微グロ、カニバリズム注意





「若利くん、別れよう」

彼が悪いわけでも私が悪いわけでもなかったと思う。寂しがり屋の私と遠征が多い若利くんとでは合わなかったんだ。私の言葉をまだ飲み込めていない若利くんを残して、家を出た。




『飲みに行きませんか』
普段は乗ることのない後輩の誘いに応じたのは時間を持て余していたからだった。同棲していた訳でもなかったにも関わらず彼の家にいる時間はあまりにも大きかった。

「珍しいね。白布くんが誘ってくれるの」
「…よく誘ってくるのは五色ですか?」
「うん。若利くんと付き合ってたしあんまり行ったことはないけど」
「付き合ってたってことはやっぱり別れたんですね」
「うん…」

付き合っていた時を知られている身としてはいたたまれない気持ちになって少し前に届いていたお酒を一気に呷った。
「理由は聞きませんけど」
昔からあまり深く突っ込んでくることのない白布くんだからこそ、安心して飲むことが出来た。酔っ払って愚痴なんか言いたくなかったからあまり聞かないでいてくれる事はありがたかった。私も彼も悪くない。合わなかっただけ。そう思っていたかった。
俺の方が収入ありますから、とほとんど強制的に奢られてお店の外に出て解散しようという時にあんなことを言われるなんて思ってなかった。

「牛島さんが事故にあってもうバレーできないことは知っていますか」
「え?」

ジコ?バレーガデキナイ?
異国の言葉かと思うほどに頭に入ってこなかった。脳が理解することを拒んでいた。

「ミョウジ先輩が出ていった後追いかけて、それで…」

トラックに轢かれたそうです。下半身不随になりました。
ニュースやドラマなどテレビでしか聞かないような単語が続けて並べられてクラクラと目眩がした。

「ミョウジ先輩?」
「…そ、れほんと…なの?」
「はい。うちに来ましたから」

うち…。白布くんの勤めている病院はかなり大きかったはずだ。私が出ていったから若利くんは…
目の前が真っ暗になって意識が途切れた。






嗅ぎなれた香りがした。
若利くんの家の香りだということは分かっているのに目を開けても何も見えなかった。
電気が消えているのかと思って立ち上がろうとした時に足首を結ばれていることに気付いた。トントントン、と手際よく料理をするような音がする。若利くんは料理が出来なかったはずだ。どすどす、と包丁で肉を刺す鈍い音まで聞こえてくる。

「…流石、筋肉が多くて硬いです。」
「もうそれは役に立たない」

白布くんと若利くんの声。誘拐されたわけではないのか、とホッとする。じゃあなんで私は拘束されているんだろう。じゅーっと肉を焼く食欲を唆る音が聞こえてくるのに匂いは臭くて、吐き気さえした。
「あ、ミョウジ先輩起きたんですね」
するりと目を覆っていた布が外されて白布くんの顔が見えた。

「牛島さん、起きましたよ」

広い扉から入ってくる車椅子が見えて、ああ、本当に若利くんは、と泣きそうになった。ひざ掛けの中にある足が動くことはもうないだろう。私のせいで。

「白布」
「持ってきましたよ」

目の前に焦げた肉料理が置かれた。もう意味がわからなかった。硬そうな肉にフォークが刺さるとじわりと肉汁が溢れて、それが口元に当てられた。

「もうすぐ手も使えなくなる。それまでは俺の手から食べてくれないか」

下半身、だけ、でもないの?
声が出なくてただ口を開いた。舌に乗せられた瞬間に香る臭みに顔を顰めながら弾力のある肉を何度も噛み締めて飲み込んだ。

「今のはどれくらい持つんだろうな」
「ごめんなさい。その辺は詳しくなくて」
「いや、十分だ」

2人の会話の意味も分からないまま声も出さずに運ばれてくる肉を胃の中に落とした。

「なぁ、知っているか」

最後の一切れを飲み込む前に若利くんに話しかけられて顔を上げた。

「人間の細胞の殆どは3ヶ月で入れ替わるという話を」

どこかで聞いた話だと思いながらこくりと頷いた。

「俺のしていることは無駄なのかもしれない。だが意味の無い行為だとは思わない。」

汁の垂れた唇を硬い指で拭われる。

「ようやくお前と1つになれたのだから」

彼の言っていることは分からなかったけど、悦びを感じていることは理解出来た。

「昔から思っていたんだ。お前と深く繋がりたいと。」

後ろで結ばれた手を握りこまれて呻き声をあげる。関節が普段は曲げないような方向に向けられていてズキズキと傷んだ。

「だがバレーは捨てきれなかった。だからこの体になって良かったと思う」

若利くんのことばかり見ていたから気付かなかったけれど彼のすぐ横には点滴も着いていた。大怪我をしたばかりなのだから当たり前かもしれないが、顔色が悪いような気もした。

「若利くん…?」
「俺の体がお前の一部になるのだと考えると堪らなくなる」

彼が言っていることが一切理解できなくて、だけどこの状況は明らかに普通じゃなくて震える。

「すまないが、左手は最後に残して欲しい。できる限りお前に触れていたい」

はらりとひざ掛けが落ちて、車椅子の座面が見える。
え?なんで座面が見えてるの?若利くんの足は?
ひゅっと息を飲み込む。バクバクと心臓が脈打つのを感じる。
下半身不随…って足を切り落とさないといけないんだっけ?左手を最後に残して欲しいってどういうこと?

「白布。ナマエの様子がおかしいみてやってくれ」
「…しばらく水分を取ってませんからね。今持ってきます」

固く閉められた扉が開いてむわりと鼻につく臭いがした。
何この臭い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
「まだ新しいから大丈夫だと思います」

透明なグラスに注がれた赤黒い液体。とぷんと揺れたそれを若利くんが受け取って私の唇に当てた。ゆっくりと傾いて流し込まれるそれは…

血の味がした。

「う゛ぇ゛ぇ゛」
「ミョウジ先輩、ダメですよ勿体ない」

胃の中から戻ってきた嘔吐物。今思えばこの肉も…。

「ナマエ。もっと飲んでくれ。心配だ」

意味わからない。意味わからない。意味わからない。
ぐるんぐるんと視界が回って視界がぼやけて若利くんが見えなくなる。
口の中に太い指が入れられて、赤い血を塗り込むようにぬるぬると動く。

「たくさん俺を吸収してくれ」

半分に減ったグラスの中身を若利くんが口に含む。真っ赤に染った唇が近付いてきて必死に顔を背けた。
唾液と混じってとろりと流し込まれたそれに噎せそうになる。吐き出そうとすると頬を掴まれて顔を思い切り上に向けられて、鼻をつままれた。呼吸が出来なくて苦しくて、血の臭いが辛くて、思わずごくりと飲み込むと褒めるように頭を撫でられた。
怖いよ。やだよ。やめてよ。なんでこんな…。

「は、は、ひゅ」
「過呼吸…ですね」

ゆっくり息を吸って10秒かけて吐き出してください、と白布くんに背中を撫でられる。この様子をみて普通に対処をする白布くんが意味が分からなくて気持ち悪かった。

「な、ん、で、こんな、ことっ」
「…お前もバレーもいなくなってしまった。俺にはもう何も無い。」

ガツンと頭を殴られたような気分だった。私が、私が奪ってしまった。若利くんからバレーを、自由な体を。好きなのに。愛しているのに。
失ってしまった足はもう戻ってこない。今までの人生を全てバレーに捧げてきたとも言える若利くんはバレーをできなくなってどんな気持ちだったのだろうか。
若利くんは私のことも大事に思ってくれていたのに。大事のものを一気に2つもなくしたと思った彼の心を壊してしまったのは私だ。ほんとに…
なんであんなことをしちゃったんだろう。

「白布にならナマエを任せられる。ずっとお前がこいつのこと好きだと分かっていたのに気付かないふりをしていてすまなかった」
「っ俺は!牛島さんの事を尊敬しています。確かにミョウジ先輩のことはすきですが!…だけどこの状態の貴方にまだ生きていて欲しいと思うのは残酷なんでしょうね」

気持ち悪い。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
もう戻れない。

「俺を全部お前にやる」

私のせいで。







「牛島さん、それでいなくなっちゃいますね」

箸でつまんだ彼の利き手の薬指。バレーをする手が、私の頭を撫でてくれる手が、繋いでくれるその手が大好きだった。この指に結婚指輪を嵌めることは出来なかったけれど…

「いなくなったんじゃないよ」

独特の臭みのあるそれを口の中に放り込む。確かにもう彼に触れることは出来ない。でも彼は確実に私の中にいる。私と彼は混ざりあってひとつになった。

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