3.水月
ずっとずっと思い描いてた。あの人とまた再会することを。転生して17年、ずっとずっと夢みていたこと。だけど、それは結局夢でしかなかったのかもしれない。
雅美は近藤さんに会うため、職員室へと向かっていた。職員室の扉をノックし、開けた瞬間、コーヒーと職員室特有の香りが鼻腔を擽る。
「すみません、近藤学園長は…?」
「あぁ、神谷くん。おはようございます。学園長は今、職員室には居りませんよ」
「そうですか…。ありがとうございました」
「いいえ。あ、それと神谷くん…あの、」
「すみません、山南先生。少し急いでるので…」
一番近くにいた山南さんに声をかけ一礼。何か言いたげな山南さんを阻み、内心がっくりして職員室を出た。一体どこにいるのだろう。近藤さんが呼び出すのは大抵、部活の用事がある時くらいである。早く探さないと始業式が始まってしまう…。もう一度校内を探してみることにした。
桜が植えられている中庭と繋がっている渡り廊下を小走りしながら前世の記憶を思い出す。そういえば京にいた頃も近藤さんをよく探していた。土方さんが近藤さんに用があるから探してくれ、と頼まれたり、総司に近藤さんはどこ?と尋ねられる度に探していたり。今は剣道部にマネージャーがいないから、選手兼マネージャーをやってるので結構な頻度で呼び出される。練習内容やスケジュールなどを確認する為に。総司には近藤さんと話せてずるい、なんて妬まれてよく虐めてくるのだ。雅美は深いため息を溢して廊下の角を曲がった。
「痛っ…」
突然鈍い音がして、体に痛みが伝わる。肌から感じる廊下の床の冷たさは、多分ぶつかった時に押し出されてしまったからだろう。
「悪い、大丈夫か?」
頭上から男の人の声が聞こえ、差し出された大きな手に掴まり立ち上がる。
「いたたた……」
「膝、擦りむいちまったな…」
「いえ!これくらい大丈夫ですから!」
ぶつかって転んだ時に擦りむいた膝は少しだけ血で滲んでいた。男の人の申し訳なさそうな声がして、今まで下げていた顔を上げた。
「そうか…だが、手当てはしとけよ」
「え……?」
「どうかしたのか?」
それは一瞬の出来事だった。身体が固まったように動かなくなった。だけど心臓はうるさいくらいに激しく動いている。干からびたかのように声が出ない。それは何年もその言葉を発してなかったかのように、懐かしい響きが嬉しくて眩暈を起こすくらいだ。
「…土方さん……」
「なんで俺の名前知ってんだ?」
「え……?」
「おーい、神谷くん!すまんな、なかなか会えなくて」
沈黙を保った気まずい空間に近藤さんが走ってくる。そして先ほどぶつかった人に笑顔を向けた。
「トシ!急にいなくなるなよ…。探したんだからな」
「すまねぇな、近藤さん。で、用事とは何だ?」
「おおっ、そうだった!お前に紹介したい人がいるんだ。神谷くん。こいつは今日から新しくこの学校に転任してきた土方歳三だ。そして、剣道部の顧問もやってくれる」
「そして、トシ、この子は神谷くんといってね。うちの剣道部唯一の女子部員だ」
「あ……はじめまして……神谷雅美…です」
「土方歳三だ。よろしくな」
促されるように礼をして視線が交わる。久しぶりに見た紫苑からは何も読み取れず、すぐさま外らされる。
「じゃあ、神谷くん。私はもう行かねばならん。悪いんだが…トシを職員室まで連れてってくれないか?」
「あ…はい、わかりました…」
嵐のように去っていった近藤さんを見て、呆然とした。
「じゃあ、案内頼むぜ」
「はい…」
沈黙が二人を包んだ。どことなく流れる気まずさは、おそらく自分が先程言った言葉が原因なのだろう。
すると突然、風が巻き起こった。地面が唸るような低い音を立てたそれは、満開で咲いていた桜を一瞬で散らせる。
それが何の暗示なのかは、この時の雅美には解らなかった。
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