微グロ描写あり




テストの点数は悪くなかった。父親には捨てられて、女手一つで育ててくれた母には迷惑をかけたくなかったから、高校も、大学も、奨学金で行く気でいた。いつも通り学校で自習をしてから帰路を辿る。勉強をするために友達と遊んだことはなかった。

「ただいまー」

安っぽいアパートの扉を開けてすぅ、と充満する香りを吸い込むとくぅ、とお腹が空腹を知らせた。外まで広がっていたその香りは大好きなカレーで、重たいカバンをおろしながら鼻歌を歌った。

「今日もカレー?」

不満はない。それどころか嬉しいけれどわざと文句を漏らすと良いじゃない。好きでしょ?とお母さんは笑った。
手を洗ってうがいをして、急いでお風呂に入ってから美味しいご飯を食べる。歯磨きをして、勉強をして、次の日の準備をしたら眠りにつく。朝起きて学校に行って。変わり映えのない毎日が幸せであることを自覚していなかった。
幸せなんて簡単に壊れてしまうのに。もっと大切にして、毎日を噛み締めるべきだったのに。気付くのはいつだって遅くて、もう手遅れだった。
あの日だっていつもと同じような日だった。お使いを頼まれて、スーパーに行って、悲鳴が上がったかと思えば怪物が街に溢れていた。自分がいる場所も安全な場所なんてなかったけど家にいる母親がどうしても心配で壊れた自転車を捨てて走って帰った。私の家の周りは大半が崩壊していて、無事な人間なんてもうここにはいないのかもしれないとすら思った。避難しているのならそれで良い。でももし、もし瓦礫に挟まれて動けなくなっていたら。

古いアパートが崩れていないはずもなくて、どこが自分の部屋だったのかすらもわからないような有様だった。

「お母さん!おかーさん!」

カラカラに乾いたのどで叫んだ。瓦礫が足を傷つけていることにも気づかずに必死に叫んだ。
チラリと白い無機質なアパートの瓦礫に似合わない赤が見えた。嫌な音を立てた心臓を誤魔化すように胸元を掴んで駆け寄る。

「ぇ・・・・」

ヒュッと喉が音を立てる。嘘だ。違う。何かの間違いだ。

落ちていた何かから目を逸らして叫んだ。

「おかあさん!おかあさん!」

瓦礫をどかし続ける指からは血が流れていたけれど、全く痛くなかった。何も感じなかった。

お願いだから何かの間違いであって欲しい。避難、してるよね?

一箇所の瓦礫をどかし続けたせいで他の場所の瓦礫が崩れた。ビチャ、と水溜りに何かが落ちたような音がして、視線を動かす。
広がる赤。潰れた何か。見覚えのある布。右腕のない体と離れたところに落ちた右腕のような造形をした何か。

「う゛っ」

胃の中から上がってきたものを飲み下す。ヒリヒリと喉が痛んだ。近くにある右腕を両手で持ち上げると肉体の横に置く。纏わりついていた見覚えのある布はぴたりと収まり、信じたくない現実が見えた。

「お、か、あさ、」

顔を覆おうとしていた両手が赤く濡れていた。これはどちらの血なのだろう。グッと握りしめればぬるりと滑るそれ。両手を地面に叩きつけて蹲る。汚れるのなんて気にも止めずに肉塊の横に倒れ込む。

「いなくならいでよ」

一人にしないで。掠れた声は誰にも届かない。
どれだけ痛かっただろう。苦しかっただろう。剥がれた爪の痛みとは違ってその痛みはナマエには全くわからない。手を伸ばして、料理を作ってくれた、頭を撫でてくれたその手を握った。冷たくぬるついたそれが母だとは思いたくもなかった。


ボーダーに入った。強くなって、大切なものを守りたかった。もう私には大事なものなんてないけど、これ以上他の人にこんな思いをして欲しくないから。トリオン兵との戦闘では良い成績を出せるのに、対人戦は全然だめだった。最初は斬りつけるだけでも吐いた。他の人から向いてないよなんて言われることはザラにあったけど、そんなことで諦められなかった。何度も孤月で自分の腹をさして、何度も何度も緊急脱出して、トリオン体では死なない、という常識を確かめてからは少し動けるようになった。手足が飛ばなければ勝つこともできるようになった。人より長い時間をかけてB級になったと思う。それでもB級になれば任務ができて、トリオン兵を倒せるのだからそれ以上を目指す気にはなれなかった。上に上がるには対人戦は必須だったけれど、私は私が守りたいものを守ることができればそれでよかった。ランク戦は観にいかなかった。ただ一人誰かと深く関わることなんてせずにトリオン兵を倒し続けた。
人と近いようで遠い、そんな距離で接した。ナマエを人当たりが良い、明るい、誰とでも仲が良いなんて言う声もあったけれど、ナマエはただ寂しがりで、臆病で、人の内側に入り込めないでいただけだった。大切にしたいのに、大切な人を作りたくなかった。
B級に上がってからほとんど動いていない4000ポイント。そんなナマエを隊に誘うものはいなかった。もっともナマエは誘われても断っていただろう。
眩しいな。
ナマエ以外にもあの日に大切な者が奪われた人なんてたくさんいるだろう。それでも前を向いている人だっている。きゃあきゃあと騒ぐ隊員を見て、ランク戦の反省会をする隊員を見て、羨ましいと思ってしまった。変わりたいと思ってしまった。ナマエは震える手を押さえつけて、個人ランク戦のブースに入った。

しばらくして師匠に声をかけられた。二宮隊の隊室に入れてもらった。まるで仲間のように扱ってもらった。嬉しかった。今まで生きてきた中で一番楽しかったかもしれない。ボーダーに入ってからは下がってきた成績も、二宮隊に見てもらって、元の成績に近づいた。ここにいたいと思うと同時にここから逃げ出したいとも思った。失った時に辛くなるのだから、幸せにこれ以上慣れたくなかった。それでもナマエがここから逃げ出さなかった、いや、逃げ出せなくなったのは師弟関係があったからだった。人より特別な仲で結ばれた。それを捨てられるほどナマエは強くなかった。



自分が切られるのは大丈夫だった。まだ手は震えるけれど、痛くないから、生身の体ではないと分かるから。だけど、他の人の体はそうはいかない。トリオン体と、生身の体に違いを見出せなかった。切って流れるのは赤ではないか。本当は生身で痛かったりしないだろうか。切られるのが大切な人であれば特に、ナマエに耐えられなかった。もうこれ以上無くしたくないと願うナマエにとっては・・・・

一番大切だった。自分を特別気にかけてくれる辻と心の距離を取れるはずがなかった。

「師匠!」
「ミョウジさん来るの遅いよ」

少し離れた場所にいる師匠に手を伸ばす。必死に走って、それでも辿り着けない。

「死んじゃったじゃん」

どろりと赤い液体が地面に広がった。びちゃん、と辻の右腕が取れてそこに落ちる。

「いや、」
「ミョウジさんが弱いから」

目の前にいる自分の師匠が赤く溶けて地面に溢れていく。

「師匠!」
「さようなら」
「やだ!やだよ!師匠!」

は、と息を荒げて飛び起きた。目が覚めたのに広がるのは暗闇で自分の震える両腕を掴んで蹲った。ぎゅ、と小さくなった時、冷たいものが手に触れて、それを手に取る。

「師匠の・・・」

腕に触れたのはブレザーのボタンのようだった。自分とは全く違った香りがするそれを胸元まで持ってきて抱きしめた。
師匠は生きてる。
安心で溢れた涙は辻のブレザーにシミを作った。




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