短編 | ナノ



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 俺は愚かだった。

 今思えば君に構って貰えないことに、どこか拗ねたような気持ちもあったのだろう。見目麗しい見習いが本丸を訪れた時、当てつけのように君の前で彼女に懐いた。ちゃちな呪具や術式に隠された、醜悪な本性に気付いていながら。何でもないというようにつんと澄ました顔の裏に、少しの寂しさを押し込めていることを知っていながら。

 君はお世辞にも、優秀な審神者ではなかった。

 俺を呼び出せたのも奇跡に近いと囁かれるほど、並にも届かないような力量だったという。それでも才能溢れる同輩に負けじと歯を食いしばり、毎日のように修練や戦術の勉強に励んでいたことを知っている。根を詰め過ぎた君を叱り、休ませるのはいつだって俺の役目で、それが本当は少し誇らしかった。なのにそうしなくなったのは、一体いつからのことだっただろう。

 俺は怠惰だった。

 憔悴していく君の顔、夜な夜な複数の刀剣の部屋に通う見習い、何かを振り払うようにわざとらしい笑い声を上げる仲間達。それら全てに見て見ぬ振りをして、ただただ流れに身を任せた。あの思考を鈍らせる甘ったるい匂いがなければ、俺は今でも君の刀であれただろうか。散々斬って捨ててきた歴史遡行軍の連中の心が、今になって少しだけ分かったような気がする。

 君はありふれた人間だった。

 山姥切や加州清光のように、一般的に『拗らせている』と言われるほど劣等感や強迫観念を抱える刀剣に対しても、それらを一掃するような素晴らしい言葉など持ち合わせてはいなかった。口下手で、どうしようもなく不器用で、誰かと向き合うのを酷く苦手としていたようだから。ただただほんの少しの気遣いが、目を凝らさなければ気付かないほどの優しさが少しずつ積み重なって、確かな信頼を形作っていたはずだった。

 俺は狭量な男だった。

 君が2度目の奇跡――三日月宗近を顕現させた時、胸を揺さぶられるような嫌な予感に襲われて。俺の主は聖人君子でも、完璧な人間でもなかったから。女だと侮られることが何より嫌いだった君は、けれどふとした瞬間女性を感じさせることが度々あったから。思った通り、恋慕というほどではなくても時折三日月に見惚れるようになったその横顔は、確かに女のそれで。その浮かれたような眼差しがどうにも滑稽で気に入らなくて、しかし俺も同じくらい馬鹿だったのだろう。

 君は臆病な奴だった。

 隙を見せまいと見え見えの背伸びをして刀剣に対しては酷く肩肘張った態度をとる君を、誰もが微笑ましく、けれどもどかしく思っていたこと、きっと君は知らないだろう。百年千年を生きる俺達からすればこの上なく分かりやすい強がりは、その殻に守られた脆く柔らかい中身を推し量らせるに十分なものだったのだ。支えたい、寄り添いたい、でも触れることは許されない。その小さな背中に手を伸ばしかけて、何度溜息を吐きながら腕を降ろしたことか。

 俺は時折無力だった。

 格式ばった態度を崩したがらない君も、稚い姿をした短刀達には比較的気安い様子を見せていた。そのためか追い詰められた時、悩みを抱えた時、真っ先に頼られるのもまた彼らで。愛らしい外見を最大限に利用する短刀に苦笑し、そんな彼らに歯噛みする打刀や太刀に呆れ、けれど内心誰よりも嫉妬の念に駆られていたのは間違いなく俺だっただろう。どうして俺では駄目なんだと問いかけることは、結局叶わなかった。

 君はどうしようもなくただの女だった。

 戦に出さなかったり伽に呼んだりと、分かりやすい寵愛があったわけではない。しかし天下五剣の来訪を大いに喜んだ君は、さり気ないところで、しかし確かに彼を優先させるようになる。その態度は三日月の自尊心を大いに満足させ、他の刀剣の些細な不満を煽り、そして俺の胸の内側を掻きむしった。俺達の前では頑なであった筈の人間が、強く珍しいというだけで無意識にしてもたった1振りに媚を売る姿に酷く失望して、けれどどうしてか見限る気にもなれなくて。
 誰もが心に矛盾した気持ちを抱え、気が付けばぎすぎすとした空気が漂い始めた頃。全てを見通していたかのように、見習いは悠々と本丸に足を踏み入れた。

 転がり落ちれば、あっという間。誘っても一緒に遊んでくれない、いつまでたっても態度がよそよそしい、こんなに長い付き合いなのに心を許してくれない、俺達のことなんて何とも思っていないんじゃないか。少し考えれば否定できたはずの不信感は、それらを敢えて煽るような見習いの囁きで、段々と大きくなっていく。そして、暗転。


 直接手にかけたのは誰だったか。最早それすらも分からないほどに、記憶は黒く塗り潰されようとしている。我ながら酷いものだ。最後までたった1人だったあの子は、全ての悲しみを抱いて死んでいったというのに。

 俺は見捨てた。

 泣いて縋る君を。
 君が死んだ後、次々に折られていった同胞を。
 見習いの腕の中で、諦めたように笑った三日月を。
 最後の短刀、前田藤四郎の亡骸を抱きしめた一期一振によって、その日の夜に首を刎ねられた見習いを。

 俺は見捨てた。

 みっともなくも悲鳴を上げる、この愛を。


 ふと目を開くと、果てしなく広がる闇の中、一筋の小路が地平線の向こうへと伸びている。あれは黄泉比良坂か。俺なんかを置いてとっとと死んでしまった君も、ここを通って行ったのだろうか。
 こうして絶望の中、1人でいるくらいなら。君を1人にするくらいなら。


 ああ、どこまでも続くこの道を。君といけたら良かった。

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