「ナマエ手、洗え」
普段教室で話をしたがらない聖臣に手首を掴まれたかと思えば連れてこられた先は水道だった。特に汚いものを触った覚えもなければ聖臣に触ろうとしたわけでもない。友人と話しているときに突然だ。
「え、どうしたの?」
「いいから早く」
機嫌はいつもにも増して悪そうだった。とりあえず言われた通りにきちんと石鹸で手を洗うがそれだけでは不満があったようで大きな手のひらでナマエの手を覆うと指の間から爪の隙間までそれはそれは念入りに洗い始めた。
泡のついた手を水道で綺麗に洗い流すと指の一本一本を自分のハンカチで丁寧に拭き始める。そのくらい自分でできるのに、と思うがこうしている間は聖臣の手に触れていられるからされるがままでいた。
「お前なんで他の奴に触らせてんの?」
「へ?」
頭の中でその言葉を反芻し、3秒たってようやく理解する。いきなりどうしたんだろうと思ってはいたがまさか嫉妬だったとは。可愛らしい自分の彼氏に頬が緩みそうになるが、聖臣以外の男子に触られた覚えは全くなかった。何かの間違いじゃ・・・
「ひゃんっ!」
するりと自分のお尻を何かに撫でられた気がして振り向くが誰もいない。そもそも近くにいるのは聖臣だけだ。まさか聖臣がやったのか、と恐る恐る視線を動かすが表情は変わらない。気のせいだったのか、と思った瞬間に再び同じ刺激が襲う。
「き、聖臣!?」
聖臣は普段からこんなことをする人ではない。そもそもキスだって一週間前にすませたばかりだ。自分は完璧主義者と豪語する彼がそういう目的でこんなところで触れてくるはずがない。だとしたらこれは何なのか。ナマエが思考する間も聖臣の手は止まらず尻を撫で回している・・・というよりは何か払ってる?
「えっともしかしてなっちゃんに抱っこしてもらってたあれ?」
「軽々しく人の上に乗ってんじゃねえよ」
むすっと眉間に皺を寄せてナマエのお尻をはたく。あれはただの女の子同士の戯れだ。ナマエは普段一緒にいるグループの中では小柄な方なので膝に乗せられて遊んでいたのだ。手を握られたり頭を撫でられたり・・・あれ、もしかして頭も洗われる?水かけられる?
「流石にここで頭は洗わない」
ナマエの考えを読んだかのようなタイミングでぽん、と頭に手のひらが置かれる。ここじゃなければ洗ったのか、と思うが珍しく頭を撫でてくれる聖臣にされるがままだった。実際は頭を撫でるというよりは汚れを払っているつもりなのだろうが。
「なっちゃんは女の子だよ。清潔感もあるし汚くないと思うけど」
「俺のものに俺以外が触る時点で無理」
ヤキモチ、というよりは所有欲や独占欲に近い言葉だった。
「じゃあ聖臣も他の人に触らせないでよ」
「男だろうが触らせてないし自分からは絶対に触らない」
冗談で言ったつもりだったのに本気でそう返されて戸惑う。よく考えれば確かに聖臣から誰かに触れているところを見たことがない。言葉を詰まらせているとはぁ、とため息が聞こえる。
「別に触らせるなとは言ってない。ただ俺より先にお前を抱いてたのが気に食わなかっただけ」
「っ!ご、語弊があるよ!その言い方は!」
ヤキモチではあったらしいが周りに聞かれたらどう思われるか分からない言葉に慌てて聖臣の口を塞いでハッとする。さっき洗ったばっかりとはいえ綺麗好きな聖臣のマスクに手を押し付けてしまった。パッと手を離そうとしたナマエの手ががっちりと掴まれる。
「別に何も困らないから」
「私が困るんだよ!」
「なんで?俺以外と付き合う気ないでしょ」
「そりゃあそうだけど!」
「じゃあいいだろ」
言いたいことは山ほどあるが彼には言っても通じないのだろう。諦めて大人しく掴まれた手の力を抜いた瞬間に勢いよく手を引かれる。ふわりと石鹸のような香りが鼻腔を擽り抱き締められたことに気付く。
「初めてが良かった」
「・・・それ言ったら聖臣だって小さい頃親に抱きしめられてるよ」
「それはノーカン」
どこからどこまでがセーフなのかが分からない。自分からはしてなさそうだけど聖臣も従兄弟である古森くんとは接触してそうだし、親戚がセーフ、血の繋がりがない人がアウト?
「親戚のお兄ちゃんとのキスは、」
「は?お前初めてじゃなかったのかよ」
アウトだったらしい。私が聖臣のファンの子にいじめられた時の次くらいには機嫌が悪い。マスクをしているから見えてないけど、薄い唇はへの字に曲がっているのだろう。そんな愛おしい彼氏を見てついに自分の頬が緩んでしまったのを感じる。
「何笑ってんの?」
「なんでもない」
自分がキレているのにニヤニヤと笑っている私を見て、不審そうを通り越して不快そうな顔をしている。ごめんね、聖臣がヤキモチ妬いてるの嬉しくて。それに
「これから先は全部聖臣だけだよ?」
「当たり前だろ」
こう言ったら聖臣の機嫌治るの分かってるから。
何事も中途半端が許せない聖臣は付き合い始めた時から当たり前のように私が最初で最後だと思ってくれている。私はそれがどうしようもなく嬉しいのだ。
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