小説(短編集) | ナノ

青い人とオレンジ娘

 
 町を発ってから、一週間が過ぎようとしていた頃だった。

 広野はどこまでも続き、前途は未だ見えない。十分なほど蓄えたはずの食料は、今や殆ど底を尽きようとしている。度重なる戦闘に加え、狩りまでせねばならない日々に誰もが疲れ切っているのだろう。一行のリーダー、アロイスは元より、ハッサンまでもが疲労を色濃くしていた。

 ――無謀な連中だ。

 テリーは胸中でそう呟きながら彼らの姿を横目で流すと、深い溜め息を吐いた。

 男で、且つそれなりに体力が備わっている彼らはまだいい。だが、他の連中はどうだ。現にミレーユは先程から木に凭れ掛かり、バーバラは腰も立たず地面へ座り込んでいる。最年少のチャモロに至っては、ろく睡眠も取らず仲間達の回復に徹していた激務からか、幼さの残るその顔には不釣り合いな濃い隈が刻まれている。

 ――あんな子供まで同行させるなんて、間違っている。

 テリーはつい嘆きを発した。

 無論チャモロが年若いと雖も、ゲント族の誇りを以て同行している事くらい知っているのだけど――それでもあのように困憊した様子を前にすると、胸を詰まらせずにはいられなかった。

(昔の――オレを見ているみたいだ)

 テリーも今のチャモロ同様、年端のいかない頃から、旅へ身を投じていた所為だろうか。チャモロと幼き自分とを重ね、口元を歪ませている。

(真っ平だ、あんな姿を見るのは)

 不意に沸いた思いに、テリーの足は自然と野営地から遠退いた。

 独りになって、木陰で腰を落とす。

 ……いつからだろう。

 悲しみ、苦しみ、切なさと、そういった諸々の感情を知られたくなくって、逃げ場所を探す癖がついたのは――。

 テリーは膝を抱え、頭を埋めた。

 気の毒に思ったなら、せめて声を掛けてやれば良かった。そうすれば、自分が担える事もあるやも知れない。そう、なにも難しい話では無い。ただ一言、例えば“大丈夫か”と、それだけ言えば済む事なのに。

 それすら出来ない自分が情け無くなる。

 だがその反面、心のどこかで“オレのがらじゃない”とか“今頃アロイス辺りが気遣っているはず”などと思う自分が居た。

 勿論あのお人好し連中は、自分がそんな事を考えてるとは知る由もないのだけど。
 仮に知っていたとしても、だ。きっと知らぬ振りをしてくれているのだろう、と。

 その優しさが、何より自尊心を傷つけると思いもせずに――だ。

(勝手だ、な)

 テリーは自嘲気味な笑いを浮かべた。

 人に見向かない癖に、自分には見向いて欲しい。その証拠にチャモロへ同情した気持ちは形を潜め、今は自分自身を哀れに思っている。挙げ句の果てには仲間達を非難しているのだから、呆れるしかなかった。

(いや、そう思うなら今からでも奴らの所へ戻ればいい。そして今度こそ――)

 ふと、予行練習をしてみる。

 手を差し伸べて――そう、顔は少し覗き込むような形を取った方が良いだろう。何せチャモロの背は低い。只でさえ取っ付き難く思われているのだから、子供と接するような感じで……。表情はどうしたらベストか。こういった場合、笑顔はおかしいかもしれない。心配そうに眉を顰めて――そうだ、この表情でいこう。次に声だ。いつもの凄んだ声ではさすがに不味い。優しげな風に、なるべく威圧しないように――。

「だ……だいじょう、ぶはっ」

 盛大に噛んだ。

「だ、だいにょむにょ……」

 ……やっぱり、噛んだ。

(駄目だな、“大丈夫か”は。そもそも短い過ぎて、逆に変な力が入るし……。なんかこう、もっと……例えば、例えば……)

 少し、考えに耽ってみる。

 アロイスなら何て言うか。あいつは躁病みたいな奴だから、目障りなくらいなハイテンションで発破を掛けるに違いない。だとするとハッサンはどうするかな。声掛ける前に、いきなり担ぐとかするかもしれない……。どちらにしろ、オレには無理だ。

 やはりここは、オレらしく――。

「後は大人が始末する。ガキは休んでな」

 決まった。これ以上なくカッコイイ。

 よし、リプレイだ。

「後は大人が――」

「ねぇっ! なにしてんの?」

「うわああぁっ!」

「超ウケる。ビビり過ぎなんですけど!」

 誰かと思えば、それはバーバラで。

 まるで、馬鹿を見るかの如く――いや、馬鹿にされて当然ではあったが――指を差し、腹を抱え、膝を叩いて爆笑している。

 片や、とんだ所を見られたテリー。

 その焦りっぷりからは今まで培ってきた“クール”且つ“ニヒル”なんてイメージから程遠い。顔は勿論首まで赤く染まり、声の出ない顎をカクカクと動かしていた。

「ていうか、ホントなにしてたの?」

「だ、そ、お……お前には関係ない!」

「へぇ、そういうこと言っちゃうんだ?」

「煩い! 用がなければ、向こうへ行け」

「あーっそうっ! ……こほんっ」

 冷たくあしらわれ、回れ右。

 あーあー、と息を吐いた――次の瞬間。

「後は大人が始末する。ガキは休んでな」

 ……と、一字一句間違えず大声で。

 おまけに無意識でしていたらしき、“髪を掻き上げる仕草”の物真似付きである。

 これには、テリーも堪らない。飛び掛かるや否や、即座にバーバラの口を塞いだ。

「おまっ、聞いて……っ」

「きゃあ! 犯さーれーるーっ!」

「お、おい。人聞き悪いこと言うなよ!」

 思わず、手を外した。

「……大体お前みたいなナインペタン、誰が犯すかよ」

 ナインなんたらが、ものごっつ死語なのはさておき。醜態を暴露された上で、乱暴しようとしたなどと思われては形無しだ。
 どうにか寸での所で、テリーはいつもの“クール”且つ“ニヒル”を取り繕うと、ふっと一息。クイッと気障に顎を上げた。

「それはそうと、相当疲れて見えたのに。お前、わざわざオレを捜しにきたのか?」

 それはそれで、嬉しかったが……。

「うん、アロイスが『呼んで来い』って言うから。面倒だけどアロイスの頼みだし」

 真っ向から“面倒”と明かされた訳で。

 テリーは足に掬われそうな感覚がした。

 生まれてからこの方モテ街道まっしぐらだったテリーだ。目を合わせただけで、大概の女は容易く陥落するものだが――どうやらバーバラ的には、“アロイス>>>越えられない壁>>>テリー”……らしい。

 それを裏付けるかのようにアロイスの口調を真似た部分は甘い声で、“面倒”の部分だけは吐き捨てるような言い方だった。

(なんだ、この感情は?)

 どういう訳か、“悔しい”と思った。

(嫉妬……やっ、まさか! こんな喧しい女、全然タイプじゃない。オレは姉さんみたいに、美人でスタイル抜群な女がタイプなんだ。性格も姉さんみたいに楚々としてて姉さんみたく優しい女でなければ……)

 だけど――。

(ていうか……こいつ、好み変だろ。オレよりも、アロイスの方が良いとか……)

「ちょっと!」

「……なんだよ」

「あたし、言ったよね? あんたを捜しに来たって! アロイスが待ってるの。分かる? あんたがグズグズしてると、あたしが怒られるの! イジケるのはあんたの勝手だけど、あたしに迷惑かけないでっ!」

「オレは、イジケ、て、なん、か……」

「バレてないと思ってたんだ。ていうか良い機会だから教えてあげる。あんた、よく“オレに構うな”とか言うじゃん。でもあれ、不貞腐れてるようにしか見えないよ。男の誘い受けって、ハズいんですけど!」

「ち、がっ、オ……レは」

 男が女に、口喧嘩で適うはずも無く。

 矢継ぎ早に放たれるバーバラの言葉は、まるで毒針のような威力がある。今はチクチクと胸が痛む程度であれど、安心するなかれ。急所を貫かれるのも時間の問題だ。

 とにかく黙らせなくては――テリーはそう思うより早く、バーバラの腕を掴んだ。

「痛いっ! 離してよ」

「黙れよ!」

「暴力に訴える男って最低! もうみんなに言うから。アロイスにもハッサンにもアモスにもチャモロにもミレーユにも――」

「黙れ!」

 それは、謂わば麻酔のつもりで。

 昔――何処かで見た恋人同士のように。

 テリーは喚く女の唇を己の唇で封じた。

「うっ……ん、くくぅっ……」

 力では適わぬからだろう。バーバラは抗う事すら出来ず、次第にぐったりとしていく。一方テリーは、初めて合わせた唇の柔らかい感触に体の芯が痺れるのを感じた。

(これが、女の唇……)

 吸う度、甘い吐息が流れ込んでくる。

 何せ、初のキス。余りの気持ち良さに我を忘れたのだろう。テリーの暴挙には歯止めが効かない。何とも思っていなかった、寧ろ嫌いなタイプの女だというのに――。

 “若い”という事は恐ろしい。

 最初の衝撃である、男としての矜持。また聞きたくなかった事実を言い当てられた焦燥。そして欲情が醸す熱を――奥手なテリーは身体に広がるドキドキ感を“恋”として錯覚してしまったようだ。一瞬だけ離れた表情には、確かな恍惚が見て取れた。

「バーバラ……」

 もはやそうなれば、愛おしさしかない。

 よくよく見れば、バーバラもかなり可愛らしい顔をしている。花の蕾のように染まった唇に再度キスを落とすと、手の行方は徐々に腕から腰へ。貪るかの如く、舌を更なる奥へと差し入れようとした時だった。

「テリィィィッ! テメーーェッ!」

 怒声と共にテリーが見たそれは、華麗に空を舞う脚で。スーパースターから勇者、現在ドラゴン職を極めつつあるアロイスの殺人舞踊――即ちムーンサルトであった。

 後日ルイーダの酒場に、テリーの席がリザーブされた事は言うまでもないだろう。
 


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