あれから三年経った、春。
阿奴志己は幼なじみの女と夫婦になった。阿奴志己も三十を過ぎて、長として流石にいつまでも独り身でいるのを良くないと思ったらしく。「すまない」と言われた時、諸絞はすんなり受け止め頷いた。こうなる事は分かっていたからだ。
諸絞は館で、ぼうっと何をするでもなく、庭木の花を眺めていた。
分かっていながら、好きだと言ったのにあれは嘘だったのか、という思いもあった。しかし男同士では子を生せない。好きだというだけで、罪になる。それでも「そなたを愛しているのに、変わりはない」と阿奴志己は言った。
「おれは、阿奴志己を好きでいて、いいのか……?」
分からない。涙が出そうになるのを上を向いて堪えた。
「諸絞さま」
側近が後ろに控えていた。
「なんだ?」
「棟梁より、お話が」
とうとう覚悟を決めなければならない。諸絞は頷き立ち上がった。
つい先日、諸絞が父親の病を理由に跡を継いで和賀の長になったのを、阿奴志己は耳にした。
諸絞の父親、諸江が妻にした女は、体質なのか中々赤子を授かれなかった。そして諦めかけていたところに、ようやく生まれたのが諸絞だった。まだ十六になったばかりの諸絞に多少の不安は感じたが、そこは周りが補助してくれるであろう。
「しかし、あの諸絞がな」
阿奴志己は目を細めて微笑み、初めて会った時の事を思い出した。喧嘩を吹っかけてきた、初々しい少年を。そして、通い合った日を。熱い想いが込み上げるのは、もう、抱いてやる事が敵わないであろう苦しさ。思わず目を覆う。諸絞は自分では何でもないという顔をしていたと思っているかもしれないが、実際は切ない顔で泣き出すのではないかと辛かった。
もし、大事なものを一つだけ選べといわれたら、それは無理な話である。己の手に抱えるものはすべて大事な守るべきものなのだ。それなのに、諸絞を蔑ろにしている。あれだけ愛していると求めたのに。あんな顔をさせてしまった。
阿奴志己は苛まれる。覚悟したはずの、脆い心。それでも事実は変わらない。
「ま、こうしてはおれん。祝いをしてやらねばな」
阿奴志己は立ち上がって和賀に行く支度を始めた。どこの長よりも一足先に祝ってやりたかったのだ。
和賀の館へ酒を持って現れた阿奴志己は、従者共々諸絞のところへ通された。お互い久し振りに顔を合わせたが、変わりはなかった。
阿奴志己の祝辞に諸絞は頭を深々と下げた。
「ありがとうございまする」
畏まっているのだが、どこかよそよそしいと思った。その目が、自分を見ていないような気がして。
そなたは……。
疼いたのは、どちらが先だったか。
少し、二人きりで話がしたい。阿奴志己が言うと、諸絞は側近を呼び、阿奴志己の従者を連れて下がった。
室内に二人だけになるも、黙ったまま見つめ合う。
「……そなた。何を考えている?」
先に口火を切ったのは阿奴志己だった。諸絞は曖昧に笑った。
「長とは面倒事ばかりだ。そう思わぬか」
「それが纏める者としての務めだからな」
それを承知でなったのだろうと言われれば、頷くしかない。
「今なら、阿奴志己の気持ちが良く分かる」
「俺の?」
阿奴志己はひやりとした。諸絞が知る自分の気持ち。それはどう映っているのか、その顔を見れば分かった。
「長としての務めに、おれの存在は要らぬ事」
「待て。俺は──」
それは違う。否定しなければと焦る阿奴志己に諸絞は口を挟む隙を与えない。
「今までどれだけ諦めてきた? おれは、これからどれほど阿奴志己を諦めたらいい?」
精一杯背伸びをして、この和賀に住む蝦夷の為にすべてを捧げる。
諸絞は泣いていた。もう、想いを全部出し切りたい。
「頭では分かっているのに、ここが言うことを利かん」
心はずっと阿奴志己を求めている。捕らえられたままだ。その不器用なまでに真っ直ぐな視線が、痛みを伴う。
阿奴志己は衝動的に諸絞を掻き抱いた。
「俺は、言ったはずだ。そなたを愛していると」
「しかし──」
否定の言葉は掻き消される。
「いい。好いているのに、なんの決まりもない」
それは心からの想いだった。誰が誰を好こうが、自由なのだ。誰にも文句を言われる筋合いはない。
「阿奴志己……」
諸絞は泣きながらしがみついた。今だけは誰のものでもない、自分だけのものだと。
「好いていてくれ。たとえ離れていようとも、心は繋がっている」
それはやがて、大人に近付いていく時の中で、諸絞も理解するだろう。妻を娶り、この異端な想いを確かに諦め、やがて消えてしまうのかも知れない。
それでも、もし。なお。
どこかで求め続けていたならば。
暫くして泣き止んだ諸絞は、ぼんやりとしながらも、どこかスッと憑き物が落ちたような顔付きだった。
「見ている。そなたをずっと」
阿奴志己は笑う。諸絞もつられて笑った。優しくも残酷な。
足りないのは、何か。
何かが、欠けたまま。