重なるそこへ雨が降った。



「おかあさんのこと大好きなら、その名前も大事にしなくっちゃ。」
「うん…。」



ぼくと彼女の間で降る雨は、ぼくだけのものではなかった。
そこでようやく気づいたんだ。

『これ、おかあさんがよく作ってくれてたんだぁ。』
『おかあさんがよく読んでくれた本にね、書いてあったの。』

彼女のおかあさんも、きっと…。



「大好きだよ、スコールのこと。だから、だいじょうぶ。」



泣きながら笑う、ぼくが最後に見たその顔はすごくきれいで。
気づけばぼくがまるごと、彼女のぬくもりに包まれていた。ぼくもまた、少女の背中に手をまわして、目を閉じる。眼尻に溜まった涙をまつげが押して、落ちていく。

彼女が最後に言った『スコール』は、どちらを指しているんだろう。
そんなことを思いながら、そのままぼくの意識は白い靄に飲まれていった。









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