豪勇、期す

 まだ18歳の阿弖流為が蝦夷を纏めるだなんて、諸絞には胸糞悪かった。阿奴志己のように態度に出さなかっただけで、内心は面白く無かった。同じく若すぎると思った。
 二風の屋敷での会議が終わった後、諸絞は飛良手と母礼と一緒にいた阿弖流為を呼び止めた。
「阿弖流為。今度俺の屋敷へ来い。おぬしとはゆっくり話し合いたいのだ」
 この俺を怖れぬなら、一人で来い。
 更にそう言おうとしたが止めた。後ろの飛良手と母礼が訝し気にこちらを見ていたからだ。
「承知致した」
 阿弖流為は二つ返事をした。
 諸絞は阿弖流為を一瞥した後さっさと帰った。
 諸絞の姿が見えなくなった所で飛良手が声を荒げて言った。
「阿弖流為さま! 諸絞どのは豪勇と謳われておられますが、逆上したら何をしでかすか分かりませぬぞ!」
「俺達をあまり良く思うていないようだったしな」
 母礼も懸念するが、阿弖流為はそうは思わなかった。
「心配ない。いくら諸絞どのとて、殺すような真似はしないだろう」
 単純な阿弖流為を横目に、飛良手は頭が痛くなった。
(諸絞どのは一体何を考えているのだ?)
 確かに阿弖流為の言うとおり、もしもの事があれば諸絞もただじゃ済まない。
 何もなければいいが……。
 飛良手と母礼を尻目に、阿弖流為は落ち着き払っていた。

 あれから東和に本拠地を置く為の準備で忙しく諸絞を尋ねられなかったが、暇を見つけた阿弖流為は約束通り屋敷へ向かった。馬の背で阿弖流為はどう諸絞に対応しようか考えていた。諸絞が自分を認めてくれていないのは十分解っていた。
「阿弖流為ー」
 途中、何処からともなく聞こえてきた声。まるで追い掛けて来たといわんばかりの母礼だった。
「阿弖流為。やはり俺も一緒に参ろう」
 心配で居ても立っても居られない母礼があった。何かあってからでは遅い。しかし阿弖流為は首を横に振った。
「諸絞どのは俺と話がしたいと言っていたのだ。飛良手が居れば十分」
「しかし、それでは俺の気が済まん」
「心配無用です、母礼どの。私が命に代えてもお守り致しまする故」
 飛良手の説得もあり、母礼は納得して引いた。
「話が済んだら真っ先に俺の屋敷へ、顔を見せてくれ」
「ああ」
 阿弖流為は頷いて、帰って行く母礼を見送った。

 和賀にある諸絞の屋敷に着くと、奥の離れに案内された。庭の美しさに思わず見惚れる。眺めるには丁度良い所であったが、今日の所用からそれは叶わないであろう。
「飛良手は外で待っていてくれ」
 戸を開ける前に飛良手に言い付け、阿弖流為は中に入った。不服ながら、飛良手は離れの前に待機した。
「良く来てくれたな、阿弖流為」
 諸絞は表情を僅かに崩し、目の前の敷物へ促した。
「いえ。早速ですが話を伺いたい」
 腰を下ろした阿弖流為は真っ直ぐ諸絞を見た。分かっている。腹の探り合いが始まった。
「そう急かすな。折角だ。白湯でも」
 そう言って諸絞は準備されていた茶碗を手に取った。今の倭には作られていない珍しい深い碧色の陶器だった。
「二風さまから頂いた、唐の物でな。まったく、物部の財力は恐ろしいものだ」
 茶碗に注がれた湯は碧色を映えさせた。阿弖流為はその色に見入った。
「美しゅうござりまするな」
「ああ」
 それから重い沈黙に包まれた。張り詰めた空気が神経へと伝わる。俄に殺気立っているのだ。阿弖流為は良くない話だと警戒を強めて諸絞を見た。
「諸絞どの」
 先に口火を切ったのは阿弖流為だった。こう黙っていても埒が明かない。それが合図だったかのように、諸絞が茶碗を置いた。
「……気に入らぬ」
 諸絞の神経を逆撫でる阿弖流為の声。
「おれはおぬしが気に入らぬのだ」
 諸絞は懐から、小刀を取り出して阿弖流為に向けた。
「血迷われたか、諸絞どの」
 阿弖流為は諸絞を睨んだ。じりじりと壁際まで追いやられてしまった。
「おぬしが、本当に蝦夷を救うとでも申すか!」
 諸絞は、小刀を阿弖流為目掛けて振りかざした。しかし小刀は阿弖流為の頬を掠め、壁に突き刺さった。
 その凄まじい音は外の庭に控えていた飛良手の耳にも入った。
「阿弖流為さま!」
 飛良手は突入しようと身を乗り出した。もしもの事があれば諸絞とて赦されない。
「何でもない。下がれ飛良手」
 制するように阿弖流為は飛良手に言い放った。仕方なく飛良手は従った。
 掠めた傷口から、滲むように鮮血が垂れた。阿弖流為は痛みを覚えたが、微動だにしなかった。
 そんな阿弖流為の態度に諸絞は思わず視線を落とした。相当の覚悟だった。
「あの嶋足どのや鮮麻呂ですら苦心したのだぞ……」
 馬鹿みたいに夢を見させておいて。天鈴も天鈴だ。何度繰り返せば気が済む?
 弱々しく本音を口にする諸絞に阿弖流為は同じだと思った。自分も不安で堪らないからこそ誰かに縋りたくなる。母礼や飛良手の存在がどれだけ大きく有り難いと思った事か。
「俺はやってみせまする。必ずや陸奥を平和に。諸絞どのも手前に力を貸して下され」
 諸絞はどっかりと腰を下ろした。阿弖流為の揺るぎ無い自信は一体どこから湧いて出てくるのか、感服すらする。だからあの働きぶりに鮮麻呂や物部らが押すのも頷ける。
「……もうよい。悪かったな」
 心のモヤモヤが拭えぬまま、諸絞はこれ以上阿弖流為を縛る理由はないと帰す。阿弖流為は一礼してから一室を出た。すると壁のすぐ側に飛良手が控えていた。
「飛良手。大丈夫だと申したであろうに」
 呆れられたが阿弖流為にもしもの事があったらと心配でいたたまれなくなり無断で近くまで来ていたのだ。
「申し訳ございません。なれど」
「分かっている」
「血が……」
 ああ、と阿弖流為は今頃になってひりつく傷口を拭った。乾きかけの血が頬と手の甲に伸びた。
(本気だった)
 阿弖流為はもう一度諸絞のいた座敷へ目を向けた。諸絞は懸念から言い立ててきただけで、悪くはない。その懸念を振り払うには、力をつけるしかない。強く誓う。
(強くなる。必ずや)
 二人は馬に乗り帰って行った。

 諸絞は一人酒をあおいだ。自分でも馬鹿な事をしたと思う。昔からそうだった。何か気に入らなければすぐに噛み付いた。二風にも長達や嶋足にすら喧嘩をふっかけた。
 長らの中で一番年下だった自分を思えば、同じ事だった。その二十歳そこらの若僧に長など務まるか、と言われたのを覚えている。最後まで諸絞が長になる事に反対していた者もいた。周りは皆厳しかった。
 しかし和賀の長であった父親が老いと病を理由に、早くに家督を譲り渡された諸絞は長になるほか選択肢はなかった。
 必死で年上の長達に食らいついた。認められて、対等になる為に。
 それを思えば、阿弖流為とは同じような境遇である。それなのに理解出来なかった。阿弖流為はどうなのかと、うたぐる始末。
「おれと違うのが悔しいなど、子供じみた言い訳だ」
 完全なる嫉妬。
 ──そなたは、そなたのままでいいのだ。
 ふと、昔二風に言われた言葉を思い出した。
 唐突に虚しさと寂しさが襲われる。諸絞は杯を置いた。切なさに心が乱れる。誰かに傍に居て欲しい。だが、弱さを見せたくない強がりから、誰かを呼ぶなど出来なかった。
 そんな中思い浮かぶのは、父親のように思っていた二風ばかり。
 ──誰もそなたを思わない者はおらぬ。
 本当は皆、和賀の事情を分かっていたので心中では長になる事を快諾していた。手厳しさは親心なる思いからだった。
 諸絞の父は生前、物部二風に頼んでいた。
 ──私がこんな身の上、家督を譲り申したが、あれはまだ若い。長が勤まるかどうか……。遅くに授かった息子ゆえ、甘やかしてしまい申した。どうか、厳しく、よしなに。
 知らなかった諸絞は初めて聞かされた時唖然とした。皆に認めてもらいたくて必死に熟してきた思い、肩の力が一気に抜けた。
 ──そなたは、我等の息子だ。
 何故こんな時に限って思い出は優しく辛い。
「親父……二風さま」
 酒を注ごうとして瓶子と杯を持つ手が震える。涙が止まらなかった。
「おれは、あの頃の餓鬼のままだ」
 父に強く叱って諭して欲しい。そして母に優しく抱きしめて欲しいと。それは既に両親を亡くした諸絞には叶わない事だった。
 そんな風に思っていたせいか、何故か側に父と母がいるような気がして、僅かに心が安らぐ。
 諸絞は笑った。
「約束しよう、阿弖流為。そなたを信じてみると……」
 一人耐え忍ぶ涙に偽りはなかった。

 数日後、一番仲の良い長、阿奴志己が訪ねて来た。早朝から何事かと諸絞は招き入れた部屋で阿奴志己を見た。相変わらずでかい図体で諸絞を見下ろす。
「阿弖流為と会ったとな」
 まるで面白いと言うように顔をニヤつかせていた。阿弖流為を良く思っていなかったので、それもそうかと諸絞はのんびり思った。
「で、やはり阿弖流為では治まるまい」
 腰を下ろした阿奴志己は然も当然に言った。そして諸絞が頷くのを待っている。最初から迷いが生じているなどと知らず決め付けている。ゆっくり、諸絞は阿奴志己から視線を反らした。それが気に障った阿奴志己は急かした。
「何か申せ、諸絞!」
「おれは……阿弖流為に賭けてみようと思う」
「な、何?」
 戸惑う阿奴志己を諸絞の双眸はしっかりと捕らえた。まさか誤算になるとはこれっぽっちも思わなかった阿奴志己から、怒りが漂う。いつも頼もしくあったその顔を見ながら、諸絞は俯いた。今は畏怖を感じられない。
「そなたらしくもない。何があった、申せ」
 勢いよく身を乗り出した阿奴志己が迫り質す。
 この思いを分かってくれるだろうか……。諸絞は静かに答えた。
「昔、長らがおれを信じてくれたように、信じてみようと思った。
 今の阿弖流為は昔のおれと同じだ。周りの信頼を得たければ、まず己が信じなければ築いていけん」
「諸絞、……」
 阿奴志己は声を詰まらせた。その瞳は決して甘んじていない。ガックリと肩を下ろした。しかし何処か潔かった。
 押し黙ってしまった阿奴志己に諸絞はいきなり両手で頭を掴まれ、ぐしゃぐしゃと揺すられた。
「では、俺はそなたをもう一度信ずる」
 そして、そなたには敵わんと付け足した。諸絞は笑みを零した。
「もう俺達ではなく、若い衆の時代、か」
 寂しそうに呟く阿奴志己。それは諸絞も同じ気持ちだったが、少し違う。
「影から支えるのも悪くない」
 倅を育てるような楽しみでもあった。
 結局阿奴志己は納得いかないように叫んだ。
「かーっ、こんな時は酒だ、酒。諸絞、飲むぞ!」
「まだ朝方ではないか」
 諸絞は呆れながらも従者に用意させた。阿奴志己は美味そうに喉を鳴らす。豪快な飲みっぷりに、少しも変わらない若かった頃を思い出す。
 諸絞は瓶子から杯にゆっくり酒を注ぎ、揺らめきを眺める。
 酔ってしまえば、この思いもいつか笑い話になるのだろうか。
 そうなったらいい。願わずにいられない。清々しく、笑った。

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