激情

 それは突然だった。
 何が起こったのか、把握するのに僅かに時間を要した。
「……へ、陛下あぁー!」
 腹の底から叫んだ。自分の怪我など物ともせず、もがくように側まで辿り、顔を覗き込んだ。


 世界征服の為、フィン攻略に取り掛かっている最中だった。珍しくマティウスが直接戦地へ赴くと断言した。それには及ばないと、戦況報告をしていたダークナイトであるレオンハルトは引き止めた。が、一蹴された。偶の気まぐれか、兵士達を労って士気を高めてやろうと。確かに疲弊する兵士達にはこの上ない激励ではあろうが、レオンハルトはあまり気が進まなかった。しかし主君の命令は絶対である。すぐに手筈を調え、共にフィンのガテアへ向かった。
 夕刻前には陣営へ着き、にわかにざわめく周囲。夜にはガテアから南方面一帯へ出発、最終的にはアルテアへ夜襲、撤退したヒルダ王女の首を取る。一様に集められた兵士達の前で、皇帝は声高に言った。
 こんな時は一国を思う名君かのように見せる。沸き立つ兵士達をよそに、隣に控えていたレオンハルトはぼんやりと皇帝の声を聞いていた。
 それが、どうして……。

 馬に乗り、森を抜ける軍隊。斥候の話ではアルテア周辺に敵が潜んでいる様子はなく、楽に進めた。闇に紛れ、とうとうアルテアは目前だった。その時、一人の兵士が弓矢に貫かれ倒れた。それを合図としたのか、いきなり雨のように矢が降り注いだ。隊列は乱れ、混乱へと陥る。
「なっ、罠か!?」
 このままではまずいと、レオンハルトは態勢を立て直そうと指示を飛ばす。敵を見つけて応戦する。
 後方にいるマティウスのところまでは被害は及ばないだろうが、念の為下がってもらおうと思い側へ駆け寄った。
「ふん、待ち伏せされていたみたいだな。使えん斥候らだ」
 マティウスは苛立ちを滲み出させた顔でレオンハルトを睨む。部下の失態は己の失態だと、レオンハルトは素直に詫びる。
 と、その直後。
 辺り一帯が強烈な光に包まれた。魔法を仕掛けられていると思った時にはもう遅かった。
「チッ」
「陛下!」
 二人を取り囲むように、ホーリーは爆発した。
 土埃が舞う中、レオンハルトは束の間動けずにいた。落馬した痛みを何とか堪え、周りを確認すると、淡い光に包まれていた。ギリギリでマティウスがバリアを発動させていたのだ。しかし、ほぼ同時にかかったせいで反発してしまい、マティウスもその衝撃で落馬していた。倒れている体は動かない。
「へ……」
 揺らぐ視界、思考がぐるぐると過り、心が押し潰されていく。
 これは一体、どういう事だ。何故、こうなった。
「陛下ー!」
 レオンハルトは叫んだ。
 最悪の事態となってしまった。
 主君が倒れ、帝国軍は撤退を余儀なくされた。

 落下の衝撃で強く頭を打ったらしく、マティウスは中々意識を取り戻さなかった。昏々と眠り続けて翌朝にようやく目覚めた。
「……ここは」
 呟くマティウスに、傍らに控えていた医師がパラメキア城の自室だと答えた。
「そうか。手酷くやられたのだったな」
 不敵な笑みを浮かべる。追い詰められたネズミは、ネコを噛んだのだ。
 あの女は思った以上に強かだった。
「陛下。お体の方を診ても」
 医師が言うと、マティウスは了承し、診察する。結果、今のところ異常は見られなかった。
「失礼します」
 そこへ知らせを受けたレオンハルトがやって来た。
「この度の敗戦の責任は、すべて私にあります」
 罵倒されるだろうなと覚悟はしていた。だが、どうした事か、いつまで経っても何も言ってこない。
「陛下……?」
 その顔はまるで不思議なモノを見ているようで、不意に違和感を覚える。
「おまえは……誰だ?」
 衝撃がレオンハルトを貫いた。


 忘れられてしまった。今まで尽くしてきたのは一体何だったのか。
 医師には頭を打った事で脳震盪を起こし、一時的に脳が機能を失っているのだろうと言われた。特定の物事や人物などに関する情報のみが忘れられるのだと。
 その時は流石に困惑したので、気持ちが落ち着くまでマティウスには会わなかった。整理はなかなかつかなかったが、いつまでも一人でこうして部屋で考えていても仕方がない。レオンハルトは部屋を出た。
「……で、改めて問う。おまえは誰だ」
 態度は記憶を無くす前と然ほど変わらないのだが、今までの事は無かった事になっている。ベッドから起き上がっていたマティウスは、じっとレオンハルトを見た。
 顔を見ても思い出さない。記憶の混濁はそう簡単に戻らないのだろうか。だったら……。
 レオンハルトは答えた。
「私は、あなたの一番信頼している部下です」
 マティウスは一言、そうか、とそれきり何か考えるように口を閉じた。

 いつもより早く目が覚めたレオンハルトは、ぼんやりと天井を見つめた。
 一昨日からの撤退の始末などで忙しくあまり休めていないせいか、眠りが浅い。それに何より、マティウスの事が気掛かりだった。
 そして、後悔。
 何故あの時一番などと。
 一番信頼されているのではない、一番信用されていなかったくせに。
 自嘲。朝から漏れる溜め息。あの後マティウスは納得したのか、何も言わなかった。狂言を信じてしまったのか。
 本当は忘れた振りをして、自分をからかっているのではないかと疑ったりもしてみたが、無駄だった。
 早く記憶が戻って欲しい。嘘に嘘で塗り固めた関係になってしまう前に。
 そう思ったレオンハルトに、マティウスは更なる追い打ちをかけた。
 今朝もマティウスを診た医師に呼ばれ、会議室で報告を聞くが、言葉が耳から遠退く。意味が分からない。昨日までは自分を忘れていただけなのに、
「すべて忘れてしまったと言うのか!? 貴様は一体何を診ていたんだ!」
 気が付けば医師の胸倉を掴み怒鳴っていた。慌てて周りの兵達が止めに入る。
 マティウスの健忘は昨日より悪化していた。
 今のマティウスは戦争を始める前、先代の皇帝が生きていた時まで遡っていた。少年はいつの間にか歳を取った自分に驚きと戸惑いを見せ、既に父親が死んでしまっている事に落ち込んでいると。
「馬鹿な……」
 希望に止めを刺され、レオンハルトは体の力が抜けた。ふらつく足でマティウスの寝室へと向かう。この目で直に確かめなければ信じられなかった。
 中に入って来たレオンハルトに、マティウスはきょとんとしている。……デジャヴュ。
 その顔は今までと何ら変わりないのに、違う。
「……陛下……」
 やっと絞り出した声が、突き付けられた現実として絶望した。
「陛下と呼ばれるのは、どうにも妙だ。まだ実感が湧かぬな」
 困ったような笑みを浮かべる。
「……そうですか。無理もありません」
「そうだ。おまえの名は?」
「レオンハルト、でございます」
 それでも取り繕ったボロボロの心。
 マティウスはマティウスでなくなってしまった。
 ならばいっそ、記憶が戻らなければいい。そうすれば争いはもう起きないかも知れない。
 …………、
 ……なのに、どうしてか。
 求めているのは、あの残酷非道でどうしようもない暴君で。


 現在、帝国がフィンと戦争中だと伝えると、マティウスは父が結んだ友好は断絶してしまったのかと悲しんだ。そして、自分が置かれている立場を理解して複雑な顔になる。いつすべてを思い出すかも分からない中、マティウスは戦いの道を選んだ。
 それでも暫くは大事を取り、戦いから離れて休養する事になった。
 数日後。
 午前中に兵士の訓練をしたレオンハルトは、午後はマティウスの散歩に付き合う。
「思い出そうとすると頭が痛い」
 中庭を歩き、急に立ち止まったマティウスは顔をしかめた。誰よりも自分が一番もどかしい。
「無理をなさらないで下さい」
「ああ……」
 痛みを伴う中、ずっと残っている微かな記憶を思い出す。
 あれは、
 誰かを助けようとして魔法を使ったような気がする。
 誰を、
 大切な誰か?
 レオンハルトの背中を見つめ、マティウスは何かを掴めそうで、掴めなかった。

 眠りから醒めない。
 暴君は、二度死んだ。

…………………………………

ベタなネタに走り、この様です(。´Д⊂)く、暗い……。クソみたいな戦闘描写でごめんなさい。それでも書いてる時は楽しかったです!
リクエストありがとうございました!!
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