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犬を飼う話


「あっ!いたいた魯粛殿ー!」
「こら!小喬ったら、待ちなさい!」

鈴の転がるような声に背後から呼び止められ振り向けば、大きく手を振りつつぱたぱたと走ってくる親愛なる上司の奥方と、それを諌めつつ遠慮がちにこちらに歩み寄る姉君の姿が目に入る。

「おや、これはお二方お揃いで。この魯子敬に御用がおありかな?」
「あ、ええ、あの…」
「あのね!魯粛殿が犬を飼い始めたって聞いたから撫でさせてもらおうと思って!」
「もう、小喬ったら、いきなりは失礼よ」
「えー、でもお姉ちゃんだって撫でさせて貰いたいでしょ?」
「それは……そうだけど、でもものを頼むには順序と言うものがあるんだから」

目の前で繰り広げられる姉妹の会話に微笑ましく思いながらも、魯粛ははて、と首を傾げた。

「大喬殿、小喬殿、俺は犬は飼っておりませんぞ?」
「えっ!」
「そうなんですか?」
「ええ、残念ながら」

事実を告げると目を見開いて驚き、心なしかしゅんと落ち込んでしまった二人に申し訳なく思いつつ、魯粛はいったいどこからそのような話が出たのだろうかと顎髭を撫でながら考える。

「うう……わんこ、撫で回せるの、楽しみにしてたのに……」
「むう、期待に添えず申し訳ない」
「あ、謝らないでください魯粛殿。わたしたちが勝手に勘違いしていただけなんですから」
「そうそう大丈夫!……ちょっと残念だけど。こっちこそごめんね?周瑜さまが言ってたから、てっきりそうなんだ!って思っちゃって」
「……周瑜殿が?」

□□□

もー!周瑜さまったら!嘘ついたら針千本なんだから!と戸惑う姉を余所に嵐のように去って行った小喬の話によれば、

「魯粛が厄介な犬を拾ってきた」

とぽろっと愚痴の様なものをこぼしていたのを聞いたのだとか。

(犬、……犬なあ、なんのことだかさっぱり掴めんのだが……)

ところが、いくら頭を痛めて考えたところで心当たりなど出てくるはずもない。
馬や支援獣ならまだしも、犬に接したことなどここ最近は全くないのだ。

(厄介……拾った……?)

しかし、何か引っかかる言葉がちらほらとあるのも事実。
どうも最近、まさに周瑜その人の口から出たのを聞いたような……

「ああ魯粛殿、探しましたよ。こんなところに……う、な、なんです?俺の顔に何かついてるだろうか」

細い糸を手繰るような思考を重ねていたところに声をかけてきたその男を視界にいれた途端、カチリとすべてが嵌り、思わず凝視してしまう。

(…厄介、拾った、犬、っ…な、成る程っ…)

と同時に、笑いがこみ上げてきた。

「ろ、魯粛殿……?どうかし」
「……ぶっ!!はっはっはっは!!っい、犬とはまた…っいっ言い得て妙な…っ!」

周瑜に犬と称された男・徐庶の手前なんとか笑いを耐えてみるも、おろおろと声をかけられてものの数秒で崩れてしまう。
何しろ言われてみて改めて、見れば見るほど徐庶のしぐさが犬のそれと重なって見えるのだ。
果ては耳や尻尾の幻覚までも見えてくる始末で。

完全にツボに嵌ってしまってとうとうその巨躯を折り、腹を抱えて本格的に笑いむせ始めた魯粛を前に、徐庶は何故笑われているのかと困惑顔で佇むことしかできなかった。


「ええと、落ち着きましたか?魯粛殿……」
「ふ、ふふっ…ちょっと待ってくれ、またぶり返しそうだ……」
「……訳もわからず笑われて、何だか心が折れてしまいそうですよ」
「はっはっは、いや、すまんすまん。馬鹿にしている訳ではないから安心しろ」

数分ほど笑い倒したあと、ようやく魯粛に思考する余裕が戻ってくる。
成る程、つい先日この徐庶を孫呉に連れ帰った時も一悶着あったが、まだまだかの人は根に持っているらしい。
そういえば、あの時も「君が責任を持って世話をしろ」と言っていた気がする。
あの時は言葉のままに受け取っていたがもしや……

「いやいや、しかし徐庶よ。これは前途多難だぞ」
「……何が、とはあまり聞きたくないのですが」

どんよりと言葉を発した徐庶に、まずはあの美周郎に認めてもらうところからだな。と魯粛はカラカラと笑った。


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