>> 夜明けの鐘
窓がコツコツと控えめにノックされる。月の光と相俟って殊更眩しい純白のマントがヒラヒラと風に舞っていた。不定期にこんな真夜中に訪れる気違いな奴など俺は一人しか知らない。
「…キッド」
読んでいた本を閉じ、窓の方へと向かう。開けようと思えば自分で開けられるだろうに、この無駄に律儀な怪盗は決して自らこの窓を開けようとはしなかった。俺が錠を開け、窓を開け、口を開いてからやっと怪盗は家に入ってくるのだ。それはいつものことであり、また、それが当たり前だ、と認識出来る程度にはこの関係が続いている。よく考えれば俺は探偵で、アイツは怪盗だ。捕まえるべき対象が幾度となく自らのテリトリーに入ってくるのも、それを気にしないのも、小さくなる前の俺だったら滑稽だと笑っていたに違いない。つくづく変わったものだな、俺も。
「…今晩は、名探偵。…あまりこのような時間までの読書は感心しませんね」
靴をベランダに置いたまま上がって来た怪盗は、ソファーに近付くなり、そう言って苦笑した。今日読んでいたのはナイトバロンだった。気が向いたので書斎を漁って読んでいたのだ。何冊か積んである本の中の一冊を取り上げ、白い手袋をつけたまま、パラパラとページを捲る怪盗は、ゆっくりとソファーに座った。
「…コーヒー、飲むか」
ページを捲る手が止まり、怪盗がこちらを向く。眉を寄せ困った様に笑い、言った。
「…砂糖4杯とミルク3杯入れてもらえますか」
怪盗はこちらを見ている。正確に言えば、俺の持っているスティックシュガーを、だ。どうやらコイツは意外と甘党らしい。俺には理解出来ないが。
「…ほらよ。…俺は甘い匂いは嗅ぎたくねェから自分で入れてくれ」
そう言って怪盗の前にコーヒーカップとスティックシュガー4本とミルクを置いてやった。2杯飲もうと準備していたコーヒーは、最早俺の知るコーヒーではなくなっている。甘い香りが部屋中に広がってゆく。甘い、甘い香りの液体は白い盗人の胃に消えた。
「…ごちそうさまでした。…名探偵、ちゃんとこのまま寝て下さいよ」
カチリと極力音を抑えコーヒーカップを置いた怪盗はスッと立ち上がり入って来た窓へと向かった。窓を開けた先で、モノクルがゆらゆらと揺れている。どうやら相当に風が強いようだ。このまま飛んで帰るのだろうか。
「…では、ご機嫌よう、名探偵」
バサリとマントを翻した怪盗は、何事か言った後、ボン、と軽い破裂音と共に居なくなった。怪盗が居た足元には、赤いアネモネの花が一輪と、1枚の白いカードが、奴らしく丁寧に並べて置かれていた。
「…ッ!変なモン、置いて行きやがってバ怪盗!…あー、もう、クソ…ッ!」
今日は俺の誕生日。アネモネの花言葉は“あなたを愛す”。そしてまた、怪盗は厄介なモノを落としていった。落としものの名は、恋心。ああ、何て厄介な。