怒濤のような結婚式を終えて早数日。
僕は葡萄の房を見上げた途端、つい洩れ出た溜め息を慌てて抑えた。こんな疲れた様を見られたら何言われるか、と……盗み見れば、当のデボラは余所を向いている。
助かった。彼女は自分の爪に夢中だ。
鑢で丹念に表面を撫で、ベースコートを塗った後はマニキュア。一連の作業を終えるまで、かれこれ三十分。彼女のする事には無駄が多いように思える。僕が男だからかもしれないけど、爪なんか整えた所で何の意味があるのか。だって、あれは指を守る為のモノだろ。なのに、その指に負担を掛けさせてるんだから、本末転倒だよね。
余りに見つめ過ぎたのが不味かった。
デボラは僕を見て、フフンッと鼻を鳴らす。やや伏せられた睫の奥で、黒い瞳が光っている。まるで蛇に睨まれた蛙だ。情けないが、僕の背中には汗がタラタラ。朝に替えたばかりの下着が一瞬でベタベタだ。
「私が美しいから緊張しているのね。あんた、スライムみたいな顔になってるわよ」
“言うに事欠いてスライムかーーい!”
無論、声は出てない。というか、出せる訳がないから、心の中で突っ込んでみる。
それにしてもデボラの発言には、聞く度に、つい感心してしまう。なんでも自分への賛美と取る所は勿論、表現力? そう、例えがね。とても的確。確かに今、僕はスライムみたいな顔をしてたかもしれない。
まあ、普通なら“鳩が豆鉄砲食らったような”って表現するのが妥当な所だろう。
見開きすぎて、目の縁が痛いくらいだ。
つまり僕はそのくらい驚いてた訳で。なんでかって言うと、何処となく妻の……デボラの元気がないように思えたんだもの。
いつもなら、蹴りの二発や三発がある所なのに、言葉だけで終わらせるなんて、せっかく身構えたのに拍子抜けもいい所だ。
いっくら不自然な結びつきとはいえ、妻が元気ないと、少しばかり居心地が悪い。
どう切り出そうか。彼女相手では下手な事は言えない。成る可く気に障らないよう慎重に言葉を選ばねば……と、そう思い悩んでいれば、不意にデボラが口を開いた。
「あんたとビアンカって幼なじみよね」
デボラは言いながら目を落としている。
その瞬間、やっと彼女の不機嫌が分かった気がした。新婚旅行がてらに色々な町を巡っていたけど、カボチ村に行った時もここまで不機嫌じゃなかった。そう此処、アルカパに来るまでは。……つまり、ビアンカと僕の関係を気にしてるってとこかな。
なんだ、結構可愛い所があるんじゃん。
確かに子供の頃は、ビアンカに憧れたけど、ね。再会して、“あわよくば”とも思ったけど……さ。でも、それは所謂、若気の至りって奴で。そもそも、手を出そうにも魔物達の手前、不可能だった訳で……。
だから、心配する事なんてないのに。
僕は不覚にも、不安を出さないようにしてるデボラを愛おしく思えてしまった。大丈夫。僕は浮気なんてしないから。いま漸く分かったよ。君は素直になりたくても、なり方が分からない人なんだ……ってね。
「はぁ!? あんた、正気?」
やっと勝てた気分だ。後ろで喚きまくるデボラを無視して、僕は強引に手を引く。
本心が分かったからには、もっと見てみたいってのが普通だろ? 昔に泊まったそこは、ビアンカの部屋の真上に当たる部屋で。そこへ泊まろうって言ったら、デボラも僕と同様、スライム顔になってくれた。
あそこで営みをしたら、どんなに可愛い反応を見せてくれるかなってね。ちょっとの背徳感、淡い期待感。そんな刹那的気分を味わい、僕は部屋へと向かう。名実共に妻となったデボラの手を握りながら――。
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