>> 水絶えし地に花は咲かぬ





どうやらこの冬は寒かったらしく、花の綻びも遅かった。オレの家の庭にある赤い椿も、今年は雪に埋もれることなく咲いている。この椿を植えたのはオレが小学生に戻ってしまった時で、オレが再び17になったから、もうこの木とも10年以上の付き合いになる。そして共に木を植えたあの男とも。




「…アイツはいつ帰ってくる気なんだろう」




アイツももう27だ。結局アイツは怪盗としての仕事を終えられず、ボレー彗星が遠ざかった今でも赤い石を探している。オレはアイツが大学に入ると同時に毛利の家を出てこの工藤の家に越し、アイツと暮らした。それが続いたのもオレが中学に入るまでで、院を出たアイツは家を出たきり帰ってこない。それでも生きていると思うのは、定期的に届く白い手紙があるからで、どことなく白い怪盗を彷彿とさせるそれに未だオレと同様に偽りを纏っているのだろうと推測し安堵することもしばしばだった。これが歪んだ感情であることをオレは理解している。けれどもそれを抱かずにはいられない弱い自分も知っている。この人間のようでいて構造の異なる身体を持て余すオレに不安は影のように付き纏い、蝕み、遂には身の内までもを侵食した。灰原は心性のものであるのか異常な構造のためなのかは分からないと言ったけれど、実際はそんなことなどどうだってよいのだ。残りの少ない生に不安を抱き、自らと同一とも言える境遇の存在を求めることは実に自然なことであると思う。椿の赤い花弁がいつかは散ってしまうように。




「…今年もコイツは快斗を見ることは出来ないんだろうなぁ…」




水を与えずともこの木は育つようになった。まだほんの小さな苗木の時には水をやったり世話と呼べるようなこともしてやったが、今ではこうして大きく育った木を色付かせる花を眺めるだけだ。何だか親にでもなったみたいだった。もしかしたら両親もこんな嬉しいような寂しいような思いを抱いていたのかもしれない。アイツもオレの親代わりのようなことをしていたが、どんな心境だったのだろう。オレが毎日この赤い花を見るように毎日オレを見ていた快斗は、何を思ったのだろう。知りたかった。ただアイツのことが知りたかった。これは死に近付いたが故の感情だろうか。水も届かぬ根を未だ巡らせているからだろうか。どうにも足先が冷えた。




「…来年は快斗に逢えるだろうか」




この花が咲いたら帰ると言っていたのはもういつのことだろう。どれだけ経過しようともアイツは帰ってこなかった。待つのが辛いと泣いたのもほんの僅かの間で、それからはもう、泣けもしなかった。オレが何をしようともアイツは役目を果たさない限り帰らない。無駄な足掻きだと諦めたのだ。パタンと郵便受けに何かが投函される音がした。




「…快斗…?」




走れない身体で玄関まで急げども扉を開けば人の姿なぞはどこにもなく、残ったのは消印の無い白い手紙。開く手が震う。確かに宛先はオレの名前江戸川コナンだ。差出人は黒羽快斗。アイツの名前であることは間違いない。温もりすらも残っていないその白が、どうにも不安だった。こんなにも白い色は、オレを拒む色だっただろうか。アイツの白は、いつだってオレを優しく包んだというのに。快斗の筆跡によく似た文字が、滲んでいった。黒と白が混じって灰色になる。




「…いつ逢えるんだよ、快斗っ…!」




けれどもオレは分かっている。快斗が帰らないことを。オレは知っているのだ。この白い手紙が、アイツのものでないことを。オレは理解することを拒んだのだ。快斗が死んだ現実を。涙が溢れた。アイツは、死んだのだ。院を出た快斗はアメリカに行った。勿論、パンドラを探すために。そこでアイツは正体を暴かれ、組織に殺された。無惨な姿で帰ってきた快斗は、ビルの屋上から飛び降りたとかで、結果的に自殺として処理された。どこにアイツが死ななければならない理由があったのだろう。アイツは自ら死を選ぶような男ではなかったのに。オレは快斗が死んだという大きすぎるショックに、数日の記憶を失った。それからの周囲の反応は当然腫れ物に触れる様で、快斗の話題はオレの周りから消えていった。そんな中届いた白い手紙。キッドの象徴とも言える白に、快斗を重ねないはずがなかった。消印の無い手紙が数を増すごとに生まれる疑念から目を背けていたのはオレだ。それがどれだけ周囲を傷付けていたのだとしても、この身を抱いて待つ人がいない現実から逃げたかったのだ。




「…もう、もうやめよう、灰原。…ごめんな」




オレは震える足で庭へと向かった。咳を吐きヒラリと花弁が舞い降りたかのような鮮血を指の間に滴らせながらも、美しく咲き誇る椿の木の下へ。この身がそう長くないことくらい知っている。地に落ちた椿の花は、まるで血染めの絨毯だった。頭が朦朧とし、眼鏡の奥の目が霞む。コナン、と慣れ親しんだ声に呼ばれた気がした。オレは椿の木を見上げる。噎せる度に目蓋を覆う赤でさえも最早霞みゆく中で、オレは手を伸ばした。




この木はきっと、オレがいなくとも育つのだろう。来年もまたこの日のように、赤い花弁を咲かせてくれたらと狭まる視界で笑った。水を失った木は枯れるけれども、この木があったことをきっと友は皆忘れない。江戸川コナンと、黒羽快斗が、ここにいたということを。




 


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