ジョン怒る/二人


ファーストネームがフラットから居なくなって、暫く経っていた。
何となく静まり返ったそこで、残された二人は暮らしている。


「分かった、すぐに行こう」
「シャーロック、事件か」
「...ああ、行くぞ、ジョン」


こうしてシャーロックとジョンだけで仕事をするのは、三人になってからよりも期間が長かったのだから本来なら何も違和感はないはずだった。
でも何か違う、とジョンは思う。
カブで移動して、現場でシャーロックのフォローをジョン一人でこなして、事件が無事に解決すれば二人きりで食事をする。
帰って来れば、昔のようにソファはちゃんと二人座りたい時に座れて、取り合いも起きない。
フラットにあたたかな陽がさしていてもそれを受け止めてきらきらする髪の持ち主はいない。
大事な大事な赤いマグカップも、今は食器棚で伏せられたままだ。
ファーストネームがやってくる前の生活に戻っただけで、当時だって退屈のない生活を送っていたはずなのに、何となく毎日が味気なく感じられた。
ジョンは最近全く使われなくなった自身の医療器具を見てため息をついた。
あの日のファーストネームの顔が目に浮かぶ。


「お兄ちゃんと、帰る...」


そう言って兄と共に実家へ戻ったファーストネームは今、何を思っているのだろう。
いつも傍らにいたファーストネームが突然ぱったりと目の前からいなくなったことで、ジョンは胸にぽっかり穴があいたような感じがしていた。
あの時のファーストネームの目や雰囲気がどうも引っかかる。
心配でたまらなくなって何度か電話をかけてみても繋がらなかった。
どうも携帯を変えさせられたようだ。
落ち着かない日々が続いていた。
あの日ファーストネームが連れて行かれるのを最後は止めなかったシャーロックに、ジョンは怒った。
ジョンは玄関口まで着いて行って止めようとしたが、シャーロックはソファから動かないままだったのだ。
音を立てて階段を駆け上り、興奮した口調でシャーロックに怒鳴った。


「おい、シャーロック、止めないのか?!ファーストネームが連れて行かれたんだぞ!」
「よせ、ジョン」
「なんで!ファーストネームは戻りたくなさそうだったじゃないか!それに彼女の兄はどこかおかしい!何というか...読めなくて、不気味で...君もそう思っただろ?!君のことだから兄の名前のことも分析したはずだ、だから――」
「でも最後は兄と帰るとファーストネーム本人が言ったんだ。"他人"の僕達にはこれ以上手出しはできないだろ」
「、...おい、シャーロック...本気で言ってるのか?君は...」


「本当に、そう思ってるのか...?」




二人だけの日々が続き、事件もいくつか解決していた。
ファーストネームがぱったりとブログに登場しなくなったので読者は不思議がっている。
ヤードの面々も、モリーも。
しかしシャーロックだけは、普段通りの彼だった。
否、ファーストネームが仲間に加わる前の彼に戻った、と言うべきだろうか。
マインドパレスに籠る時間や行き先の分からない外出をすることが増えたものの、日々事件だけを欲して退屈を持て余しているようだった。
ジョンは納得がいかなかった。
少しずつ、けれど確かに距離を縮めてきた二人だった。
本人達は自覚していなくとも、確実に特別な間柄に成り得る二人だった。
それが、何だ。
近くに居なくなっただけで、こうも何事もなかったかのようになれるのか。
納得がいかなかった。
しかしシャーロックにそれをぶつけようにもするりとはぐらかされ、彼の口からファーストネームの話が出ることはなかった。









そして、事が動いたのはそれからまた幾日か経ったある日のことだった。
いつものように依頼を受け、シャーロックとジョンは事件現場にいた。


「相変わらずファーストネームがいないな。どうした?」
「、ああ。ちょっと...休暇でね」
「こんな時期にか?」
「まあね」


レストレードは心配そうな顔をしていたが、それ以上ジョンに何かを問うことはなかった。
今回の事件は現場が異様で引っかかる点も多かったためシャーロックが呼ばれたのだが、
いざ蓋を開けてみれば彼の知的好奇心を満たせるような事件ではなかったようだった。
鮮やかな推理で凶器などを特定していく。
いつもならジョンはその手つきに見とれてしまうのだが、今はファーストネームのことがどうしてもちらついた。
相変わらずファーストネームとは連絡が取れないしシャーロックは何も動かないし(ファーストネームがいないことで無意識のうちに当たられるし)で、この頃は気持ちが不安定だったのだ。
よく平気な顔してられるな、と。
普段の冷静さを欠いて、ジョンは苛立っていた。


「ジョン、マドックだ」
「何」
「マドックが彼を殺した」
「マドック?彼は部屋の中にいたんだぞ、ガラスは外から割られてるし」


苛々と言葉を返す。


「簡単だ、ガラスの飛び散り方を見れば分かる」
「...でも、何故」
「原因は彼女だ」


シャーロックは、少し離れたところで座っている女性を指差した。


「彼女は被害者からDVを受けていた。マドックは幼馴染である彼女に好意を寄せていた。彼女が暴力を受けている事に耐えられなかった」
「、何だって?マドックが、彼女に?」


驚いてしまうような推理だったが、その後マドックの自供によりひとつも外れていないことが分かった。
ジョンでさえ気付きもしなかったマドックの好意にシャーロックは気付いていたのだ。
驚くレストレードに「当然だ」と根拠を示した彼に、先程かららしくもなく苛立っていたジョンの中で、何かが切れた。


「今日のはレベルをつけるまでもなかったな。帰ろう、ジョン...ジョン?」


ハア、と今までに聞いたことのないようなため息をついたジョンにシャーロックは不思議そうな顔をする。
どうにか怒りを抑えようとしているようなため息だった。


「...君は」
「?」
「君は、そこまで推理しておいて、まだ認めないのか」


静かな口調だが声は低く、怒りを抑えきれず震えている。
相当怒っているらしいと悟ったシャーロックは少し狼狽えた。


「ジョン…怒ってるのか?」
「ああ、そうかもな」
「何で」
「マドックの好意には気付くのに、自分の好意には気付かない?そんなわけないだろ!」


ジョンはシャーロックの胸倉を掴む。


「ジョ――「それとも恋愛感情なんて必要ないから無視してるのか?いい加減にしろよ!」
「お、おい、喧嘩か?とにかくジョン、落ちつけよ」


胸倉を掴む手をレストレードにはがされ、ジョンは息を荒げながらも少し落ち着いた。


「ファーストネームは連絡先まで変えられてる。分かるだろ?兄の名前は異常だ、こうしてる間にもファーストネームは心細い思いをしてるかもしれないんだ、」
「...」
「もうフラットメイトじゃないから関係ない?都合良く助手として使ってただけなのか?シャーロック、頼む。ファーストネームを助けないと」


今度は懇願するように言葉を口にする。
少しの間沈黙が流れ、そして、それまでただじっとジョンを見つめていたシャーロックはようやく、口を開いた。


「...何も動いてなかったわけじゃない」



0720.haco


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