>> その揺るぎなき信頼に爪を立てよ





今日は怪盗キッドの犯行日だった。あの気障ったらしい笑みを思い浮かべるだけで嫌になるが、結局毎度こうして毛利探偵事務所を抜け出しているのだ。どうにも馬鹿らしいことだが、中継点でのほんの僅かな会話を楽しみにしている自分がいることを、オレは知っている。そしてオレはいつも、未だ夜の風は寒いというのにコートを着てビルの屋上にいるわけだ。




「…まだかよ、アイツは」




独り言もこの寒空の下では虚しく感じるが呟かずにはいられない。傍受した無線でちゃんと中森警部の叫ぶ声を聞いて来たのに、どうしてまだ来ないのだろう。オレは冷たい夜風に身を震わせた。ああ、マフラーをして出なかったのは誤算だった。こうして15分近く待っていると首元が冷える。別に約束があるわけでもなく、ただ惰性でこの場にいるだけの何の脈絡もない時間だ。来ないという選択肢もあるのにそう理論立て納得しようとするのも、いつものことだった。




「…名探偵、お久し振りですね」
「…やぁっと来たか」
「お待ちになりました?」
「ちょっとはな」




突然現われたらしいキッドはオレの背後から声をかける。予期していなかったオレは不覚にも肩をビクリと揺らしてしまった。こいつは今日最大の失態だろう。溜め息を吐いて振り向けば想像通りの気障な笑みをしていて、また溜め息を吐いた。落胆の溜め息ではなく妙な安堵の溜め息であったことに多少の違和を感じるが、今はそれどころではない。




「何で遅くなったんだ。邪魔でも入ったか?」
「まさか。少し寄り道ですよ。まぁそのお陰で名探偵には心配をかけさせてしまったようですが」
「バカ言うんじゃねぇよ。誰がオメーなんかの心配したっつったよ?」




ほら、こんなに赤くなられて。そう言って至近距離でキッドはオレの頬を撫でた。パシリと派手な音を立てて払われたキッドの手は行く先を無くし彷徨った挙げ句、元々の位置に戻る。どうしてこんなに胸が高鳴る?オレはやはりマフラーをしてこなかったことを後悔した。マフラーさえあればこんなに赤い顔を見られることもないだろうに。しかしその頼みの綱がない今、この赤く染まった顔をどう隠していいのか分からない。内心の焦りを感じながらもその白を睨んでやれば肩を竦めたキッドが少しオレと距離をとる。3メートルで漸くキッドはカツンと態とらしく派手に靴音を立てて立ち止まりオレに背を向けた。コイツは何を考えているのだろう。いったいどういう了見だ。敵であるオレに背を向けるなど、オレを侮辱しているとしか思えなかった。小学生だから、何も出来ないと思っているのだろうか。少なくとも嘗てやったようにコイツに向けてサッカーボールを蹴ることは出来る。3メートルの距離ならばいくらキッドといえどあの速度のボールを避けることなど出来はしまい。




「…名探偵、一年経ったよ」
「…?」
「オレ達は未だ、日常に戻れていないんだよ」




振り向いたキッドは、少し悲しそうに笑った。それが本心ではないのかもしれないが、今だけは本音だと信じたかった。オレの日常とコイツの日常は違う。けれど互いに人間として真っ当な生活を送っていないことくらい知っていた。仄暗く罪悪感に満ちた生活を、以前のような日常に回帰させることを夢見て、こうして一瞬の交差に安らぎを見出している。それを見透かされたようで酷く癪だった。




「来年は、もう少し成長してくるさ」
「そうだな」
「ああそうだ。オレは日常に戻る。絶対にな」




オレは懐に手を忍ばせた。ずっしりとした重みのある物体を掌に移しそのまま引き抜く。その勢いで照準を白い気障なヤツに向ければそいつは目を見開いて、それから、物騒だよ名探偵とオレを咎めた。安全装置を音を立てて外すとまた、名探偵、と先程よりも低い声でオレを呼ぶ。オレがこの物騒な黒い物体の引き金を引かないとでも思っているのだろうか。避けるような素振りは一切無い。それがまたオレを苛つかせる。どうしてコイツはオレを過信しているのだろう。どうしてオレは、コイツが逃げないと知っているのだろう。




「そんなもん、アンタには似合わない」




どうしたことかまた寄ってきたキッドは、安全装置が外されたままの銃口に触れた。まるで傷口に触れられたようだった。まだ完全でない柔らかな部分を、オレでも咀嚼の出来ていない部分を、コイツは知っている。撃つぞ。そう脅してやったがキッドは動じない。それがただ、無性に悔しかった。




キッドに向けた筈の銃口はいつの間にか地面に向いていた。重力に忠実に、そう、それは実に真理に適っていると言えた。ダラリとだらしなく伸ばされた腕はその真理に抗う気などないようだったから、最近どうにも反抗的な理性がそれをよしとしなかった。指先に再び力を入れる。そしてゆっくりと、地面に向けて空の薬莢の入った銃の引き金を、引いた。せめてもの抗いだ。オレは工藤新一を夢見て、一面の白の中、笑った。




 


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