どうしてこんなことに。

「おねえたまいけません。順には心に決めた相手がいるのです」
「ふうん、どんな子? ちょっと妬けちゃうなー」
「トップシークレットですねーそれは。ともかく順ちゃんは博愛主義者ですんで、おねえたまだけ特別扱いはできないんですよ」
「いや、さっきと言ってること食い違ってるし……」

 まーいいやと呟いて、祈さんは触れんばかりに近づけていた顔を離してくれたのであたしは少し安心した。年上のおねえたまはそりゃもう魅力的だけどその分怖いっていうのはこの間の乱奪りで嫌というほど思い知らされたばかりなので、出来れば超至近距離はご免願いたいのだ。当分は年下狙いでいきたい。
 無駄に広い図書館の一角に足を踏み入れた瞬間、ちょっとまずいなと思った。何しろこの場所は本棚に遮られて外からは見えない位置にあるというのに、そこにいたただ一人の生徒とばっちり目が合ってしまったからだ。これが夕歩だったらあたしは喜び勇んで肩を叩くし、綾那だったら華麗に尻を触りつつ何読んでるのーと本を覗き込む。けれども今夕歩は入院中で、綾那は部屋でゲーム。要は確実にその二人ではない以上、他の誰がそこにいてもおかしくなかったわけで。
 祈さんはひょいと首を傾けてあたしの抱えている本を覗き込んだ。何読むの? と聞いた時には既に表紙を見てる、この人。

「あら意外。いかがわしい本しか読まないものだと思ってた」
「どんなイメージなんですかあたしは……。ていうか、おねえたまの持ってる本は……なんつーかすごくそれっぽいですね」
「そう?」

 『我が闘争』『流刑地にて』『黒死館殺人事件』なんて取り合わせで同時に借りる女子高生なんて、結構希少価値高いんじゃないだろうか。どんな組み合わせですかと内心で突っ込みを入れつつ、あたしはこっそりと溜め息をついてみせる。
 別に今は星奪りでもなんでもなく、ただの昼休みの一時なのだから胸を張って堂々と美人な先輩との会話を楽しめばいい。それは分かってはいるのだが、微妙にあの乱奪りの記憶がちょっとしたトラウマ化しちゃってる感じだ。こんなことを言うと周りから笑われるかもしれないが、元々あたしは若干ビビリが入っているのである。とりあえずそのおかげで逃げ足だけは速くなったけど。
 複雑なあたしの内心を知ってか知らずか、祈さんはにっこりと笑う。あ、かわいい。がしかし、この眩い笑顔に騙されちゃいけない。

「それにしても、黒鉄さんといいあなたといい今年は面白い後輩がいっぱいいるのねえ。どう、もう一回くらい戦ってみない?」
「やーもしかして順と過ごした時間が忘れられない感じですか? 参っちゃうなー」
「まあ、私Sランだしあなたとは仕合えないんだけどね。今、どこのランク?」
「あーっと……C、ですねはい」

 あたしが答えると祈さんはきれいに整った眉をひそめた。どうでもいいことだけれど、そんな些細な動作のひとつひとつでもこの人がやるとやたら洗練されているように見える。
 そういった点ではどことなく夕歩と通じているような気がした。いいとこ育ちだとやっぱり違うんだろうか……と庶民中の庶民であるあたしは考える。

「Cねえ。ああそっか、天地両刀になった時にランク落ちちゃったんだっけ。早く取り戻せばいいのに」
「スロースターターなんですよ。追いつめられないと本気出ないタイプ」
「それ、本当にギリギリまで追いつめられた時の話でしょ? 基本的には積極的に向かってこられると弱いタイプね」
「……よくお分かりで」

 白旗を持っていたら間違いなく両手で掲げていただろう。よく見ておいでになられる。直球で飛び込みつつも常に退路を確保しようとするあたしにとって、のらくらと、それでも躊躇いなくこっちに向かってくるこの白服さんは相性がよくないことは明らかだ。別に大して重要な場面というわけでもないのに、思わず目線を走らせて退路を確認する。いや、念のためね。
 まだ昼休み終了までは時間がある。都合良く鐘が鳴ってくれるわけでもなし、やっぱりとっとと逃げた方が良いかもしれない。このおねえたまは美人だけど、話せば話すほどボロを出してしまいそうで怖い。
 三十六計逃げるに如かず。あたしは身体を半分捻ると、笑顔で左手をひらひら振った。

「それじゃおねえたま。これからデートの約束があるんで、今日はこの辺で」
「あらそう。私よくここにいるから、またそのうち会うかもね」

 追求されなかったことにかなり安堵しつつ、なるべくこの時間に図書館に来るのはやめようと固く心に誓う。びくびくしながら長い昼休みを過ごすのは性に合わない。図書館だなんて慣れない所にいないで、あたしはいつもみたいにがやがやした場所で騒いでればいいんだ。とりあえず今はさっさと部屋だのテラスだのに戻ってぐったりしたい気分だけど。
 さいならと心の中で呟いて踵を返す。もうちょっとで本棚を抜けるというところで、ご丁寧に背後からお呼びがかかった。

「ねえ、久我さん」

 呼びかけられて、反射的に方をびくっと跳ねさせてしまった。
 「な、んでしょう?」と振り返ると、祈さんはさっきと同じ位置に微笑を浮かべて立っている。ただ説明しにくいけれど、その笑いはさっきまでの笑顔とはまた違っているような気がした。口元は笑っているけれど大きな瞳はそうじゃない。何か別のことを言いたげに、別の意思を込めてあたしの方を見ている。
 怖くはない。

「黒鉄さんとか無道さんもそうだけど、あなたにもちょっと本気で期待しちゃってるのよね、私。私たちの所まで来てくれないかなーって楽しみにしてるの」
「……って、Sランってことですか。どーでしょう、おねえたまがご褒美くれるんなら順頑張っちゃうんだけどなー」
「あ、もっかい、今度は本気で戦うとか? 私はいいわよ全然」
「……や、遠慮しときます」
「あはは、嘘うそ。大体特別な事情でも無い限り白服同士も戦えないしね」
「そーですよぉ。言葉巧みに純情なあたしの心を弄ぼうたってそうはいきません」

 わざとらしく甘えた声を上げてみたけれど、祈さんはそれ以上は何を言うこともなかった。さっきまでの表情を崩してまたいつものように笑う。
 あたしも自分のことを基本的には笑顔が標準装備の人間だと思っているけれど、この人には遠く及ばないだろう。きれいに笑う子はあたしの周りにだって何人もいるけど、ずっと仄かな笑みを絶やさないようなタイプは知り合いの中にこの人を除いていない。

「引き止めちゃってごめんなさいね。年下のコと話すの、何だか珍しくて」
「いえいえ。じゃ、今度こそ順ちゃん退散しますね。良い昼休みをー」
「うん。入院中の本命さんによろしくねー。早く勝ち上がってきてって」

 再びくるりと踵を返した瞬間に何気なく投げ掛けられた一言を背中で受け止めながら、うん? とあたしは思った。
 さすがに今度は踏み出した足を止めることも振り返ることもしなかったけれど。やがて本棚の間を抜けて広いエントランスに出てからやっと、「なんだ」と声に出さずに呟く。

(やっぱりそっちもお見通しだったわけですか……)

 本当に、一筋縄じゃいかないお人。

 図書館を出る際、見てもいないくせに最後の祈さんの得意そうな表情が脳裏に浮かんできて自然と溜め息がこぼれた。相性云々もあるだろうけれど、あの人があたしよりも数段上手であることを充分に再確認させられた昼休みだったように思う。どっと疲れた気分だ。早いところ教室に戻って机で休みたい。
 廊下に出ると図書館独特の本とエアコンの匂いが消え、代わりに大勢の生徒が作り出すぬるい空気がむっと鼻っつらを押してきた。室温の差に顔をしかめ、涼しい場所を探すべく歩き出す。









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