小説(短編集) | ナノ

勇者の旅立ち

 
 風が泣いている。風は“吹く”ものであって“泣く”ものでは無いが、敢えてそう言い表そう。何故ならば木々の合間を縫い吹き抜けた風音が、宛も若い女が悲しみを嘆き叫ぶ声と等しく聞こえたからである。

 いや、もしかしたら本当に女の声かもしれない。その昔、そうあれは俺がまだ幼かった頃。シスターが枕元で語ってくれた。

 森に住む女の精霊は、人が死にゆく時、泣きながら夜空を飛び去っていくという。

 “何故、泣くのか”と問い掛けた俺に、シスターは酷く悲しい顔で、“弔いよ”と教えてくれた。当時、俺は五歳にも成るか成らないかの頃だ。無論“弔い”という言葉は難し過ぎた為、理解するには至らなかったが、悲しい事だというのは分かった。

 お伽話の詳細など覚えてはいないが、あの時シスターが見せた顔だけは今も鮮明に覚えている。そして正に今、俺を取り巻くように吹く風こそが精霊の叫びと思えた。

 風は北から。ラダトームの方角より流れてくる。恐らく、また人が亡くなったのだろう。遠く遠い場所にある町の灯りが、細い煙をまざまざと浮かび上がらせていた。

 この世界は狂っている。

 数年前――竜王と名乗る者が現れたのを境目に。奴が魔物なるものを作り出し、世界中へ放つと、凶暴で残忍極まりない魔物らは多くの人々を死とへ至らしめたのだ。

 尤も、今まで魔物という存在が無かった訳ではない。遠い昔、百年か若しくはそれ以上か。曾て確かに存在していたと言う。

 勇者ロト、彼の人が大魔王なる者を倒したのと同時に、魔物らも消え去ったと云われるが完全に消滅したわけでは無く、何処か別の次元に追いやられていたのだろう。

 恐らく、竜王はそれを召喚したとしか考えられない。奴が如何なる人物かは知らないが、人間でないことだけは確かだろう。

 ……だが、俺はやらねばならない。

 幾たりの戦士が奴を打ち倒す事を夢見、破れ、唯ただ、死体だけが増えようとも。

 俺の体に脈々と流れている“ロトの血”が立ち向かえと言っているのだから――。
 


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