端緒5
前編



ど、どうしよう。


夜着に着替えて皆がもう寝床についたと思われる時間に昨晩一緒に呑もうと思っていた酒を持って自室から出た俺は



左之さんの部屋の前で立ち往生していた。


昨日までなんか部屋の主に確認する前に室内に突撃する事も合ったというのに。

左之さんがあんな事いうから平然とできねぇよ


滅茶苦茶抱いてやるから


って…うわあああ
思い出したら恥ずかしくて顔面を両手で覆ってその場にしゃがみこんだ。
女じゃあるまいし言動ひとつひとつに翻弄されている自分が何だか気色悪い。

うぅと変な呻き声を上げながらはたと動きを止めた。

…でも左之さんは部屋に来いとか、はたまた俺の部屋に行くとか何も言ってなかったような…その場の雰囲気に流されただけかもしれないし…でも今晩て言ってたし…

あの後一くんとなんとか話し合いに持ち込んで落ち着けるのに必死だったから左之さんとあんま会話交わしてないんだよなあ…


よくよく考えれば約束など取り付けていない事に気づいて冷静になっていく。
左之さんはそういった相手の喜ばせ方に長けてるから。真に受ければ笑われてしまうかもしれない。

通じあった思いに有頂天になってただけならば滑稽な話だ。


「…やっぱり戻ろうかな…」
顔から手を離して、三角座りになった膝を抱えなおした。目の前に置いた酒の入った陶器を見つめながらそうぼそっと呟いた。


「なぁにやってんだ」
その声と同時に後ろからすっと腕が伸びてきたかと思うとふわりと俺の身体がすっぽりと大きい体に抱き込まれた。肩に何かのしかかってきたかと思うと頬や耳をよく知る赤髪がさわさわと皮膚を擽る。

「…左之さんっ!?」
驚いた俺はばっと横を見やる。
目の前の部屋の中に居るかと思われてた人物がまさか背後から現れるだなんて予想外で。そんな俺を他所に
左之さんは身体を震わせてくくっと喉で笑っていて。
その反応を見て自分の挙動を観察されていたんだと確信した。
声かけてくれりゃいいのに気配殺して身を隠してまでする事も無いじゃん!

「…覗き見とか悪趣味だぞ」
「悪ぃ。百面相してじたばたするお前が可愛くてな」
肩に押し付けていた顔を俺に向けて。
至近距離でそんなさらっと、目を細めて優しく、愛しむように見つめられて言われたらもうなにも文句言えないじゃん。
天然たらしって怖い。あぁでも本当憎らしいくらいの、優しい微笑みに毒気を抜かれてしまう。



「…んだよ戻んのか?」
思わず見とれて放心していた俺はぱちんと夢から覚めたように慌てて意識を現実に引き戻す。左之さんの視線から逃れる様に顔を反らせた。

「!…あ、いや…昨日呑もうと思ってた酒持ってきたんだけどさ、別に約束とかしてなかったし…その……」

「…ふぅん?」

しどろもどろになって何が言いたいのかよくわからなくなってきた。
左之さん相手に何でこんなに緊張するんだよ…!
心臓の鼓動がどんどん早くなって抱き込んでいる左之さんにこの音が聞こえてしまっているんじゃないかと、それくらいどきどきしていて。


駄目だこんな状態じゃとてもまともな会話すら出来なさそうで。
うう…情けないけど出直そう。

「…うん…戻ろうかなって思って…たとこ…っ!?」
ぐっと自分の身体が宙に浮いて。
地面に近かった視界がいきなり高い位置に持っていかれた事に驚く間もなく。
左之さんに抱き上げられていた。
ってかこれ、この抱き方…姫抱きとかいうやつ!普通女の子とかにする抱き方じゃねぇか!
何か言おうと思ったが

「帰すと思ってんのかよ?」

顔を覗きこみながら甘く囁かれて何も言えなくなった。顔を真っ赤にさせてぱくぱくと口を動かすだけみたいになってしまって
そんな俺を見て金魚かお前はって笑われたから肘でその引き締まった腹を小突いて。


両手は俺を抱えてるから襖を片足で器用にすっと開けるとそのまま部屋に連行された。








部屋の隅っこでがちがちに固まって正座をしている俺を見て

「おい…お前なぁ…そんなあからさまに警戒しなくてもいいだろ」
いつまでもそこから動かない俺に煮えを切らして。
持ってきた酒を徳利に注ぎなからふうと溜め息をついた。どうもさっき部屋に居なかったのは俺が寝酒を持ってくるのを読んでいたみたいで徳利と御猪口を勝手場に取りに行っていたらしい。
俺の行動ってそんな解りやすいのかな。


左之さんは自分の前に座れと畳をぱんぱんと叩きながら
「ほら、いい加減早くこっち来い。…さっきみたいに抱き上げて欲しいんなら話は別だがな」

あ、あれは恥ずかしいからもう御免だ!
そう思った俺は慌てて立ち上がると急いで左之さんの前に滑り込むようにして座り込んだ。

楽しそうにくすりと笑うと
「本当、飽きねぇな。」
よしよしと頭を撫でられて。左之さんにも言われたけど犬みてぇだって自分でも思った。




「安心しな。…今日は何もしねぇよ。」
「え?」

目をぱちくりさせて弾かれた様に左之さんを見上げた。
女にもてるし手の早い左之さんの事だからすぐにでも引き倒されるかとも思っていた俺は驚いて意外だと視線で訴えて、相手を見つめていたら苦笑いで返された。ぽんぽんと頭を叩いて。

「あのなぁ…お前は俺を何だと思ってんだよ。…まあ昼間はちょっと早急すぎたとは思ってるけどよ」

頭から手を離すとすぐ傍に置いてあった御猪口を手に取った。
それを俺に差し出すとおずおずと受け取って。

「今日の今日だしな…無理矢理身体繋げちまおうとか思ってねぇよ。…だからこっちで楽しもうぜ。折角酒持ってきてくれたんだからよ」

言いながら徳利を俺に向けてきたから受け取った御猪口を受け口に近付けるととくとくと酒が注がれていく。
それをなぜか口につける気にならなくて
自分の膝の上に留まったまま、ゆらゆらと波打つ様をぼんやり眺めていた。
左之さんは自分で酒を御猪口に注いで、口につけるとくいと一気に流し込んだ。

「…いい酒だな。」



「…」


左之さんに抱きたいって言われたから。
何か言われる度に、指先ひとつ動く度にびくりと心臓が跳ねて。
何を話したらいいんだろう。今までどんな話してたっけ?なんてそれは初恋でも覚えた少女の様な自分に似合わないもので。柄じゃねぇだろって思っても緊張が隠せなくて。



でも左之さんは抱く気は無いって言った。

俺の態度を見かねて気を遣ってくれたのは解るんだ。
でもこんなに余裕の無い俺とは正反対の相手の態度に
温度差を感じた。


…やっぱ男抱くなんて嫌なんじゃねぇかな。
女なんて選り取り緑の色男で。わざわざ俺を選ぶとかよく考えたらおかしい話だ。

注がれた酒を口に持っていこうとすると自分の情けない表情がうつって。
その顔にげんなりした俺は左之さんに次ぐように酒を煽った。

おかしいな…前呑んだときすげぇ美味かったのにな
全然味しねぇや。








空になった御猪口を見て左之さんは再度徳利をゆらゆら揺らして近づけてきた。
「ほら、注いでやるよ。」

そう言った左之さんを見つめた。
でも一向に器を差し出さない俺を不思議そうな顔で見つめ返されて。
どうしたんだよ?って聞かれたから。
首を横に振って。

「…ううん、もういいや。俺部屋に戻るな。…その酒左之さんにやるよ。」
新八っつぁんには内緒にしてくれよなってつけ足してへらっと笑って見せた。


有りがたいことにさっきまで浮かれていた気分など綺麗さっぱり無くなって頭が冷えた。
経験豊富な遊び慣れしている不自由もしていない。そんな男が自分と夜を供にしたいだなんて切望する訳無かった。考えたらすぐ解る事だったのに。



立ち上がろうと膝を立てた。
瞬間俺の腕を引っ張るようにぐいっと捕まれた。

何をするんだという視線で相手に訴えればさっきまで柔らかい表情をしていた左之さんの表情がどこか鋭利なものに一変していた。怪訝に思われたんだろう。

「…どうしたんだよ?」

目がちっとも笑っていなくて。真剣な表情を向けられて身体が怯んだ。
それでも今はこの部屋から早く出ていきたかった。

「なんか…空きっ腹だったせいかな。酒が回って気持ち悪くて…弱くなっちまったのかなあ。」

適当な事言ってははっと笑って。今日の俺こんなんばっかりだな。と考えると溜め息をつきたくなった


「一杯しか呑んでねぇだろうが」
適当な俺の言い回しが癪に触ったのか
だんだんと怒気が含まれていくのが解る。
捕まれた腕にも力が入ってきたから。
怒ってるのに、少し痛いのに。

引き留められたことに喜んでる自分が居た。
でもそれだけでもういいやって思ってしまった。
多少の気には留められているって分かったから。
そんな下らない事に嬉しいと感じた自分が阿呆らしい。

「そうだけど…俺の口に合わねぇみたいだから気に入ったんならやるよって言ってんの。」


「…そうかよ」

掴んだ腕はそのままに左之さんは徳利から直接ぐいと酒を口に含んだ。
もう、離してくれてもいいんじゃないかな。
捕まれている手首がだんだん痺れてきたからもういっそ力任せに振り払おうかと思った矢先物凄い力で左之さんの方に引き寄せられて

「…!?っ…ん、…んんっ!」

引っ張られた腕は左之さんの背中に持っていかされて、腰を力強く引き寄せられた。
唇を合わせられたかと思うと少し半開きだった隙間から生温い液体が流し込まれる。
勿論そんな突拍子も無い行動に思考がついていくはずもなくて。でも溢してはいけないと何となく条件反射でこくりとそれを咀嚼する。

「ーン…っ…んぅ…っふ…」
溢れて口の端からつう、と零れて伝っていき鎖骨を濡らした。襟元も濡れて少し気持ち悪い。
お互い酒まみれになった口内をぴちゃぴちゃと音を立てて舌で吸いあって絡めて。酒一升呑むより酔ってしまいそうな手練れた甘い接吻に頭がくらくらした。


「…美味そうに呑んでんじゃねぇか。」
「…っ!」

金色の瞳が優越に細められて、口許から伝い流れていたそれを舌舐めずりするように嘗めとるその様は獲物を前にしてこれから蹂躙する事に馳せる獣の様で。

感じた危惧感から反射的に両手で相手の身体を押し返した。

「…何で…こんな事ばっかすんだよ…」
「平助?」
感情が高ぶって、心臓が苦しくて。
絞り出すようにそう言った。



「さっきから何なんだよ…勘違いさせるような事ばっかり…からかって楽しいかよ!俺が左之さんの事好きだからって…何してもいいとか、都合いい相手が出来たとか優越感に浸ってんじゃねえの!?」

ただの八つ当たりも甚だしい。
自分の思いのままにならないから子供みたいな癇癪起こして。相手の優しさを無下にしている事。
頭の角では解っている筈なのに、堰をきった思いはどうも止まらなくて。

「…何言ってんだお前は。んな訳ねえだろ。」

左之さんは馬鹿にするでもなく、真剣に俺を真っ直ぐ見据えていた。


冷静な左之さんと対照的にはぁ、はぁ、と息を切らしていた俺はその視線とぶつかった瞬間
このまま感情的になっては駄目だと。
目をつむって荒い呼吸を落ち着けようと。



左之さんは言いたいことがあるなら言えって言ってた。
だから、少しでも自分の思いをさらけ出してしまおう。

はあ、と最後に大きく息を吐いて

少し間を空けてゆっくりと口を開いた。





「…俺…さ、すっごい緊張してたけど…昼間も、触られんの…その、嬉しかった。左之さんは女なんて腐るほどいるから…男の俺でも欲しがってくれてんのかなって思って嬉しかったよ。」

左之さんは黙って俺の言葉を聞いていた。


「だから…抱きたいって言葉期待しちまった。左之さんは相手なんかいくらでもいるの分かってんのにな。…真に受けた俺が馬鹿だった。欲しがってたのは…俺だけだった。」




「ああ…そりゃ馬鹿だな」


あっさり肯定されてぐっと唇を噛んだ。

掴んだままだった手首と逆の方の手首も掴まれてそのまま後ろに押し倒された。頭を床に打ち付けられてじんと少し痛かった。

床に縫いつけられて覆い被さられて、
夜伽を彷彿とさせる態勢を取られてももう何も思わない。左之さんは俺と抱き合いたいなんか思ってない。


「…離してくんねえ?…俺なんか抱く必要無いだろ」

目の前にある鋭い視線を纏った相手を諦めきった様に見つめた。さっきまでならどきどきして相手の顔すらまともに見れなかっただろう。
でも自分の身の内を明ければ明けるほど余計に心が冷えてしまっていて。




「いや、抱く。」
「…もう、いいよ。…嫌々する事じゃねえし。したくなったら左之さんの好きな時でいいから、もう期待させないでくれよ。」

こんな雰囲気のまま雪崩こんでも、空しいだけだ。
相手にも求めてほしいだけだったのに。自分ばかりがこんなに欲しがって、そう思う事も、慣れている左之さんにとっては理解出来ないだろうな。


「…分かってねぇな」
左之さんは掴んだ手首を引っ張ると自分の下腹部に持っていった。
そこは布越しでも解るくらい固く張り詰めているのが指から伝わってきて。思わずびくりと手を引っ込めようとするが相手にそれを阻止された。

そんな包み隠さない行動にかあっと冷めていた熱が顔に集中して唇があわあわと震えた。

「…抱きたいに決まってんだろ。今すぐにでも犯して哭かせてぐちゃぐちゃにしてやりたいくらい。」

物騒な物言いに背中に嫌な汗をじわりと感じたが
「…じゃ、じゃあ何で」
「お前が俺の事信用してねえからだろうが。」

きっぱりと
そう言った左之さんの顔はちょっと拗ねてるような、何だかさっきまで見せていた色気たっぷりな大人の表情じゃなくて子供みたいに幼く見えた。

「…へ?」
「千鶴の件もだが俺に警戒して近寄って来ねえし、他の女引き合いに出してくるしな…そんなんで組み敷いたらお前絶対身体目当てだとか思うだろ。」

俺の額を自分のそれでこつんこつんと何度もぶつけてくる。痛いってば。


俺の言動が裏目に出てしまったのか
そう思うと少し罪悪感が沸いた。
「だからな…少しは我慢しようかと思ったんだが…杞憂だったみたいだな。」

にやり。もうそんな効果音が聞こえてきそうなくらい
歪んだ人の悪い笑みを浮かべた左之さんに汗がぶわっと吹き出した。すっげえ嫌な予感がする。


「…あ、あの、左之さん…?」



「滅茶苦茶抱いてやるって言ったよな。…1回や2回で終わると思うなよ?」

え、それって回数の事なの?
と突っ込むことは許されなかった。
掠めとるように唇が重ねられたから。
思わず指先がぴくりと動いたが手首は相変わらずがっちりと、床に縫いつけられていて上からのし掛かられていてもはや身動きひとつ取れない。
おそるおそる相手の表情を見やれば喉がごくと音を立てた。
狩りをするかのような獣を彷彿とさせる、欲に濡れた双瞼は金色にぎらついて俺を捉えて逃がさない。


「俺がどれだけ本気で欲しがってんのか分からせてやるよ」


ぺろと俺の下唇にまだ付着していた酒を舐めとった。
それはまるで味見でもするかの様に。

この人の本気とやらに火をつけてしまった自分の言動を後悔するまであと少し。



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