同じ歳の大人びた従兄弟。なんでもできて、優しくてとても強い。ナマエはそんな角名倫太郎が大嫌いだった。
真新しい制服に身を包み、満開の桜の下を歩く。15年間ナマエを苦しめてきた従兄弟はもういない。これからの新生活に想いを馳せ自然と足取りは軽くなる。制服は可愛いし憧れていた一人暮らしだ。合格祝いに母親に買ってもらった少しお高めなハンカチもポケットに入れている。今日は良いことがあるかも。ナマエの機嫌は今にもスキップをし出しそうなほどに良好った。
「なあ」
すぐ近くでかけられた声に振り向くと、後ろにいたのはいかにも真面目そうな男子生徒だった。
「これ、お前のか?」
そう言って差し出された物はポケットに入っているはずのハンカチ。
「あっ!私のです!ありがとうございます!」
慌てて手を差し出すと地面に落ちて付いてしまったハンカチの汚れをサッとはらってから渡された。その所作はとても綺麗で自分が同じことをしても全く違う動きに見えるのだろうなと思う。
「新入生みたいやけど体育館はこっちやで」
「えっ」
指された方向は自分が進んでいる方向と正反対だった。校舎の構造自体はそこまで難しいわけではない。それどころかよく見ると体育館は見えている。入学してすぐに先輩らしき人に自分の間抜けが露呈した恥ずかしさで顔が真っ赤になる。パタパタと熱くなった頬を冷ますように扇いでいると柔らかな瞳と目が合う。
「なんや、かわええなぁ」
ふっと息を漏らすような笑みにナマエの思考は停止した。
「それでそれで?」
「それだけだけど」
「連絡先も名前も聞かなかったん!?」
名簿順に並んでナマエの一つ前になった女の子に今朝の話をすると信じられないとでもいうような表情をした。
「良い人やなって思ったんやろ!?」
「う、うん。優しい人だなって」
「ナマエちゃんって奥手なんやなぁ」
そう言われてやっとその子の思い違いに気付く。
「そ、そういうのじゃなくて!本当にただ良い人がいてよかったーって話だよ!」
慌てて否定すると興味を無くしたようでふぅん、とつまらなそうに口を尖らせた。
「そういえばクラス名簿もう確認しとる?」
「してないけど・・・でも私愛知出身だから知り合いいないと思うし」
「ナマエちゃん愛知出身なん!?珍しいなあ」
驚きで声を張り上げた彼女にびくりと肩を揺らす。目立つから声のボリュームを下げて欲しいとも言えず、困った顔をするナマエに彼女は気づかない。
「それやったら知り合いとか一人もおらんちゃう?」
「うん、いないと思・・・」
頷こうとしたナマエの視界の端にもうしばらく見ることはないと思っていた姿が入る。彼は視線が合うとすぐにナマエの元へ駆け寄ってきた。
「ナマエじゃん。クラスは離れたんだね。ごめん、引っ越し手伝えなくて」
あぁ。そうか。県外に出たいと言った時に兵庫を勧められたのは、一人暮らしを許可してくれたのは、倫君がいたからなんだね。
「ナマエちゃん!あの人誰や!?彼氏か?知り合いおるやん!」
角名が去った後、呆然としていた彼女はキャッキャとはしゃいだ。
「従兄弟だよ」
勘違いされないように簡潔に伝えた。ポケットの中で震えたスマホを開くと母親からメッセージが届いていた。
せっかく倫太郎くんがナマエの面倒を見てくれるって言うんだから喧嘩してないで仲良くしてもらいなさい。
違う。違うんだよお母さん。喧嘩なんかしてない。私が倫君と一緒にいるのが辛くなっただけ。どうしても倫君から離れたかったのになんで・・・。数時間前までは軽かった体は急に重くなる。
なんでナマエはこんなにそそっかしいのかしら。倫太郎君がいないとだめね。倫太郎君なら満点取れたんじゃない?倫太郎君ってば運動までできるんだって!ナマエとは全然違うわねぇ。
悪気のない言葉。一つ一つは大したことはない。だが長年言われ続けた言葉は確実にナマエを傷つけていった。
未だにそそっかしいし、運動はできない。でも私だって頑張ってる。毎日料理作ってるし、お掃除もしてるし、勉強だって一位になったよ。もう倫君がいなくても生きていけるよ。
倫太郎君はバレーを頑張ってるからねぇ。この間の大会優勝したんだって!すごいわねぇ!
倫君を超えたら、一位になったら褒めてもらえると思ってた。でもお母さんが褒めるのはいつだって倫君のことばっかり。一回で良いから私のことも褒めてよ。
倫君の性格が悪ければ完全に嫌いになれたのに。彼はいつだってナマエを助けてくれた。一番にナマエを褒めてくれた。頭を撫でてくれた。守ってくれた。
そんな彼のことが大嫌いで、大好きだった。