“おなべ”……無論、ここで言うおなべとは差別用語に類する意味では無い。鍋の丁寧語だと、当たり前の事を断っておく。
「悪いが、稽古の後は何も食わぬようにしてるのだよ」
リョウは優雅な笑みを残すと、颯爽とした足取りで、テントの中へと引き戻った。
「うん、あのなぁ……なんっうか、俺は朝っぱらから下しててよぉ」
身振り手振りで如何に深刻な状況かを訴えるガイラス。明け透けもいい所である。
こちらは「腹が痛ぇな」と、大袈裟にほざきながら、やはりテントへ戻ってゆく。
残されたライは、ふと溜め息を吐いた。
「せっかく頑張ったのになー……」
視線を鍋へと移した途端に、自分が哀れに思えて、涙をポロポロと落とす。……旅を始めて数ヶ月。リョウが料理上手なことも相俟って、皆、彼に任せっきりだった。
普段からリョウは働きすぎである。それ故に、ライも常々から負担を軽減させたいと考えていた。その結果として料理当番を買って出たのだが、何故か上手く作れないのである。才能といおうか、ライには料理を作る根本的なセンスが足りないようだ。
その“証拠”とばかりに、如何せん味付けが悪い。それ以前に、下拵えの基本からして所々間違っていた。これでは、二人がライの料理から逃げるのも当然と言える。
(勿体ないけど)
……捨てよう。そう決めた時だ。
「ま〜た、不味そうな臭いだな!」
「い、いきなり出てくんなよ。お前は!」
ライの後ろから、肩越しに顔を突き出すと、ニノがまるで悪戯っこのように笑う。 相変わらずの神出鬼没。突然現れておいて、悪気もなしにライの側へ座り込んだ。
「つか、その臭っいの貸せって。うわっ、こりゃ何時にも増して、酷ぇ出来だな!」
「わ、悪かったな。……いいよ、どうせ捨てるんだから。返せっ!」
鍋はニノの手からライの手に。そこをスルッと掠め取り、またニノの手へ戻った。
「くぅ〜不味っ。どうしたらこんな凶悪なモン作れんのか、逆に聞きてぇっての!」
「そんなに言わなくたって……いいよ、もう。僕、料理なんて……作らな……いっ」
料理だけでなく自分が誰の役にも立てない事が辛いのだろう。余りの情け無さに、ライはそのままグズグスと咽び無く始末。
「ごっとさん」
稍もして、ニノが少し照れ臭そうに、それでいて憮然としながら空の鍋を置いた。
……四人分はあったはずのそれを平らげてしまったようだ。信じられないといった具合に目を瞬かせるライを見て、ニノがいつも通り、余裕綽々とした笑みを見せた。
「確かに下手だけど、オレと結婚するまでに上達してくれりゃあ、問題無いないっ」
「だっ……誰が、お前なんかと!」
そう怒鳴るライの目には、泣いた陰りも消えている。ライの涙が乾いた事を知り、ニノは嬉しそうに、目を細めるのだった。
|