関節ちゃんと骨折ちゃん/最終話〜メリバ編/加筆
目の前に設置されている空中ブランコを眺めながら、どこか意識が朦朧としていた。もうすぐ出番がくるというのにこの感覚がまずいということは分かっている。それでも、どうやっても、あの言葉が頭から離れない。

『明日出荷の113号室の引き取り手ってあの人だろ』
『あぁ、あの奇形児を玩具にして壊して遊ぶ悪趣味な』
『前のやつもひどかったらしいなぁ』

フリークショウ開演までの待ち時間、控室の傍のトイレに行く途中で聞いてしまった、職員たちの会話。

やはり聞き間違いだったんじゃないかと、繰り返し考える。
もしそうだとしたら、それが一番なのだ。だけど…。

突然痛いほどに眩しい光に視界を覆われ、俺は反射的に目を瞑った。マイクを通した団長の声が耳に響いて、自分の出番なのだということを理解する。
ブランコに手をかけ、力を込める。
だめだ、今はとにかく集中しないと。
そう思うのに、やはり頭の中ではあの言葉が何度も何度も繰り返されて。

だから正直想定の範囲内ではあったのだ。集中力が必須な難しい技の途中で、俺がブランコから手を滑らせたのは。


目が覚めて、一番初めに目にしたのは少し薄汚れた真っ白な天井。いつも見ている天井とどこか違う気がする、そう思うのと同時に一気に脳が覚醒して、弾かれたように俺はベッドから飛び起きた。途端に全身に鋭い痛みが走り、思わずうめき声が口から洩れる。痛みのあまり再び体をベッドに埋めなおした。
引きつったような浅い呼吸を繰り返しながら、部屋の中に時計を探す。部屋には窓も設置されていないが、病院内の雰囲気からしてまだ早朝だろうと、思ってはいる。部屋には俺の他にも何人か患者らしき人物がいたが、起きているのは俺だけのようだ。
「起きたのかい」
開いた扉のすぐ傍から聞こえた声に、ゆっくりと首を動かす。
「落ちた場所がよかったね、幸いにも骨は折れてはいないけど、打撲と、あと神経をひどく痛めているようだから無暗に動かない方がいい」
生きていただけでもすごいのにねと、淡々と威圧的にそう告げた職員は、扉の外から声をかけられ、また足早に部屋を出て行った。

やはり自分は落ちたのか、と分かり切っていたはずの事実を、頭の中で再認識する。全治にはどれくらいかかるのだろうか。
多分、もうショーには出られないのだろうと、なんとなくそう思った。自分は芸に失敗したのだ。わざわざ完治させてまでもう一度舞台にあげるほどの価値が、自分にあるとは思えなかった。
もしかしたら、自分はドナーにさえなれないのかもしれない。頭ではそう思ってはいても、なかなか死の実感は湧かないものだ。
だけど、どうせ死ぬなら。
軋む体に鞭うって上体を起こす。当たり前のことだが、病院内の職員といってもすべての患者の状態を把握しているわけではない。たかが一人病室を抜け出したところで誰も気付きはしないだろう。

壁に軽くよりかかりながら、人気の少ない通路を歩く。途中で時計を見つけたおかげで、今がまだ早朝であることが確認出来て安心した。
聞き間違いであればいいと思っていた。君が今日も一日あの部屋にいて、いつかの門出を待っていれば、俺は最後に、君に感謝を伝えてさよならを告げようと。
そう思っていたのに。
目の前のその光景にひどく落胆する。どうやら聞き間違いでもなかったらしい。
ベッドを押している職員は二人。正直自信は全く無かったが、どうせ死ぬのだ。やってみるくらいいいだろう、とポケットの中の少し大きめの布をくるくると細く巻いてロープ状にしてみる。体の痛みは、麻痺して最初ほど強くは感じなくなっていた。多少痛むにしても動けないわけではない。身軽な身体を駆使して片方の職員の肩に飛び乗る。頭を足で押さえ、そのまま全体重を使い、勢いをつけてその布を思い切り相手の首にひっかける。かくん、と相手がその場に倒れこみ、ついでに俺も一緒にこけて顔面を床にぶつけた。
しかし痛い、とぼやいている場合でもない。残りの一人に頭から突っ込み、倒れこんだところに、心の中でそりゃぁもう盛大な謝罪をしつつ、全力で急所を狙って蹴りを入る。相手の意識がそちらに集中したところに力の限り手刀を首に叩き込む。手刀なんて初めてだったが、場所を狙って力いっぱいやれば案外成功するらしい。
相手が倒れこむのと同時に、自分も痛みでその場に一緒にうずくまる。嫌な汗が全身を伝い暑いのか寒いのか分からない。体中が悲鳴をあげている気がした。
頭を振り、呼吸を早急に整え立ち上がる。急がなければ、所詮子供の力だ。いつ目覚めたっておかしくない。
とにかく君を連れ出さなければ。そんなひどい奴のところに君を渡すなんて絶対に嫌だ。君を連れ出して、それで…それから…?
子供じみた無鉄砲な我儘。だけど考えている余裕なんて無かった。

「俺と一緒に逃げよう」

決意を込めて、君に告げる。
どうせ君も俺も殺されるなら、最期くらい望むように生きても許されるだろうか。
物好きのドナーがこっそり教えてくれた、人気の少ない『隠しルート』。こんなかたちで使う時がくるなんて、あの時は思いもしなかった。
_9/11
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