キスの日前編 (た、大変なものを見てしまった……!) 徐庶は物陰で早鐘を打つ自身の胸を抑え、狼狽していた。 それは何の事は無い、諸葛亮と月英が仲睦まじげにくちづけを交わし、笑い合うという所謂夫婦であれば日常と言っていい程ありふれた光景だったのだが、彼らの場合はその限りではなかった。 ……ように見受けられたのでその光景は余計に衝撃が強かった。 (孔明でも、あんな風に微笑うことがあるのか……) 彼らの仲が良くない訳はもちろん無い。 だが、交わす言葉は多く、月英が諸葛亮を慕っていることは良く分かっても諸葛亮が月英をそのように愛おしく想っている様なそぶりは普段見る事などなかなか無く。 滅多に見る事のできない旧知の友の意外な一面に、思いのほか動揺してしまった。 (彼も人並みに、夫婦、できたんだな) 彼らの仲睦まじさに当てられてしまい、顔が火照って仕方が無い。 (……少し頭を冷やしてからもど) 「そんなところで何をしてるんだい、元直」 「……っひ!!」 すぐ横から思いもかけず声をかけられ、思わず情けない声が喉から出る。 慌てて声の主を確認すれば、そこに居たのはやはり旧友であるホウ統だった。 「な、なんだ、士元か。……おどかさないでくれ」 「そりゃあ悪いことをしたね。それで元直、なんだってお前さん、そんなとこに隠れて……」 そこまで言ったところで曲がり角の先に居る諸葛亮夫婦が目に入ったのか、ホウ統は合点がいったように頷く。 「ああ、あれ、見たのかい。お前さんも運が良いのか悪いのか」 「それは、褒めているのかい?」 「褒めている様に聞こえるかい?」 拗ねた様に僅かに口を尖らせる徐庶に、ま、珍しいもんが見れたんだから良かったと思いなよ。と続けてホウ統は笑った。 「見た方は当てられてちまってたまったもんじゃないけどね。お腹いっぱいだよ」 確かに、と徐庶も頷いた。未だ顔の火照りが抜けないのだ。 だが年下の旧友が幸せそうなのを見ることが出来て嬉しいのもまた事実で、 ホウ統もそうなのだろう。文句を言っているような態ではあるが目元は笑みを浮かべ、口調は柔かかった。 「しかし元直。恋人同士の事に首突っ込みたかないが、他人の見てそんなに真っ赤になってちゃナマエとのとき一体どうしてるのか、あっしは心配でしょうがないよ」 油断していたところに自身のことをつっこまれ、 いちいちこんな反応されてちゃナマエも大変だね。なんて続いた言葉など耳に入らず、収まってきた熱がまたカッと一気に顔に集まる。 「な、なん、ナマエと、って……!?」 「まさか……元直、お前さん達、まだ……一体あれから何月経ってると思ってるんだい」 「う……、すまない」 「あっしに謝ってどうすんだい」 ナマエとは、数ヶ月前晴れて徐庶が思い通じた恋人のことで、 彼女はホウ統の弟子のようなもの、であり恋人同士になるまで漕ぎ着けるのに随分と彼の世話になった。 あれだけ迷惑をかけてしまったのだ。彼が心配し、気にかけるのも無理はない。 だと言うのに、考えてみれば遅々として進んでいないナマエとの関係に、己の不甲斐なさを痛感し、自然と眉尾が落ちてくる。 「ま、二人の事だから口出しはしないがね」 元直には元直の歩き方があるんだしね。と眉を歪めた徐庶を慰めるも、でもね、とホウ統は続けた。 「ナマエが寂しい思いをしているかもしれない。ってこと、忘れちゃいけないよ」 その言葉はずしりと徐庶の心に響いた。 back |