>> 終わりなき螺旋 01





工藤は黒羽と共に、東都大入学から二年を迎えた。文系と理系という違いはあれど、一般教養の時点では大した差はない。首席と次席であった彼らは入学当初は面識がなかったが、ともすれば距離を置かれがちであった二人が行動を共にするのはごく自然なことであった。




「はーい、次物理」
「…黒羽、距離をおいて座ろう。物理ならオメーの隣は遠慮したい」
「工藤工藤、それはないでしょ。オレばっかループするじゃん」
「オレは知らん。オメーが教授に気に入られるようなことをするのが悪い」




一限の講義が終わり、人が移動してゆく。工藤は選択していないが黒羽は物理を選択していて、理系で受験した黒羽は物理で満点をとってしまったが故に教授から大変可愛がられていた。ほとんど全ての質問を黒羽に投げ掛け、また黒羽が律儀に全て答えるものだから二人で講義を展開しているようなものだった。そして時折隣の工藤にも質問を振ってくるから、うんざりするのだ。工藤は物理の単位を得る必要はないというのに。




「…オレ、図書館で待ってるとかあり?」
「いやオマエ、それはないでしょ。だってオレも古文出てんじゃん。名前も覚えられちまったよ」
「それはしょうがねーだろ。だってオメー首席じゃねー……ッ!」
「あーあ、工藤が首席だったらよかっ…え、工藤?オイ!工藤ってば!!」




どさり、と鈍い音がした。黒羽が振り返ると工藤が頭を押さえて倒れている。黒羽の頭は一瞬で真っ白になった。状況が飲み込めなかった。女のキャーという空気をつんざくような悲鳴が聞こえる。それでさえ現実味を帯びていない。今まで工藤は黒羽と話をして笑っていた。その笑顔が今では痛みに歪んでいる。




「ちょ、工藤?目覚ませよ!ちょっとアンタ!すぐ救急車呼んで!!」
「え、あ…」
「早く!!」




そう叫ぶ黒羽の声は僅かに揺れた。工藤は痛みに意識を失い、汗の迸る身体を地面に寄せぐったりとしている。感じるのは恐怖だった。工藤が死ぬかもしれない。それだけが黒羽を支配し、それが懸命に工藤の頬を叩かせる。しかし工藤の意識は戻らない。黒羽の恐怖は増幅し、新たな震えを生んだ。




救急車はそれから直ぐに到着し、黒羽もそれに乗り込んだ。工藤は苦し気ながらも微かに呼吸はしており、酸素マスクが顔に宛がわれる。蒼白だなんて程度では済まない色味をした工藤の頬が痛々しい。病院に到っても黒羽の指先は震えたままだった。工藤は手術されることになり、医師らしき人間が黒羽に会釈をする。けれどそれに会釈を返すほどの余裕が黒羽にはなかった。手術中という赤いランプが点灯する。これが消えるのが怖い。工藤の生死を確認するのが怖い。黒羽はじっとその赤いランプを眺めていた。睨むように眺めていた。




「…手術が終わりました。一命は取り留めましたが依然予断を許さぬ状態です。詳しい話をしたいのですが、お話はあなたにしてもよろしいですか」
「…ええ、オレが聞きます。彼の両親から頼まれています」
「…工藤さんの手術は一応は成功しました。倒れた直接の原因はくも膜下出血で、出血が酷く、意識の回復を望むのは難しいかもしれません」
「…くも膜下出血…」
「…はい。それから、出血の原因が脳動脈瘤でして、かなり大きくなっています。ですから、意識が戻っても麻痺が残る可能性も否定出来ません」
「……ッ!」
「残念ですが、端的に言えば、…最悪の状態です。本人にも自覚症状は少なからずあったはずですが…」




黒羽は足元から崩れていくような気がした。震えが止まらない。ふらふらと工藤の送られた病室に行けば多くの機器に繋がれた工藤の姿が見えて、分厚いガラスで隔てられたこの距離こそが生死の境なのではないかと感じた。もどかしい。温もりも伝うことのない無機質なガラスが冷たかった。




それから数日後、工藤は目を覚ました。黒羽は講義を全て休み工藤に付きっきりであったから、工藤の目に最初に映るのは黒羽だった。黒羽、と声を出そうとしても、工藤の口は思ったように動かない。掠れた呻きが聞こえたのか黒羽が声を上げる。声の代わりに手を伸ばせども腕は動かない。工藤の目の色に翳りが見えたのに気付いた黒羽は、抱擁の為に広げた腕をだらりと下げた。




「…動かない?」
「…ああ」
「右?左?」




工藤はベッドに寝たままひらひらと右手を動かした。同様に左も振ってみようとするが、僅かに布団が持ち上がるだけで力が入らない。沈黙が横たわる。黒羽は何と声をかけていいか分からず、工藤は急転した事態に思考が追い付いていなかった。理不尽な世界だと黒羽が唇を咬めども世界は変わらない。抗う術などないのだ。それが世界を統べる真理である限り、誰しも死を迎える。それに平等不平等などあろうものか。その基準は誰も持ちえない。




工藤はその晩泣いた。黒羽が帰った後に独りで。泣かずにはいられなかった。つい先日まで出来ていたことが起きてみれば出来なくなっているのだから。その後に工藤の傍にいたいから、という理由で黒羽が大学を辞めると言った時でさえ、そこまでしてもらう必要は無いと工藤は言おうとしたが言葉には出来ず、代わりに紙に書いたけれども黒羽はその紙をぐしゃぐしゃにして捨てた。何だか自分を否定されたようだと工藤は眉を寄せる。こうすることでしか意思を表示することが出来ないのに、黒羽はそれでさえも奪ってゆく。




「嫌だ。オレは工藤といたいんだ。なぁ、工藤、工藤、いいだろう?」
(オレにはオマエの真意が読めない)
「…怖いんだ、オレの知らないところでオマエが死ぬんじゃないかって」
(……)




オマエの知らない所で死ぬことはないよと言いたいけれども、決して死なないとも言えない。人間誰しも死ぬのだと至極当然の論理を展開したとて無駄だ。この沈黙せざるをえない重たい空気から離脱することは叶わない。窓からだらりと下がったカーテンが風に揺れた。白い部屋に染めたような青が付加される。




「…変かもしれないけど、オレは工藤の傍がいいんだ。オマエのいない日常は最早非日常だよ」
(…変なヤツだよ、本当に、オメーは)
「うん、今更」




太陽を背にした黒羽が笑うと、夏を目前にした爽やかな風が通り抜ける。眩しさに工藤は目を細め、左の手をきつく握り締めた。やはり右の手は、ピクリとも動かなかった。




 


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