彼女と私はつまるところ水と植物のようなもので、考えてみれば私が彼女に多少の苦手意識を抱いているのは当然なのかもしれなかった。悪人でないというのは分かる。実力も、多くのトレーナーに慕われるような人望も持ち合わせているのも分かる。しかしあのふわふわとつかみ所のない言動や、穏和極まりない人柄や、そのくせ時々何かを見透かすような妙に深遠な目つきになるところ-----------そんな諸々の事柄一つ一つが全て、私と相性がよろしくないことは誰の目から見ても明らかだった。
 嫌いではない。悪人どころか善人だということも分かる。でも私たちの関係は水と油ならぬ水と植物で、水である私はやっぱり彼女の考えていることがよく分からなかったのだ。
 もちろん、彼女が私のことをどう思っているのかということも含めて。











「……いつ来ても、ジムらしくないジムよねえここ」
「あら、そうでしょうか?」

 エリカはにこにこと笑っている。彼女は何かしらの形でいつも笑顔を纏っているように思う。能面みたいだとかそんなネガティブな意味ではなく、純粋に見る者に自然な好意を抱かせるであろう柔らかな笑みだ。ただ私に限ってそれは例外のようで、私は彼女の笑顔を見る度にほんの少しだけ身構えてしまいそうになる。
 私は分かりやすいものが好きだ。澄み切って、奥底まで覗き込めるような水のような相手が好きだ。こんなふうな表情をいつもされると、何かを覆い隠されているような居心地の悪い気分になる。

「カスミさんのジムも、大概だと思いますけれど」

 シャキンと音がして、しゃがみこんでいるエリカの手元から葉が一枚落ちるのが見えた。あちこちに植物が植えられたこの広いジムの中に、ジムトレーナーは今は一人もいない。今は深夜だから、それぞれ自分の家に帰っていることだろう。少なくともうちのトレーナーはそうだ。
 しかし誰もいないはずなのになんとなく誰かに見られているような気分になるのは、室内だというのに草木に囲まれているからなのか。剪定されて色形も良い植物ばかりで、おそらく日頃から丁寧に世話をされているんだろうなと分かった。
 今も木蓮らしき枝を整えているエリカの手付きには、おそらく植物への無償の愛が宿っている……ような気がした。
 
「そうそう、何の用件でしたかしら」
「連絡入れといたでしょ。今度のジムリーダーの集まりの日にち変更について。グレンのじいさんの都合が合わないから、予定日の一週間後に変更。分かった?」
「それを伝えるためにわざわざ出向いて下さったのですか?」
「だってあんたのとこのトレーナー、頭が春で話にならなかったんだもの」

 電話で済む用事ではあるが、問題はこのジムのトレーナーが明らかに使い物にならなそうな返事しかよこしてこなかったということだ。他はどうだか知らないが、電話を受け取ったトレーナーはエリカの気に充てられでもしているのか、言動が全く要領を得ない。挙げ句には今うちのジムのバラがどうのこうのなんて話題を出してくる始末だ。そう遠い距離でもなし、面倒臭くなって自分で直接言づてにやって来たのである。
 電話を受け取ったトレーナーに心当たりでもあるのか、エリカは口に袖を当ててふふ、と小さく笑い声を上げた。
 
「確かに、そういった話は聞いていませんでしたね」

 そうして、剪定ばさみを根元に置くとエリカは立ち上がる。いつも思うことだけれど彼女は何をしていても気品のようなものを纏っていて、それがどこか浮世離れした雰囲気を助長している一因ようだった。私は彼女の白い肌や日本人形のごとく整った顔立ち、漆黒の髪と瞳、袖口から覗くほっそりした手首なんかを見る度に、本当に彼女が自分と同じ人間なのかと疑ってしまいそうになる。何から何まで彼女は私とは違っていた。

「言づて、確かに受け取りました。ありがとうございます。奥でお茶でもいかがです?」
「いいわよ、すぐ帰るから」
「よろしければハナダまでお送りしましょうか」
「いやいや、なんでそうなる」

 思わず突っ込みを入れてしまう。この辺りは都心近くだから郊外に比べてやや治安が悪いものの、私が夜道を歩くことよりもエリカが夜道を歩くことのほうがずっと危険な目に遭う確率が高いように思えた。互いにポケモンが付いていると言えど、彼女は見ていて危なっかしいことには変わりない。けれどもエリカは少し首を傾けてこちらを見た。目の上辺りで切り揃えられた前髪が揺れる。
 
「何しろ夜道は危険ですからね」
「あんたが歩いたって危険なことには変わりないでしょうに」
「そうですねえ。けれど、一人より二人の方が安心だと思いません?」
「……なんかあんたと一緒に歩くと危険が倍増しそうな気がするのよねえ……」

 第一あんたがタマムシに帰る時はどうするつもりなのよ、と訊ねてみると、ううんと唸りながらエリカは頬に手を添えて思案するような表情になった。考えてなかったのかよ、と今度は内心で突っ込みを入れてしまう。
 私は彼女と同性なのだからこんな考えを抱く自分をどうかとも思うが、明らかに彼女を一人で歩かせるのは不安過ぎる。というか普段の生活ではどうしているのか。まさかどこへ行くにもお付きがいるとか、そういうわけでもないだろうに。

「あんたのそういうところ、やっぱりあたしにはよく分からないや」

 首を振って、私は入り口の方へと歩き出した。今何時くらいなのだろう、と私は思う。腕時計くらい持ってくれば良かった。気を引き締めるつもりで、ちゃんと腰にモンスターボールがあるかを手で確かめる。堅いボールがこつりと指に当たる感覚が、なんとなく私を安心させた。
 野生のポケモンだろうが変態だろうが来たければ来ればいい、私にはこの子達がついている。何を恐れることがあるというのか。

 ドアの前に着くと、「じゃあね」と言うつもりで私は振り返った。しかし振り返る瞬間、「おやすみ」の方が良いのだろうかなんて些末なことで迷ってしまったせいで一瞬出遅れてしまった。
 いつの間にかまた剪定ばさみを手にしていたエリカは、こちらを見据えて微笑んでいた。私が口を開こうとした瞬間、癖なのかまた小さく首を傾げてみせる。

「私は好きですよ、カスミさんのような方」
「……それはどうも」

 何と返せば良いのか分からなかったから私はそう答え、結局「じゃ、おやすみ」と無難極まりない挨拶をした。
 「はい、おやすみなさい」とエリカが答え終わる前に、ぱたんと軽い音を立ててドアが閉まった。


 ドアに寄りかかり、はあぁと大きく息を吐く。
 どことなく熱を孕んだ夜風に、剥き出しの腕を撫でられる。何だか一回外に出てしまうと、つい今まであったことが夢のように感じられた。
 タマムシでは街のあちこちに灯りがともっているせいで、今まで明るい室内にいたというのに辺りが見えないなんてことは全くなかった。その代わり、空を見上げてみても薄ぼんやりとした月が見えるだけで、星など一粒も見つかりそうにない。都会だな、と今更のように思った。彼女のイメージに合っているというわけでもないが、やっぱり私の住む街と彼女の住む街ははまるで違う。

「……よおし」

 自分に気合を入れる意味で呟いて、私はもう一度モンスターボールの感触を確かめると足を踏み出した。アスファルトを踏みしめ、夜のタマムシを歩く。
 これ以上夜が更けないうちに星の見えないこの街を抜けて、早くハナダシティに帰ろうと思う。







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