さっきから時計の音だけが部屋の中に響き続けている。それ以外は無音だ。ここは小さな島とはいえ、それなりに住人もいるので、昼間ならば外から遊び回る子供の声や談笑する人々の声が聞こえてきてもおかしくない。けれども今は、そんなものはまるっきり存在していない。なにしろ窓から見える空の色が深い闇の色になってから、もうゆうに数時間は経っている。
 時計の短針が十一と十二のちょうど中間辺りを指していることを確認して、私は溜め息をついた。向かいの椅子に座っている子供は、生まれてこの方時刻など気に留めたことのないような顔で自分のポケモンと戯れている。

「あのさ」
「うん」

 声をかけてみると一応返事は返ってきた。それにしても「うん」とは何事。何が悲しくて一回り以上年下の相手にそんなに素っ気ない返事をされなければならないのか。せめて敬語を使ってほしい。

「なんでここにいるのよ」

 至極まっとうな疑問をぶつけてみると、そこで初めてリーフは顔を上げた。
 どうしてそんなことを聞かれたのか本気で分からないというように、きょとんとこちらを見ているのが小憎らしい。いつもかぶっている帽子が今は膝の上にあるせいか印象がやや変わって見える。もっとも多少顔が幼く見えた所で、こいつが子供にあるまじき図太さとずうずうしさを兼ね備えていることには変わりがなかったのだけれど。

「いや、暇だったし」
「あんたが暇でもこっちは暇じゃないのよ。こちとらご多忙な四天王なわけ。分かる?」
「カンナさん暇でしょ。ワタルさんが別地方に里帰りするからリーグはしばらく休みって聞いたけど」
「……誰から」
「シバさん」
「あの筋肉バカ……」

 頭痛に見舞われて額をおさえている間に、リーフはまたポケモンの相手をするのに戻ってしまったらしい。にこりともせず無表情でサンドパンの頭を撫でるその様子を見ていると本当にトレーナーなのかという疑問が浮かんでくるけれど、サンドパンの方は目を細めていて大層幸せそうだから、これがいつも通りの彼女達の日常なのだろう。少なくとも、彼女がリーグを勝ち抜けるくらいに凄腕のトレーナーであることは確かだった。
 残された私はまた息を吐く。どうして来客の方が当然のような顔で居座っているその横で、部屋の持ち主が居心地の悪い思いをしなければならないのだろう。
 確かに私がこの子に恩があることは間違いない。いつぞやのロケット団騒動の時はなんだかんだで手伝ってもらったし、そもそも彼女が放棄しただけで実質的なチャンピオンは現在この子であるはずなのだから、形式上私達はこの子の部下ということになる。認めたくはないけれど。絶対に認めたくはないけれど。

 ひとまずは落ち着こうと私は席を立ち、台所へ向かった。何を言っても動きそうにはないけれど、さすがに日付が変わる前には帰ってくれるだろう、多分。そもそもこちらが意識しすぎるのが一番いけないような気がする。腐っても一応この家の主人なのだから、慌てずに構えていればいいだけだ。そんなことを考えながら、戸棚からいつも使っているカップを取り出す。
 珈琲を淹れるための湯を沸かそうとケトルを火にかけた瞬間、無意識のうちに自分が用意したカップがふたつであったことに気付いて、我ながらうんざりした。






「カンナさんが優しいからかな」

 自分の中で色々と葛藤しつつ結局二人分の珈琲を淹れてからテーブルに戻れば、リーフが思い出したような口調でそう呟いた。意味が分からないままにとりあえずさっきまで座っていた席に腰掛けると、リーフはピッチャーのミルクを少しだけ垂らしてスプーンでかき混ぜる。砂糖を入れようとしない所がまた腹が立つなあと思いつつ、私は何も加えないままの濃い珈琲を喉に流し込んでから口を開いた。

「意味がわからないわ」
「なんでここにいるのって訊かれたし」
「……答えになってないわよ。大体氷使い捕まえて優しいとか、よく言うわあんたも」

 頬杖をついてそっぽを向いてやる。生憎と誰かから優しいなんて言われた経験は今までにないので、おいそれとは信じまい。

「ていうか、本当に帰りなさいよ。親も心配するでしょ」
「んー……まあ、そうだね」
「珍しく歯切れ悪いのね。仲良くないの?」
「そういうわけじゃないけど」

 リーフは一口珈琲を啜る。正確な年齢を知っているわけではないけれど、多分十を少し超えたくらいではないだろうか。無表情というよりは茫洋としていると表現した方が正しいその顔つきは、この年代の子供にはひどく似つかわしくない。少なくとも、私が子供の頃はもっとよく笑って、もっとよく泣いていた。
 やや幼く見えるとさっきは評したけれど、多分それは逆なのだろうとふと思った。いつもが大人びて見えるだけで、多分こっちが本当の彼女なのだ。そういえば彼女が帽子を取った所を見るのは、今が初めてだったりもする。

「お母さんは私のこと好きなのは分かるし、私もお母さんは好きだけど、どう付き合っていけばいいのかよく分からないし」
「どうって……普通に、親子らしくしてればいいんじゃないの」
「普通っていうのが分からないのかな。うち片親だし、幼馴染みはいるけどそいつも親いないから。お母さんが私のこと心配してくれるのは嬉しいけど、どうやって応えればいいのか、それがわからない」

 珍しくリーフはよく喋った。目線をポケモンへと向けて淡々と言葉を紡ぐその表情は一見いつもと何も変わらないけれど、サンドパンが爪の先でくいくいと彼女の服の裾を引っ張っている。多分心配しているんだろうということは目を見ればなんとなく分かった。
 リーフは堅そうなその額を一撫でしてから、今度は何かを考えるように黙り込む。まずはさっさと家に戻ることが先決なんじゃないかと私は口を挟もうとしたけれど、多分リーフが言いたいのはそういうことじゃないのだろうと思ったから、何も言わずに少し温くなった珈琲を飲んだ。

「と、いうわけで」

 沈黙を破ったのはリーフの方からだった。灰がかった茶髪を揺らして、勢い良く顔を上げる。

「今日は泊めてほしいんだけど」
「いみがわからないわ」

 本心からそう応えると、リーフは妙に真面目な目つきで私を見据えてきた。芝居のつもりでやっているのか本気の動作なのか分からないから余計に質が悪い。

「子供がこんな時間に一人でマサラまで帰るのは危ないと思う」
「どの口が危ないとか言ってるのよ……チャンピオンの癖に」
「色々と物騒な世の中だし。帰る途中に私に何かあったらカンナさんの責任ってことで」
「マセガキ……」

 なんとでも、と答えてからリーフは少しだけ笑った。ぽんとボールへサンドパンを戻し、座り直して身体をこちらに向ける。今しがたポケモンを入れたばかりのボールを華奢な手のひらの上でもてあそびながら、妙に不遜な様子で私を見上げた。

「ベッドはカンナさん使っていいよ、私椅子で寝るし」
「当たり前よ、さすがに寝床まで要求されたら叩き出すわ」

 私は頭痛のする頭に手をやりながら、珈琲のお代わりを淹れるべく席を立った。
 とりあえずもう何を言っても無駄のような気がしてきたので、相当の無茶を言われた時以外は流れに逆らうまいと決意する。現時点で充分無茶な展開に陥っているような気がしなくもないけれど、彼女と付き合っていくにはこれくらいのことは受け入れる度量が必要なのかもしれない。
 何だか妙に懐かれたなあと思いつつ台所でケトルを手にした瞬間、そういえば笑顔を見るのも初めてだということに気付いた。
 振り返ってみたもののもう彼女はいつも通りのすました無表情に戻っていて、私はこっそり「食えない奴」と口の中で小さく呟いてみせた。







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