負けてしまった。ベットに落ちた重い体を持ち上げる。俺が負けたからといって二宮隊が負けるわけではない。犬飼先輩も二宮さんもまだ緊急脱出していない。俺だってただやられていたわけではなく、相手の腕と脚を奪って機動力は削いだ。元々の戦力差を考えると二宮隊が勝つことは決まっているだろう。転送位置が悪かった。
伸びてきて少し右目にかかった前髪を払う。辻がオペレータールームに入れば、氷見はもう終わったからナマエちゃんのところに行ってもいいよ、と扉をさした。自分で連れてきたくせに今はなんとなく会いにくかった。

「辻くん」

今思えば彼女は分かっていたのかもしれない。少なくとも、可能性には気付いていた。

「早くナマエちゃんのところに行ってあげて」

私たちはここで反省会しとくから、とベットから起きてきた犬飼と二宮を引き止めた。最初に落ちてしまった自分こそその反省会に参加するべきだと思うが、二宮は顔を顰めただけで何も言わない。

オペレータールームを出て、視線を彷徨わせる。師匠を名乗るからには弟子の前で格好をつけたかった。いや、好きな人にはかっこいいと思われたかった。モニターの前にある椅子を見つめる。部屋を出る前に確かに引いたはずの椅子にナマエはいなかった。荒々しく乱された様子の椅子を見て、お腹でも痛くなったのかなと首を傾げる。
椅子を直そうとすれば、地面に蹲る小さな塊を見つけた。

「・・・・ミョウジさん?」

確かに聞こえる大きさで声をかけたのに返事は返ってこない。そこでようやく様子がおかしいことに気付く。

「ぁ、ミョウジっさん!」

勇気を振り絞って肩に手をかけてもナマエは無反応で手から伝わってくるのは彼女の体温と異常なほどの震えだった。

「・・・・、で」

掠れた声は何かに怯えているようで、どうにかして安心させようとナマエの体を抱き寄せた。緊張で吐きそうだったが、そんなことよりもナマエが大事だった。

「い、きてる?」

今度はその声は辻の耳に届き、生きてるよ、と返した。

「痛い」

疑問系ではなかったが、辻はナマエが自分に対して問いかけていることがわかった。トリオン体だから痛くないことは知っているはずなのに、ナマエは痛いかと尋ねた。それに対して、痛くないよ、と返すとナマエの腕を掴んで、自分の右手に触れさせた。

「ちゃ、ちゃんと、ついてる、でしょ」

バクバクと心臓が痛いほど音を立てたが、それでも辻はナマエから体を離さなかった。ナマエは確かめるように辻の腕を撫で、その手で頬に触れ、首を伝い、胸に触れた。
ぞくぞくと体を走る何かに耐えて、じっとナマエを見つめる。涙でびしょびしょに濡れた頬が愛おしい。ナマエから溢れた水を一滴でも溢すのはもったいないと思ったが、それが自分のために流れたものだと思うと、歓喜で震えた。ナマエが悲痛な表情で泣いているというのに、自分の頬は赤く染まり、胸の中が満たされていくのがわかる。
すぅ、と少し深めに息を吸い込めば肺の中がナマエの香りで満たされる。ツン、と痛くなった鼻をバレないように押さえて、自分の胸にナマエの丸い頭を抱き寄せた。

「生きてる、でしょ?」

どくんどくんとうるさいこの胸の音は生きていることを証明するのに十分だろう。ナマエは耳を辻の胸に押し当てて目を瞑った。

「ししょう」
「ど、した、の?」
「ししょう」
「な、何?」
「ししょう」
「は、はい」

ナマエは何度も辻のことを呼んで辻も何度もそれに答えた。赤くなった目元を労るように触れると、ナマエは驚いたように瞳を開けた。
俺のために、俺のせいでナマエが泣いた。
ナマエが今、自分のために感情を揺らしているのだと思うと、鳥肌が止まらなかった。
あぁ、好きだ。
震える唇が紡ぐ言葉を一音でも聞き逃さないように見つめる。

「つじ、しんのすけ、ししょう」

存在を確かめるように名前を呼ばれて、目の前にある体を抱きしめて、抱きしめて、抱きしめ殺したくなる。

「ここに、いるよ」

俺は、ここにいる。
自分を求める声は脳髄から蕩けていくような快感になる。鼓膜を揺らすナマエの声はいつの間にか聞こえなくなっていて、代わりに辻の耳に届いたのは穏やかな呼吸音。

「・・・ミョウジさん?」

返事は返ってこない。瞼が落ちてまつげには水滴が残っている。ハンカチをポケットから取り出してそれを拭き取ると、力の抜けた体を抱き上げて、3人のいるオペレータールームを通る。ぐったりとした様子のナマエを見て犬飼はギョッとしたが何も言ってこなかった。
自分の緊急脱出用のベットに寝かせて、制服のブレザーをかけた。氷見に言えばブランケットを貸してもらえただろうが、どうしても自分のものをかけたかった。

「愛してるよ」

好きなんて軽い言葉では済まされない重い感情はナマエの知るところでは無い。この感情の質量は一生知られないままで良い。
どうか、これからも色々な感情を俺に向けて、いつかはこの重さを気付かぬまま受け取って、一緒に沈んでほしい。




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