リナリアの花言葉


トントンと机に先端を何度か押し付けて、葉をそろえる。
それを銜えて、カチリと火をともした。

「!? し、白石、おま、煙草…吸うんか!?」
それまで呆然と俺の行動を見とった親友が、唾を飛ばさんばかりの勢いで言って身を乗り出してきよった。
v 「謙也、近い」
一瞬吸った煙をそのまま吐き出してやろかと凶暴な気持ちにさせたが、さすがに可哀相やろ思うて顔を背けて煙を吐き出す。すると謙也も気付いたんか椅子に座り直して視線をさ迷わせた。

「……なんでなん? お前、めっちゃ健康志向やったやんか。煙草なんて嫌いやゆうてたやん」
「昔の話やな……ええやん、自分の体やねんし」
「せやけどっ…」
「はいはい、お医者さんのくせに胃痛悪化させて胃潰瘍で入院した人の言葉は聞きませーん」
「っ……」
頭の片隅で卑怯やなぁと思うた。謙也がいっちゃん気にしとることを口にして、話をそらすやなんて。


中学、高校、大学と卒業して、俺は社会人5年目。医者になって3年目の謙也が、久しぶりに遊ぼうやゆうてようやく実現した今日。互いに忙しいこともあって、会うんはホンマに久しぶりやった。
近況報告から始まって何ら変わりのないお互いの現状に笑って、ひと段落ついたその時に取り出した煙草に目ざとく反応する謙也。
ああ、せやけど、俺昔っから謙也にはよう隠し事できひんのやってな。ほら。じっと俺んこと見てきて何や言いたそうな表情を浮かべとる。

「オサムちゃんとは…あれから会うてへんの?」
「……スピードスターは健在なんやな。率直すぎるやろ」

「う、あ、す、すまん、けど……」
「あーかまへんかまへん、遠慮しあうような仲でもないやろ、俺ら」
軽く言えば、落ち込んだ表情が、パッと太陽が差すように明るくなる。

「せ、せやな!」
前向き。明るくてクラス、いや全学年から人気者の謙也らしい反応。俺、コイツのこと好きになったら幸せやったんとちゃうんかな……よお知らんけど。

「会うてへんよ、一度も」
俺が中学卒業と同時に、関係は自然と切れた。全財産やいうて俺に預けたけったいなガントレットも、卒業を機に返した。
俺が知っているのは、名前と、煙草の味。それから、唇から感じる独占欲。


普段はうるさて、ずぼらやのに、俺が中学生やってことを気にしてキス以上のことはしてこんかった。当時はなんて意気地なしなんや思うてたけど、歳を重ねて、俺かて色んな奴と付きおうて、そして気付かされたんや。
あの口付けこそが究極の独占欲やったということに。幸か不幸か、当時のあの人と同じ歳になってようやくや。
他の奴と比べるなんて最低? 別に俺、聖人君子とちゃうしな…ええやん。

「白石やー……置いてかんといてや」
「別に置いてってないやん」
火のつけ方も知らない頃から、馴染んでいた香りを味わって、ぎゅっと灰皿に押し付ける。


「なあ、白石、もう素直になってもええんとちゃう?」
「藪からぼうに何のジョークや?」
コーヒーを一口含み、謙也から視線をそらして窓の外にやる。

「ジョークでもなんでもないっちゅー話や。オサムちゃん……結婚してへんで」
「は? 冗談……あの人もうええ歳やん」
思わず正面を向いて、ガシャンと音を立ててカップを置いた。その時、視界に懐かしいもんが飛び込んできた気がして、再び窓の外に視線を移す。

「俺も嘘やろ思うてんけどな、俺の恩師がオサムちゃんと同級生で……白石?」
謙也が何か喋っとる。反応せなあかんのに、指ひとつ動かされへん。


「……はよ行ったらんと、見失うで、白石」
謙也が、するどく言った。その言葉だけで、俺を動かすんは充分やった。
財布から千円札を1枚、謙也に押し付けて立ち上がる。
謙也は笑って、頑張りやと告げた。
「おおきに! 埋め合わせはまた今度するわ!!」


「あんな白石、久しぶりに見たわ。……うまくいくとええな…」





「待てやおっさん!!」
「――――白石…!?」

たっぷり一拍は置いて、そいつは俺のことを見る。
乱れた呼吸を整えて、俺は切り返した。

「こんなエクスタシーなイケメン捕まえといて、他に誰がおんねん、オサムちゃん」
「いや、俺は捕まえられたんやけどな。そんなことより、久しぶりやな、白石。卒業以来とちゃう? 大きなったな〜」

昔と変わらない、まるで親が子を見るような目に苛立って、思わずオサムちゃんの腕を掴んで路地裏に引っ張り込んだ。先客の猫が勢いよく逃げ、カラスが恨み言を漏らすように鳴きながら飛び去っていく。


「……俺、もう40のおっさんやで」
最初に口火を切ったのはオサムちゃんで、俺は泣きそうになった。
そんなん聞きたいんとちゃう。

「ほんなら俺、何歳になったらええねん…もう27や」
オサムちゃんに別れを告げた15歳。あの日のオサムちゃんと同じ歳。あれから12年。そんだけ経っても、忘れらんかった。仕舞いには彼と同じ煙草を手にとって、口にするたびに未練がましいと自嘲する日々。


「煙草……吸うてんの…?」
「誰のせいや思うてんねん。アンタのせいやろ」

「……そら悪かったな…」
どこか申し訳なさそうに言われて、俺もばつが悪なってそっぽ向く。


多分思っとることは同じで、言いたいことも同じやのに、なかなかそれが言われへん。
すると、オサムちゃんの腕が伸びてきて、頬を撫でられる。少し荒れた無骨な手。ああ、昔と変わらん仕種やな。この後ですることなんて一つや。視線が交じり合って、どちらからともなく唇を合わせた。


中3のあの日、初めて知ったキス。今んなって知ったこの唇から伝わる想い。
こんだけの年月が経っても、一瞬で心が傾いてしまうんや。
離れていく唇に、すかさず問いかける。溢れ出て止まらない想いは、自分だけじゃないと、ホンマはずっと、言葉で聞きたかった。


「オサムちゃんは、俺のことどう思てんの?」
ここまできとんのに、答え聞くんが怖かった。
最近受けた昇進試験には、全くって言うてもええくらい緊張せえへんかったのに、今は異常なほどに心臓が激しく音を立てとる。

しばらくの沈黙ののち、オサムちゃんは深いため息をついたかと思えば、抱きしめられとった。
俺は軽くパニックになってしもうて、離れようと身じろぐ。しかしそれは叶わず、腕に力を込められた。


「……降参や、白石―――、好きや」

そして、耳元で囁かれた言葉に、あの日押し込めた気持ちが完全に瓦解する。

脳内に、さっき謙也に言われた言葉が甦った。
せやな、謙也。12年や。自分に嘘をつき続ける期間にしては充分すぎやな…。

そろそろオサムちゃんにも、俺のことを、俺の口から知ってほしい。
やって、ようやく気付けたんやから。

俺は、オサムちゃんに倣って、彼の背に手を回す。

それから耳元で同じ言葉を告げた。


end





リナリアの花言葉は私を知ってください。
2011/2/16

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