端緒3





左之さんは急ぎ足で部屋に向かった。 
歩幅が明らかに違う俺だと完全に引っぱられているような形だ。 
笑いながら見てる隊士も居てる。 
しかし本人は回りの事なんて一切気にしてないようだった。 

自室まで来ると襖を開け部屋の中にぐいっと腕を引っ張り、押し込められた。うわ、と小さく声を漏らしてしまった。 
後ろ手で襖を閉めきられてぎくりとする。 

完全に二人きりの空間が居心地悪い。 
左之さんは出入り口を塞ぐように立ちはだかってて逃げるのは無理だ。 
どうしよう。 

そんなことを考えていたら左之さんがはぁ、と長い溜め息をわざとらしく吐いた。 


「お前、いっつもそうだよなぁ。」 
「…何がだよ」 



左之さんの声色は柔らかだった。 
からかうようないつもの様な。 
張り積めた空気が柔和なものに変わっていく。 

やっとそこでおそるおそる左之さんと視線を合わせた。自分の事を軽蔑した目で見ていないかと先程は視線を合わせられなかったが、 
俺を見る目はいつもの左之さんだった。 



「失言多いくせに、本当に言いたい事や聞いてほしい事は絶体言いやがらねぇ。」 

さっきもそうだと 
俺に近づいた左之さんが俺の頭を軽く小突く。 
ちょっと痛い。 


痛いけど 
何故か今の俺にはただそれだけの事が嬉しくて、でもそれ以上に切なくて寂しくて胸が苦しくなって、 
またも涙腺を刺激する。収まったと思ったのに 
今にも溢れそうなそれを押さえて左之さんを見上げた。 
俺の表情を見た左之さんの表情が急に苦しげな、何か耐えるようなものに変わっていった。 

何かしてしまったのだろうか。 

「もう一度言ってくれ。」 


「左之さん…?」 


「…忘れろとか、ひでぇ事言うなよ。」 


頬を両手で優しく挟み込まれた。 
すると左之さんの顔が近づいてきた。 
それは、ゆっくりした動作だった。なのに俺はその間瞬き一つ出来ずにいた。 




そんな緩やかな動作で唇を重ねられた。 

「…ん…んっ」 

そこからじわりと全身に熱が浸透して動けなくて。 
麻痺したみたいに。 




その痺れるような熱も 
本来与えられるべき相手ならば良かったのに。 



色んな感情が胸いっぱいに溢れて混乱した。 
好きな相手に唇を寄せられて、喜んでいる自分を、期待している自分を。 
でも結局諦めている自分の感情がぐるぐると渦巻く。 



刺激されて耐えてた涙腺も決壊した。涙がボロボロ零れた。 


「は………んんっ」 
苦しまぎれに少し開けた唇からすかさず左之さんの舌が侵入してくる。 

それと同時に頬から手が離され俺の後頭部に回されもっと深く、というように押さえつけられてもう片方の手は腰に回されてさらに体を密着させられる。 
何も考えられなくなってしまい呼応するように縋りつくように背中に手を回してぎゅと力を込めた。 
千鶴の事も忘れて。 



舌の熱さに驚いて怯んだが相手はお構いなしだった。逃げても追いかけて絡めてくる。 
何度も何度も同じところを撫でるように舌を刺激されてしまえば耐えられず自分もおずおずと差し出せば更に口付けが深くなる。 
「ん…んぅ…っ…」 
飲み込めない唾液を吸われて、時々甘く、優しく歯を立てられて、歯列を撫でられたかと思えば更に潜り込んで口蓋を尖らせた舌で刺激されて。 


激しい、 
全て奪うような口付けにぞくぞくと全身が栗立つ。引きずり出されてしまう欲に膝がかくかくと笑って立っているのも精一杯だった。でも、もっと欲しくなって。 


さのさん、さのさん 

ひたすら浅ましく求める。 
離れた唇から左之さんの熱っぽい吐息が肌を擽って俺は荒い息を押さえられず左之さんの名前を何度も呼んだ。熱に浮かされたように。 
涙も止まらない。全身が熱い。 


もう、無理だ。 
好き。 

溢れでる気持ちと連鎖するように背中に回した手に力を込めた。 
絶対に俺のものにならないのは分かっている。 
だから今は、 
今だけでいいから、これは自分の物なんだと思いたかった。 

決壊するこの思いをどうしたらいい。 
好きで、大好きで。 
欲しい。 





「好きだ。」 


はっきりと左之さんはそう言った。 
俺も今言いたかった。同じ言葉だった。 
自分の気持ちはちゃんと理解出来ている。 

同じ言葉なのに 
左之さんの言葉が理解出来なかった。 
自分に向けられるものじゃない筈の言葉だったから。 



「…え…、何…」 

何を言っているのだとその先は言葉にならなかった。 

後頭部に回されていた手が離れ 
左之さんの指が俺の口元の唾液をぐいと拭い、溢れていた涙を目元に唇を寄せてそれも拭った。 


「…聞こえなかったなら…何度でも言ってやるよ」 

甘やかな声色で、額同士がくっついている、そんな至近距離で好きだ、と、囁かれてびくりと身体が震えた。全身の血液が沸騰しそうに身体が熱い。 


「だから、平助…ちゃんと聞かせてくれよ。俺を好きだって…」 

左之さんの強請るような切ない声色に胸が鷲掴まれたように息が詰まる。ぎゅうとさらに、力を込めて俺を抱き込むと顔を俺の首筋に摺り寄せた。頬に当たる毛先と肌を擽る吐息にすら感じてしまう。 
普段誰にも見せること無いような甘えるような仕草にすら胸がどきどきと高鳴って。 




言っていいのだろうか。 

これで最後になるかもしれない。 
言おうが言わまいが結果が同じなら。 



「……好き…好きだよ…」 

これで終わらせようと。 



自覚したのはついさっきだけど。 
気付くのが遅かったけど。 
仕方の無い事。 
隠れたままの露見されることすら無かったはずの感情だった。 
でもこの傷もいつかは尊いものになればいい。 
今は痛くて辛いだけだけど。 






これ以上左之さんの腕のなかに居ると勘違いしてしまいそうになる。本当は千鶴じゃなくて愛されているのは自分だと。 

左之さんの肩に両手を当てて離れてくれというように押しやると左之さんはゆっくり身体を離したがその目はどうしたのだというように俺を見つめている。 

「駄目だろ。千鶴がいるんだから。だから、…少しでも俺の事を好きでいてくれて嬉しかったよ」 



精一杯の俺の強がり。 

少しでも、千鶴から奪えるんじゃないかと思ってしまった。 
滑稽だ。 
気持ち悪いと、軽蔑されてもおかしくないのに、更にその上を強請ってしまう倒錯した自分に愕然とする。 

勘違いしてしまいそうな行動を起こされて好きだと言われて唇を寄せられて。 
でも、結局は選ばれる事が無いのだ。 





もしかしたら、とか本当は、とか思わない訳じゃない。 
だから全部、 
芽吹いたものはもう埋めて二度と吹き返さないように 

「…ありがとな、左之さん。」 


淡い期待を絶ち切るように 
そう言った。 


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