姉と弟と義兄

仁くんは何度も俺を呼んだが、俺は返事をすることができなかった。
何を言えばいいのかもわからないし、仁くんが聞きたいことを答える気もなかったからだ。
家に帰ってからも仁くんは動揺したままだったが、俺はうまく落ち着けることもできなかった。
ただただ、何もなかったかのように、いつもどおり過ごさせて欲しいと願っていただけだ。

***

高校一年生のとき、当時から男運が最悪だった姉が、泥遊びでもした後かのような格好で帰ってきた。
顔は無表情のままなのに、目からはボロボロと涙を零して玄関で呆けていた。
立ったまま動かない姉を見て、俺だってさすがにただ事ではないと思った。

「……どうした?」

ふっと近くに寄った時、姉から覚えがある臭いがして、顔を顰めた。
顔を顰めた俺を見た姉がさらに泣き、何があったのかは察するところだった。

「まだ父さんと母さん帰ってこないから」

そう言いながら姉の手を引き、制服のまま風呂場に押し込んだ。
少しぬるいぐらいの温度にしたシャワーを出し、無理やり姉の手に握らせた。
俺は姉の部屋から着替えを一通り持ってきて、それからは脱衣所でボロボロにされたカバンとカバンの中身を拭いた。
汚れた下着はカバンに詰め込まれていて、それは中が見えないように何重にも袋を重ねてから脱衣所の脇に避けた。
しばらくすると姉が声を上げて泣き出し、それを聞いていた俺はその行為が少し前まで付き合っていた男によるものだと察した。

「あんまり泣くと、顔が腫れるぞ」

大して大きな声も出さず、独り言を言うように姉に話しかけた。
姉が泣き止むまでどれぐらいかかったかはわからない。
今の彼氏に対して謝り、そしてまた泣き、姉がボロボロなのは明らかだった。
警察に行こうかとも思ったが、きっとそうしたところで姉は立ち直れないだろうと思った。
俺が殴りにいってやろうかとも思ったが、ボコボコにされて終わるだけで、それを見た姉はまた泣くだろうと思った。
姉は自由人で、両親を困らせてばかりで、勉強もスポーツも料理も俺よりもできないけれど、俺からしたらこんなことをされていいような姉ではなかったのだ。
いつだって話題の中心だったし、勉強ができないくせに受験勉強を手伝うっていって夜遅くまで俺に付き合って勉強してくれたし、コンビニに行くと必ず俺の分まで何か買ってくる優しさがある姉だったのだ。
それなのに、俺にできることは何もないと悟って、脱衣所で姉の声に紛れて泣いた。

「廉次」
「何」
「馬鹿な私に付き合ってよ」

すりガラス越しに姉がこちらを見ていることがわかり、重い腰を上げて風呂場の扉を開けた。
何もできないなら、せめて、馬鹿な姉に付き合おうと思ったのだ。

「私、今日危険日なの」
「……うん」
「あいつら、誰の種が当たるか、賭けてんだって」
「……うん」
「私は、あいつらの種が当たるぐらいなら、アンタがいい」

怒りを込めた目で、ボロボロと泣いている姉を見て、俺も泣いた。

「うん」

それからは何も話さなかった。
ただただ憎しみを込めて準備をして、姉は嘔吐をしながら、俺は歯を食いしばりながら行為に及んだ。
姉が今日、妊娠するのだとしても、俺の子であってくれと思いながら、こんなクソみたいなことをしたあいつらにざまぁみろと言ってやるんだと思いながら、ただただひたすら耐えた。
数回中に出した後、姉と二人で目を冷やしながら後始末をした。
この日に起きたことは、誰にも言えない、姉と俺の秘密だった。



その年、姉は妊娠をきっかけに高校を辞め、翌年の春に当時の彼氏と結婚をした。
生まれた子供は男の子で、予定よりも1ヶ月ほど早く生まれたからか、とても小さかった。

「か、可愛いー! あっ、こっち、見た見た! 仁くん、おじさんだよー!」
「弟くんは高校生なんだから、お兄ちゃんの方がいいんじゃないの?」
「なんでもいいかなって。こんな可愛い子におじちゃんって呼ばれるなら、それはそれで」
「ははっ。廉次は子供が好きだもんねー」
「子供は天使だよ」

仁くんは顔つきは姉に似ている気がするが、寝顔は旦那にそっくりだった。
なんとも不思議なものである。

「ママよりはパパに似るんだぞー」
「アンタ、それどう言う意味?」
「ほぅら、仁くん、見て見て。鬼のような顔でしょ? あんなのになったらダメだよー」

キャッキャと笑う仁くんには何も通じていないだろうけれど、楽しそうならそれでいい。
仁くんがぎゅうっと俺の指を握ってるから、姉のかかと落としからは逃げられないだろうけれど。



仁くんが三歳になり、姉も俺も地元を離れて生活をしていた。
この頃、あまり旦那とうまくいっていないとは姉から聞いてはいた。
だから姉が俺の家に逃げ込んできそうだとは思っていたけれど、まさか旦那の方が来るとは思わなかった。

「なぁ、少し話がしたいんだわ」
「はぁ……」

義兄とは特に仲が悪いわけでもなかったし、どうぞの一言で部屋に招き入れた。

「うわ、めっちゃ仁の写真あるじゃん」
「いやぁ、仁くんが可愛くて」
「すげぇな。俺よりも写真撮ってんじゃん」

最近言葉を覚え始めた仁くんからの電話を待つのが日課になるぐらいだ。
一緒に遊ぶ度に写真を撮り、よく撮れたものは部屋に飾ってある。

「なぁ、弟くんが仁を可愛がるのはさ、やっぱり自分の子供だからか?」

その言葉に血の気が引き、身体が固まったのは言うまでもない。

「悪い、やっぱり帰るわ」

義兄は部屋から出て行き、俺はその場に立ったまま、義兄を引き止めることもできなかった。
姉に連絡をしようにも、身体が動かなかったのだ。
それから一ヶ月程して、姉が仁くんを連れて俺の家に来た。
離婚の報告だった。

「まぁ、アタシもさ、黙ってるのがしんどくなって、あの人にいろいろ喋ったのが良くなかったわ」
「いや、そうは言っても、言わなくていいこともあるだろ」

実のところ、あの事件の翌月に、姉から妊娠していなかったこと報告を受けている。
念には念を入れて、生理の前後で妊娠検査薬を使っていた姉は、満面の笑みで俺にその検査薬を叩きつけたのだから。

「仁はさ、私に似てるじゃん? んで、私とアンタも姉弟だからそら似てるわけなんだけど、仁が大きくなるにつれてさ、アンタに似てくるのがどうしても引っかかっちゃったみたいで。仁は男の子だし、まぁ、私に似たらアンタに似てくるよね」
「はぁ……」
「私が予定日よりも早く仁を産んでるのもさ、アンタとのことがあった時に子供ができたからだと思ってたみたいでさー」
「そんなに不安なら遺伝子検査でもしたらいいんじゃねーの?」
「それも言ったけど、それをするよりも先に限界が来ちゃって」

姉はそう言いながら寝ている仁くんを見た。
仁くんには細い腕には似合わないギプスがついていて、手足には痣が多かった。

「酔うとさ、仁を殴るんだもの。俺の子じゃないって言ってさ」

きっと、その暴力の引き金になったのは俺が原因なんだと思う。
あの日、ちゃんと違うと俺が言えてればこんなことにはならなかったのに、俺にはそれが言えなかったのだ。
他人に秘密を知られていたことにショックを受け、姉がどこまで話をしたのかをわからないまま、何かを言うことができなかった。

「とりあえず、私は実家に帰るわ! 父さんと母さんにはがられると思うけど!」

怒られるって、姉が方言で言ったのは、戻ることを決めていたからだろう。

「実家に帰った時には、元気になった仁くんと遊ぶわ」
「ついこの間までプールに行きたいって言ってたから、流れるプールに連れてってやってよ」
「うん」

姉は寝ている仁くんを抱きかかえると、今日の最終便の飛行機に乗るからと言って手を振って帰っていった。
その姉の腕も痣だらけだった。
義兄は俺の沈黙を是として受け取り、姉と息子にあたったのだろう。
俺のせいだとは思えど、姉と仁くんをボロボロになるまで殴った義兄を許すことができなかった。

「大人なんて、ろくでもない」

自分に言い聞かせるようにそう言って、自分への罰だと、部屋に飾ってあった仁くんの写真を一枚残らず処分した。
次に写真を撮るときは、仁くんが元気になったとき、それからプールで遊んでいる瞬間の時だ。




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