小説(短編集) | ナノ

恋情の事始め

 
 この身を武に捧げると志した。主の為に死力を尽くそうと誓った。それが、唯一人の女性だけを求めるようになるとは――。


「お風邪を召されますぞ」

 掛けられた声に、僅かに肩を反応させた刹那。やや俯き、斜で捉えるように振り返る。その顔に浮かぶ陰りを察して、ライアンは胸の奥で痛みがざわめく音を感じた。

「ライアン、か」

 仄か、微か。セルビアは、そんな単語を用いなくては表しようのない極小の笑みを湛えている。細い肩に科せられた使命が、そうさせてるのか――それはともかく、若い娘には、少々似付かわしくない笑顔だ。

 “痛々しい”としか言い様のない笑顔。

 ライアンは胸に痛みを伴いながら、その笑顔を受け取る。セルビアの横に立つと、彼女の肩へ、ソッと外套を掛けてやった。

「なにを熱心に見ておられるのです?」

「ああ、あれをな」

 セルビアが指差した“其処”にはイムルという町がある。空の青と混じるように、幾つもの細々とした煙の筋が確認できた。

 彼女がいま何を思っているのか。自分の推測通りならば、あの夢が憂いを落としているに違いない。慰めるべきか、それとも貴女は勇者なのだと叱責すべきか。いや、ここは次の言葉を待つべきか――と、暫し思案に暮れる。このような場合、上手い言葉が思い当たらない自分をもどかしく思いながら。だが、何時までも黙り込んでいれば彼女の憂いが増すばかりで。ライアンは咳払いを一つ、ようやく声を絞り出した。

「もしや、臆されましたかな?」

 我ながら下手な言葉だ。もっと良い文句があっただろうに。そうライアンが悔やむ傍ら、セルビアは「馬鹿な」と口元だけを吊った笑顔を浮かべる。それはまるで、自嘲にも似た、極限まで感情を押し殺した笑顔といおうか。何処か悲しい笑顔だった。

「勘違いするな。奴への憎しみはおいそれと消しやしない。だけど……だけどな、奴の人間を滅ぼしたいという気持ちが少しだけ理解できた気がして、ただ悔しいのだ」

「……悔しい?」

「ああ。私と奴は、“同じ”だとね。愛する者を失った絶望、憤慨、恨み。そういった物で常に苛まれている。私との違いは人間と魔族という事だけ。奴の人間への憎しみは、私が魔物へ抱く思いとそう変わらない。ならば同一の感情を持つ者同士、解り合えるのではないかと思った事を――ね」

 いつもは口数の少ないセルビアが、今日はやけに饒舌だ。不謹慎にもそれを嬉しく思いつつ、一方で発言について考え耽る。

 知能があるなら、例え魔物と雖も感情があって然るべきだろう。そんな事は今更言う迄もない。また、セルビアの言う通り解り合えるだろう可能性も……。しかしながら、何故それが“悔しい”という感情に繋がるのか、皆目見当がつかず首を捻った。

 返事を倦ね狼狽えるライアンに目もくれず、セルビアは言葉を続ける。ただひたすら思い付いた事を捲くす口調には、人に聞かせる配慮は無い。数分後やっとライアンはある事に気付いて、ハッと息を飲んだ。

 これはセルビアの独り言なのだと。

 望まずに見せられた“夢”、その所為で己の使命に疑問を感じ始めているのだと。

 デスピサロの思いに触れ、一瞬でも復讐を仕方ないと過ぎった自分への憤り。僅かでもデスピサロに同情してしまうなど、死んでいった者達に申し訳ないと――それ故の“悔しさ”だと見て間違えないだろう。

 今セルビアは泣いている。

 もしかしたら本人は泣いている事にさえ気付いてないかも知れない。目から一筋、また一筋と伝う涙を拭く事無く吐露する姿がいたいけで、無意識に仕出かしていた。

「なに、を」

 少し焦ったような呟きが洩れる。

「離せ、ライアン」

 今度は怒ったように。

 凄みの利いた声にライアンが狼狽えたのも一瞬、無意識でした事であれど、もはや引っ込みがつかないと腹を括ったらしい。

 セルビアを抱いた腕へ、力を込めた。

「我慢などなさらずに、泣きたい時は声を上げて泣いた方がいい。私でよければ、いつでもこの胸をお貸し致しますから……」

 自分でも驚くほどに、言葉が口を吐く。

 そうする事で初めて、この感情が勇者という尊き存在に対する敬意では無く、愛情だと知る。親子ほど年の離れた少女に対して、苦しいまでの愛おしさを感じていた。

 それが伝わったか伝わらないかは、ライアンには知る術はない。だが確かなのは、異性を厭う彼女が、異性を異常と思えるくらい警戒する彼女がライアンの腕を振り払わなかったのも事実で。少しだけ躊躇ったように、恥じらいながら胸へ顔を寄せた。

「武人に、二言はないな」

「……えっ」

「お前は知らないだろうが、私は割と涙脆いんだ。だから――覚悟しろよ」

 言うが早いか、セルビアが頭を下げる。

 わざわざ宣言する辺りが、セルビアらしいと微笑みながら。ライアンは「心得てます」とだけ答え、自分の腕の中にいるセルビアを優しく、強く抱き締めたのだった。
 


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