スガの笑顔はときどき見ている方が辛くなる時がある。笑顔を張り付けて、本心を隠していることに気づいたのは、ほんのつい最近だった。

スパイク練習の時も、彼は笑顔を張り付けている。隣でトスを上げる年下の天才を見る時の顔は、まさしくそれだった。



「スガ。指大丈夫…」


ある日の練習中、スガが突き指したと言って水飲み場まで指を冷やしに行った時のことだった。突き指というものはまず十分に冷やしてからテーピングを巻いたりするものだから時間が掛かることは承知の上だったが、あまりにも時間がかかり過ぎていたため、心配になって見に来たのだ。
第一体育館と第二体育館を結ぶ廊下の片隅にある水飲み場は余り使用者が居なく、常に静寂だった。

かけた声は最後まで形になることなく、水道の蛇口から零れた滴の落下音に融解していった。




そこにいたのは、廊下の壁にもたれるように寄り掛かり、下を向いているスガの姿だった。
投げ出された足に視線を向けぼう、と。ただぼう、と前を見る彼の瞳は少しだけ暗い。突き指をした反対の手は握り締められていて震えた拳は冷たく硬い床を何度も叩く。


声は、かけられなかった。





旭も西谷も戻って来て新しくコーチを迎え、やっとスタートラインに立った烏野バレー部は、レシーブの天才である西谷以外に、ある天才が入ってきた。

影山飛雄、通称コート上の王様。
高いトス技術に加え、圧倒的なバレーセンス。高身長でスパイクも上手い、優秀な人材だ。ポジションはセッターで、レギュラーになれる実力は十分に持っている。まだ正式なスタメンは発表されてないが、このまま行けば…






「……スガ、指大丈夫か」

震える声を抑えつけ、先程最後まで発せなかった言葉を解き放った。

言葉を向けた彼は、一瞬。ほんの一瞬だけ表情を歪めた。いつもの笑顔が崩れる瞬間を、3年間で初めてみた時だった。ふっ、と引き結んだ唇を緩めて、傍からみたら笑顔だと思うだろう。だけど、笑ってはいないのだ。目が、目だけが泣いていた。


「大地!…来てたのか」

歪んだ笑顔を、いつものスガの笑顔に戻った時から、取り繕う空気までも先程のものとは一変した。


「あぁ、…今来たとこ」


「そろそろ良くなって来たから戻るかー!ありがとな、大地」


「…あぁ」

何も言えずにその場に流されそうになった時だった。体育館に戻ろうと前を歩くスガの背中が、急に小さく見えたのは。

その小さく細い背中には、沢山のものが乗っている。悔しさだとか、焦り、プレッシャーに計り知れない不安が。
気づけば、細い腕を掴んでいた。



「…ちょっと待って」


「な、何…?」


いきなりの出来事に焦るスガの腕を掴み、先程までいた水飲み場へ引き返した。




「なぁ、大地。いきなりどうしたんだよー…」


「……」

「大地ってばー…」


いつも通りの様子のスガは口々に言葉を発する。何て言おうか。どう言おうか。あまりにも無計画な自分に腹が立った。

主将の立場から言えば、スタメンに入るのはより実力を持つものだと思う。スポーツは勝つか負けるかの戦いだ。弱いものは、負ける。そんな世界。
だけど、主将という立場を一旦退かしてみれば意見は変わった。3年間、苦楽を共にした三人で、コートに立ちたい。バレーがしたい、と。
主将、副主将という関係から支えあってきた絆というものは、特別なものだと思っているのだ。



「俺は…スガと…もっとバレーがしたい」

考えに考えた末に出た言葉は、震えてはいないだろうか。


「…俺は、さ。大して上手くもないし、身長だって低い。巧みなセットアップを組み立てることも出来なければ、ドンピシャなトスを上げることも出来ない。だけどさ、」


スガの紡いでいく言葉は、虚しく胸に響いた。今までずっと、胸に溜めてきたのだろうか。自分を卑下する言葉たち、を。


「だけど…俺は…お前らともっと一緒にバレーがしたい…!!」


「…スガ…」


「でも…自分のせいで負ける、なんてのは嫌なんだ…それだけは、絶対に」


スガはけして下手なんかじゃない。スパイカーのことを考えて上げるトスはいつだって打ちやすいし、丁寧だ。それに周りをよく見て、チームを引っ張ってくれる。だが、影山の圧倒的な実力を前にすれば、…自信を失うのは当然のことだった。


「頑張ろう、いいトスを上げよう上げようって思う度…影山のトスの凄さに落胆するんだ…比べようもないのにな…」


スパイク練習をするときは、スガと影山二人がトスを上げる。皆普通に練習しているが、影山のトスを日向が打てば…湧き上がるのは歓声だ。


「…影山には影山にしか出来ない事がある。スガには、スガにしか出来ない事がある…。そう思わないか…?」


「……うん」


言い聞かせるように、諭すように言えばスガは微かにうなづいた。


「…頑張れ、なんて俺は言わない。だって…こんなにも頑張ってるじゃないか…」


突き指した手を握れば、いつもは細い指がボールの触りすぎで浮腫んでいて、赤切れも目立った。トスを、サーブを、レシーブを....。一生懸命上手くなろうと練習しすぎて荒れた手は、スガの努力を物語っている。


「大丈夫。俺は、俺らは。ちゃんと見てるから」


最近、旭がスガのトスがもっと打ちやすくなったと言っていた。ライトに上がるバックトスも精度を増してきている。3年間、ずっと一緒にバレーをやってきたんだ。変化に、気付かない訳が無い。


「....うん」


うなづいたスガの瞳は濡れていた。はらはらとこぼれ落ちる涙を見るのは、これが初めてだ。



「大丈夫....。大丈夫だから」


「....ありがとな、大地。本当に本当に....ありがとう」


背中をさする此方に向けた笑顔は、本当の、偽りのない、スガの笑顔だった。






数日後、ついにスタメンが決まった。セッターは影山。でも俺は、あの時スガが流した涙をけして忘れない。もっと一緒にバレーがしたい、と言ったスガの一言で、俺はさらに勝ちたいと思えるのだ。スガと一緒のコートに立つ為に。スガの上げたトスを、打つために。

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