「辻ちゃんが弟子をとった!?」
「・・・・はい」
犬飼があげた驚きの声で氷見は作業を止め、二宮も顔をあげた。少なくともそれくらい辻が弟子を取ったことは衝撃的だった。
「へぇ!どんなこ!?」
「え、まだ分かりません」
「分からないのに弟子にしたの!?」
「はい」
「何か自己アピールとかしてたでしょその子。辻ちゃんに弟子入りするために」
「いえ、俺が弟子にならないかと声をかけたので」
「え、」
「へ?」
「は?」
犬飼の手からはマグカップが落ち、氷見はキーボードの操作を間違える。二宮は何故か顔を顰めて辻を見つめた。辻はその視線から逃れるように足元を見つめている。異様な空気が作戦室に流れていた。
「あの・・・」
控えめな声が響き辻が飛び上がる。いつの間にか訪ねてきていた女の子の視線は辻にあり、氷見がそれとなく辻を庇う。
「どうしたの?辻くんに何か用?」
「えっと、その、師匠が約束の時間まで来ないので・・・・」
「師匠・・・」
女の子の言葉を反芻する。辻が時計を見て焦り出したのを見て本日何度目かの驚きの声が上がる。
「ねぇ、君、女の子?女装してる男の子だったりする?」
「へ!?わ、私は女です!」
初対面の相手に普段ならしないであろう犬飼の失礼な質問は彼がどれだけ動転したか窺えるものだった。どこからどう見ても女の子にしか見えない。けれど、ありえない。
「つ、辻くん。弟子って・・・・・」
氷見が恐る恐る尋ねた言葉に辻はこくりと頷いた。
「女の子だったの!???」
氷見の叫び声は犬飼と二宮の気持ちをも代弁していた。
「ごめんね、本当ごめんね」
「い、いえ」
犬飼の失礼な質問にぷくりと頬を膨らませむくれていた女の子は氷見の謝罪で呆気なく許した。元々優しい子なのかもしれない。出された紅茶にお礼を言って嬉しそうに口をつけた。
「辻ちゃんが自ら師匠を申し出るってことはさ、やっぱり強いの?」
「い、いえ!ヘボヘボです」
「ヘボヘボ・・・・」
「きっと私があまりにも弱っちいから見てもいられなくなったんだと思います!師匠は優しい人です!」
「ぇ、ぁ、ミョウジさ、」
弟子入りしたばかりだと言うのに女の子は辻を信頼し切っていた。辻は困ったようにあわあわと行き場のない手を彷徨わせている。
「ミョウジさんって言うのね。下の名前は?」
「ナマエです!」
にこにこと笑うナマエに氷見と犬飼も自己紹介をする。二宮は何か書類を片したまま顔を上げないため、辻が吃りながら紹介した。今までは女の子が苦手で関わろうとしてこなかったのに自ら話しかける姿に氷見は感動した。気分は子の成長を見守る親だった。
「辻ちゃんはなんでナマエちゃんを弟子にしたの?」
「あ・・・・私もそれ聞きたいです」
「ぇ、ぁ、その・・・・」
二宮までもが辻の言葉に耳を傾けた。
「内緒・・・・です」
「えー!!教えてくださいよ!ボロ負けした後に声かけてくださったのでやっぱりヘボヘボで見てもいられなくて・・・」
「ぅ、そ、それは違う、から」
詰め寄るナマエに辻は慌てて身を引く。師弟関係なのだからと氷見も辻を庇わなかった。
「ねぇ、大丈夫なの辻ちゃん。教えるってことはナマエちゃんと直接戦ったり触ったりするってことだよ?」
「・・・・・」
何も知らないらしいナマエは首を傾げる。
「辻ちゃんね、女の子がすごく苦手なんだ。ランク戦で当たったら何もできずに落ちるくらいには」
「え」
確かに言われてみれば、とナマエも納得して頷く。
「ぁ、だ、いじょうぶ、だから」
辻は離れようとしたナマエの二の腕を掴んだ。ふに、と柔らかな感覚に脳がやられた気がした。「女の子の二の腕って胸と同じくらいの柔らかさなんだってー」いつしか聞いた友人の声が蘇る。大丈夫じゃなかった。全然大丈夫ではなかった。
ツン、と鼻が痛くなって中を何かが流れる不快な感覚。
「師匠!血が!鼻から血が!」
慌てるナマエに大丈夫だから、と声をかけようとするが意識が途絶えた辻にはそれすらできなかった。
換装体でなかったことが災いして辻の服はそれはもう真っ赤に汚れた。目が覚めた時には床掃除は終わっていて、辻はベイルアウト用のベットの上に寝かされていた。
「あ、師匠!大丈夫ですか!?」
心配した様子のナマエが駆け寄ってくるがその距離は一定に保たれている。気絶したばかりの辻にはありがたかったが、少し寂しく感じた。できたばかりの弟子に悪いところばかり見せている。貧血気味な体を起こして立ち上がるとナマエはウロウロと辻の周りを歩く。触れてこないのは自分が触れれば先程と同じようになると思っているのかもしれない。腕くらいなら大丈夫だ、多分。二の腕だったからいけなかったのだ。余計な知識を教えてきた友人を恨む。
「師匠、あの、血を落としたいので脱いで貰えませんか?え、っと、二宮さんが服、貸してくださるそうなので」
そこに置いておきますね、と声をかけて部屋を出ていく。二宮さんの服か。血のついた服を脱いだ辻は恐る恐る二宮の服に腕を通す。袖丈が余るのが少し悔しい気がした。
「師匠!」
手を伸ばしてきたナマエに思わず血だらけの服を渡すが、少し時間を置いた血は落ちずらいし、何より自分で洗うべきだと気付きハッとする。しかしナマエはすでに服を洗い始めていた。
「・・・・あの洗剤はどこから」
「ナマエちゃん家が近いみたい」
辻くんが気絶している間に急いで取りに行ってたわ、と氷見はナマエを見つめた。
「いい子ね」
「・・・・はい」
頑張って血液を落とそうとするナマエの後ろから二宮が覗き込む。驚いたナマエはびくりと震えるが一言二言言葉を交わしへらりと笑った。
「人懐っこいわね・・・・」
「・・・・」
二宮さんと談笑するなんて、と氷見が呟く。なんだか面白くなくて、ふい、と視線をそらした。
「辻、服は大丈夫か」
「あ、ありがとうございます」
「師匠!一応落ちました」
ナマエはパッと服を広げて辻に見せる。ありがとう、と小さく礼を言うとナマエは嬉しそうに笑って、その頭に手を伸ばしたくなった。実際は触れることができず、その手は空を切った。
「師匠!私今日はそろそろ帰らないといけないので失礼します!」
手渡されたシャツを受け取る。訓練をする約束をしていたのに自分が倒れたせいでできなくなって申し訳ない、と謝る前にナマエは作戦室から飛び出した。
次の予定は立てていなかったが師弟関係を結ぶ際にボーダー用の連絡先を交換していたので大丈夫だろう。後で、謝っておこう。濡れた自分のシャツを握りしめた。
何故かその日は二宮さんが焼肉に連れて行ってくれた。