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秀長さまと高虎


「ふむ、しからば知行は……三百石、で如何だろうか?」
「……は?」

今目の前の御仁は一体全体何と言ったのだ、と藤堂高虎は信じられない心地であった。
自分のようなとるに足らない身分の者に、そのような破格の知行を端から約束するなど、前代未聞だ。
確かに高虎は武働きに関しては自信があったし、以前の主の元では空きが出ての埋め合わせとはいえ、母衣衆に任じられたほどで、それなりに名が通ってきているのかも知れない。
だが、それにしたって百石も貰えれば良い馬も養うことが出来十分以上と言うところを、目の前の男、羽柴秀長はその三倍の三百石で高虎を召し抱えたいと、そう言っているのだ。
しかも秀長は、これまで高虎が仕えた主君達とは違い、城持ちでもなければ大名でもない。知行もそう多くはないだろうにその中から三百石を高虎に差し出すと言う。
これが驚かずにいられるか、正気の沙汰とは思えん。
と高虎が半ば唖然としていると、その沈黙をどう取ったのか、秀長は眉を下げ困ったような顔をした。

「ううむ、矢張り足りなかっただろうか。しかしながら今のわしではこれが精一杯、確約は出来ぬが、これから先の……」
「お、お待ちください秀長殿!逆に十分すぎるほどです。しかし、その、三百石という禄に、俺のような者は到底見合うものではないかと」

高虎が戸惑いながらそこまで言うと秀長は先ほどまでの困り顔から一転し、穏やかな笑顔を浮かべる。

「つまり、それだけ藤堂殿、わしはそなたに期待をかけている、ということにござるよ。そなたなら旗本三人分、いやそれ以上の働きができるであろう。と」
「それは、いささか買い被りすぎというものではありませぬか」

確かに期待どおりの働きをするだけの自信はある。立身出世への野望もある。
自分を評価してもらえるというのは素直に嬉しい。だが、自分というものを召し抱えて見極めてから、というのならまだしも、初めからこれでは少し重すぎやしないか、
俺という人間を良く知らずにこのような判断を下すこの男に果たして高禄に釣られてほいほいついて行っても良いものだろうか、
それにこの男は―――

「……藤堂殿は、わしの兄をご存知だろうか」
「……っ!」

まるで己の心を読んだかのような言葉にはっと目を見開く。
目の前の男は穏やかに微笑んだままであった。

「羽柴……秀吉、殿でございましょう」

ああ良く知っているとも、と高虎の胸中に苦い思いが渦巻いた。
羽柴秀吉と言えば、高虎の初めての主、浅井長政を死に追いやった張本人である。
そう、目の前の男、羽柴秀長はその羽柴秀吉の弟なのだ。

「おそらく、藤堂殿は我が兄を良く思ってはいないのであろう?そなたの初めての家、浅井を滅ぼした仇なのだから」

秀長のその言葉に高虎の胸中にはこの俺のことをそこまで知っていたのか、という驚きとそれを知っていて何故俺を、という思いが去来する。

「実を言うと藤堂殿、わしは今日、そなたはわしに会うのを断ると思うておった、故に、こうして合い見えることが出来て本当に嬉しく思うし、このまま帰す気は毛頭ないのだ」

わしは、と秀長は続ける。

「兄上に、天下を取っていただきたいと思うておるのだ」

その顔からは先ほどまでの穏やかな水面のような笑みは失せており、その奥に秘められていた熱い思いがむき出しにでもなったかのような光をその瞳に湛えていた。
その純粋な光がかつての唯一無二の主、長政にも重なって、高虎の心は大きく震えた。

「兄上は常々、この乱世を皆が笑って暮らせる世にしたいと言っておられる。わしも同じなのだ、兄上のつくる皆が幸福に笑える世が見たい」

だが、とそれまで熱を持って語っていた声が途端に落ち込む。

「兄上は今や、織田家中の内では重臣も重臣、そのような兄上の家臣であるには、……兄上を天下人に押し上げるには、わしには足らぬものが数多ある、武も、そのひとつよ」

武士としては情けない限りだが、と自嘲したように続ける。

「藤堂殿、そなたが織田信澄様の元を出奔したのは、母衣衆に抜擢されるもその時分の禄では肝心の馬を満足に養う事が出来ず、それでは母衣衆としての役目を十分に果たせぬ故加増を申し出た所、断られたから、だと聞いておる。その話を聞いたときに、思ったのだ。そなたの才は武のみに非ず、と」

この方は、俺のことをここまで調べ尽くしておられたのか、とまた高虎は驚嘆し、認識を改めた。

「武のみの男が、即座に己の禄を計算し加増を申し出る、などということが出来るはずもない。わしが今まさに必要なのは藤堂殿、武も知も備えたそなたのような男なのだ。そなたに、わしの至らぬところを補って欲しい。兄上を厭うておることは承知しておる、その弟であるわしに仕えるというのはそなたにとっては複雑なことやもしれぬ。だが、そなたの才を存分に振るうことができるだろうことだけは必ず約束する。だから、だからどうか、わしとともに戦ってくれぬか」

必死の色を濃くしたその声音に、高虎の心は強く打たれる。
ああこの方は、始めこそ顔色ひとつ変えずに冷静沈着な振りをしていたが、その実なりふり構わず必死だったのだ。
あの高禄の提示はその現れだったのか。

この、長政様にも似た純粋な光をもつお人ならあるいは―――

秀吉に間接的に手を貸すことになるのは癪だが、この方ならば。
俺の才に期待し、更にはどうしても必要なのだと欲してくれている。このような方に仕える事が俺の夢ではなかったか、この方の期待に応えられずにになにが武士か。

この方を守って差し上げたい。支えになって差し上げたい。
そんな衝動が高虎の内に湧き上がった。

「……秀長殿の思い、よくわかりました。謹んでお受けいたしましょう」

姿勢を正し、首を垂れる、が、秀長は何も言葉を発しない。
不審に思って頭を上げてみると、信じられない。とでもいうように目を丸くして口を半開きにした秀長の顔が目に入った。
あれほど熱心に口説いていたのは秀長自身だというのにそのような顔をするとは、と高虎は少しおかしくなる。
ああ本当に、放って置けない御仁だ。

「如何なさいましたか、秀長様?俺を雇ってくださるのでは?」

高虎が笑い交じりにそう言うと、秀長ははっとしたような顔をしたのちに

「いや、その、そなたはとても頑固な男だ、と聞いていたものだから、こうもすんなり話を受け入れてもらえるとは思っておらなんだ」

もっと長期戦になるものとばかり思っていたものだから、ついつい呆けてしまった。と秀長は照れたように頭を掻きながら笑う。

「ええ、その噂の通り、俺は意固地で融通の利かぬ頑固者でございます。早まりましたな」
「いや、きっとわしの目に狂いはない。これからよろしく頼むぞ、高虎」

嬉しさを隠しきれぬ子供のように破顔した新しい主を見て、早くも自分の選択は正しかったのだと高虎は確信した。


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