お互い、雰囲気に飲まれただけだ。
きっとただ、それだけ。
劣情の月
「今夜は無礼講だ!みんな遠慮せず飲んで食べて楽しんでくれ!」
幕府のお偉いさんから何か言われたのか上機嫌の近藤さんと、その隣でため息をつきながらも、いつもの険しい表情とは違う柔らかい笑みを浮かべた土方さんが近藤さんを見つめていた。
総司もさすが近藤さんとか言いながらニコニコしていて。俺らの前じゃあんな無垢な笑顔見せねぇよな。
ん。千鶴は落ち着かないのかそわそわしてる。
「千鶴。大丈夫か?具合でも悪いのか。」
俺が気づいたと同時に真っ先に声を掛けたのは、左之さんだ。
相変わらず目ざとい。
「いえ。私何も皆さんのお役に立てていないのに…この様な場に御呼ばれしてよろしかったのでしょうか…。」
伏し目がちにしゅんと頭を垂れる千鶴の頭をぽんぽんと叩くと顔を覗きこみながらふ、と柔らかく微笑んで。
「何言ってんだよ。お前は充分頑張ってる…だから今この場に居るんだ。そんな顔すんなよ」
それに、と、付け加えて
「千鶴が注いでくれる酒は何倍も、何十倍も旨くなる。…な?役に立ってるだろ。」
ごふっ、
臭い台詞に俺は噎せた。飲んでた酒が器官に入って気持ち悪い。ごほごほと、涙目になりながら胸をとんとんと叩いた。
あー天然たらしって怖い。
案の定千鶴は真っ赤になって慌てて左之さんに酒を注いで目を背けていた。あ、手元見てないから御猪口から酒、溢れてる。千鶴。
左之さんは…御猪口を持った手が零れた酒でびしょぬれになっていく様を眺めながら苦笑いしてる。
そんな二人のやり取りを何となくぼう、と眺めていたら左之さんが不意にこっちに視線を向けた。目が合うと思わなくて、びくりと背筋に走る感覚を抑えて。思わず顔をふい、と背けてしまった。
「…?」
茶化す言葉すら一つも出てこなかった。いつもみたいに笑えなかった。
自分でもその行動の意味がよく、わからなかった。
「もー!!左之さん重いっつーの!」
あの後千鶴にひたすら酒を注がれまくった左之さんはいつも酔わないような酔い方でいい感じに出来上がってしまっていた。あんなこと言ったんだからそりゃ飲まない訳にいかねぇもんな。そのとばっちりを喰ってる俺って…。
千鶴は酒を控えている総司と先に一緒に屯所に帰っていった。総司も、最近気のせいか千鶴に優しくなった様な。
一くんは顔に出てねぇけど結構酔ってた。新八っつぁんにその鉢巻きの色が気に入らないとか全く意味のわからない理不尽な説教かましてた。
俺はもう帰るから後の事はもう知らね…。
何か今日は全然酔わねぇし。
一回り大きい左之さんを体にかついでずるずると歩きながら見上げた空に、綺麗な満月がぽっかり浮かんでいた。黄金に輝いてきらきらしてて。
それを見たときに、真っ先に思った
左之さんみたい。
「何が」
「…ッ!!」
びくっ
耳元に、吹き込まれた声に驚いたってもんじゃない。
心臓止まるんじゃないかと思った。
なぁ何が俺みたいだって
ってしつこく、まるで大きい犬みたいにじゃれて聞いてくるから気恥ずかしかったけど
観念して正直に話した。
「月…。あの満月、左之さんの、瞳みたいだなって思ったんだよ…」
顎でしゃくってぶっきらぼうにぽつとそう言うと左之さんは目を見開いて俺をじっと見つめてきた。
…やっぱり、綺麗だな。なんて見つめ返したら
その蜂蜜色がかった双瞼には今まで見たことの無いような熱を帯びていて妙な感覚を覚えた。
その視線に心臓がどくどくと異常な早さを刻んで脈動してるけれど。相手にそれを悟られたくなくて。
はっと現実に帰る。
「っていうか…起きてるなら自力で歩けよな!」
俺の肩にまとわりつく逞しい腕を振りほどこうとしたけれど相手はむしろ後ろから、離さないとでも言うかのように、俺の身体をぎゅうと抱き込んできた。
いつもの戯れ方とは何か違うものを感じて。
不思議に思った。
「…左之さん?」
左之さんは何も言わない。
俺の肩口に顔を埋めていたから表情が見えない。
急に動いたから気分悪くなっちまったのかな。
「大丈夫かよ?左之さん…」
屯所まではもうすぐだけど、もし吐かれたりでもしたらやだな。なんて思ったからとりあえず揺らさないでおこうと、立ち止まって左之さんの様子を伺ってみる。
「ああ、すまねぇな…平助。あと少し肩貸してくれ」
肩口に埋めていた頭を上げると、
苦々しい表情でそう言った。
「…うん?」
俺を抱き込んでいた腕を開放して、俺の肩に片腕を軽くかけてるだけの状態になった。巨体にのし掛かられていた圧迫感が無くなってこれで少しは楽に動ける。
屯所に着いたら左之さんを早く部屋に連れてって自分も早く寝てしまおう。
今日は何か変だ。落ち着かない。
そういえば満月って人を狂わす力があるとか聞いたことある。こんなに綺麗に照らしているのに、そう思うとどこか妖しくも感じる。
綺麗な華には棘があるとか言ったっけ。
似たようなもんなのかな。
屯所に着いた俺はとりあえず左之さんの部屋に向かった。適当に寝転ばせとけばいいか。
自分で歩く意思がない大の大人を引き摺るのはすげぇ疲れる。頭や腕をずっと乗せられていた肩が少し痛む。
襖を開けると真っ暗な部屋に月明かりが射し込んで。
それを頼りに覚束ない足取りで部屋の主を中に押し込もうとした。重い。
「…部屋着いたってば。左之さん…聞い…」
がたんと肩を捕まれていきなり壁に身体を押し付けられて。背中に痛みが走った。
痛みに呻いて反応できない隙を見て左之さんの長い腕は開いていた襖をぴしゃと閉めて。
射し込んでいた月明かりが遮断されて暗闇に支配されて、その密室で左之さんの瞳がぎらついた光を放っていて、ぞくと背筋を何かが這っていく。
「…左之さ…っ?…んんっ」
捕まれて痛む肩にさらに力を入れて無理矢理唇を塞がれた。まだ色濃く残る酒の香に鼻腔が擽られて突き抜けていく。
「ん、んぅ…」
顔を反らすことも許されないくらいの力強い接吻に
補食されるような感覚を覚えた。
壁に押し付けられている身体が軋む。
混乱する思考を引き寄せて相手の胸に手を当てて静止を求めるが微動だにしない。
伸ばしたその手をぐいと掴まれて、口付けたまま畳の上に引き倒された。頭を打たないように大きな掌が項あたりを支えて。
はぁ、と左之さんの息も少し熱くて、
欲を込めたその吐息が肌を燻って。
危惧を覚えた俺は何とか力を振り絞って顔を背けてその口吸いから逃れた。するとそれは音を立てて首筋に吸い付いてきた。ぬめる舌の感触に喉がぴくりと反応してしまう。
掌が、俺の襟口から侵入して直接肌を撫でてきた。
「ちょ…っやめろって!…っ誰と勘違いしてんだよ!」
明らかな欲を含んだ、女に向けるような触れ方を、振りほどこうとしても片手首を捕まれたままでのし掛かられていて身を捩るがそのせいで更にはだけた襟が俺の肌を左之さんに曝してしまって。
「…ッ!あ…!」
左之さんの指が胸の突起に触れて思わず上げてしまった声に慌てて口を結ぶ。
左之さんの息を飲む音が微かに聞こえた。
「や…だ…って…ん、…ん!」
抗議しようと開いた唇を塞がれて。
今度は舌を突っ込まれて、俺の舌に吸い付きながら絡めて唾液を送り込まれた。他人の熱が侵食する感覚に頭が麻痺してきて。
酒の香と相俟って、混乱しながら、抵抗しなくてはいけないのに。
捏ねられていた乳首を急にぎゅっと摘まんで引っ張って、痛みに近い快楽に腰が跳ねる。
「…っ、…ん!…っぅ」
甘い誘惑に流されてしまえと左之さんの与えてくる熱が唆す。
流された先に不毛の地しか見えないことは分かっているのに。
なのに
気持ちいい。
本当何だろこの接吻と愛撫。
捩じ込まれる舌も、唇の端から伝う唾液も、胸を弄くる指も、肌を撫でる吐息も全てが、熱くて蕩けそうな
感覚に身体が愉悦に震える。
目の前が霞む。ぐらつく。
「…ん…っ」
唇を離しても尚舌を伸ばして絡めて。名残惜しいように自分から追いかけた。
粘度を増した唾液が離れた舌同士を糸になって繋げた。
肌をまさぐる手が離れて俺の両頬を包んだ。
「もう、抵抗しねぇのか。」
「ぁ…っ…」
その、言葉に思わず顔を背けようとしたがぐいと、引き戻されて左之さんと目線を合わせるように固定された。
暗闇にもいつの間にか目が慣れてきたのか左之さんの表情を薄闇の中で微かに捉えた。
手を伸ばして相手の肩を
掴んでみるが。押し返す力が入らなくて震える。
それが快楽からか、混迷か、何なのかもよく分からない。
「…そんなんじゃ、すぐ喰われちまうな」
いつもと違う低く響く声が鼓膜に響く。
息も上手くできなくて、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
どくん、どくん。
心臓がうるさい。
「さの、さん…酔ってる…よな」
動揺に掠れる声を振り絞って。
問いかけた答えは。
「……そう、だな。」
望んでいたものだった、はずなのに
胸をちく、ちくと、鋭利な刃が浅く刺すような不愉快な痛みを感じる。
「…そっか。…たぶん、俺も…酔ってる…」
満月は人を狂わす力があるって、本当かもしれない。
左之さんの、綺麗で、それでいて情欲を孕んだ瞳が闇夜に浮かんでる、さっき見た満月みたいに妖しい輝きを放っていて。
目を離せなかった。
左之さんはもう何も言わなかった。俺も。
ただお互い快楽に溺れた放埒を求めて、暗闇と静寂の中に充満する熱に恍惚にまみれて貪りあった。
たまたま、側に居たのが俺で。
酒に呑まれたままの雰囲気に翻弄されて。
お互いの身体の高ぶりを鎮める為なだけで。
…でも…左之さんの与える熱が気持ちよくてほしいと思ってしまったから。
興味が沸いた。
流されてもいいか、なんて思ってしまったんだ。
後は…今日がたまたま満月だっただけ。
それだけの意味なんて無い一夜限りの、そのつもりの筈だったのに。