何のお咎めもなかったのは、博士の取り計らいがあってだった。二人が喧嘩をしていた丁度その時、会から祈りを捧げ帰って来る途中の博士が目撃したのである。
博士はジョバンニが働いていたのを知っていたし、喧嘩する様子を見てただ事ではないと思った。
物凄い迷惑をかけてしまったと、ジョバンニは改めて謝りに行った。隣にはザネリも一緒だった。それでも博士は然も変わらず出迎えてくれる。
「おじさん。御免なさい。僕は、……」
「違います。ジョバンニは悪くないんです。僕が悪いんです」
お手製の焼き菓子と紅茶の匂いが香る中、しょげる二人に博士は微笑み、首を横に振った。
「良いんですよ。それが最善だったのですから。それに私は、あなた方理解し合えた事が何より嬉しい」
そう言われ、ジョバンニとザネリは改めてお互いを意識し何だか照れ臭くなった。
「あの子も喜んでいる事でしょう」
カムパネルラ。
その存在をジョバンニは強く想った。
一緒にずっといたかった。だがそれは叶わないと、最後にひと時を過ごさせてくれた感謝。
「僕らは、これからもずっと一緒です」
そうだろう? カムパネルラ。
ジョバンニは笑った。
博士の家を後にし、家路を急いでいたジョバンニだが、今夜はどうにも胸騒ぎがしてならない。逸る気持ちを抑え、見えた我が家にはいつものように明かりが灯っていた。
「ただいま、お母さ……」
扉を開けたジョバンニは、言葉を失った。
飛び込んできた、ただ一点を見詰め、ひたすら沸き上がる熱。昂揚した体。
「ジョバンニ」
変わらない姿に、忘れかけていた、酷く懐かしい声が耳に響く。それは紛れもなく他の誰でもないジョバンニの父であった。
ラッコを密漁しているなど、監獄に入れられているなどと一体誰が言った。父は遅れはしたものの、こうやって無事に帰って来た。
感情が上手くコントロール出来ない。泣いているのか笑っているのか、それとも怒っているのか。喜びや面映ゆさ、反発だとか不満がごった返して、ぐしゃぐしゃに心が弾け飛んだ。
「お父、さん……っ!」
数年振りの再会は果たされた。
抱きついたジョバンニを父は優しく受け止める。
「どうしてっ、何で。手紙……」
言いたい事は山ほどあった筈なのに、いざとなると上手く言葉に出来ない。ボロボロと涙が零れる。
「カムパネルラのお父さんに言ってにおまえ達をビックリさせようと思っていたんだが、船の都合で逆に心配をかけてしまった。すまない」
長年漁で酷使している厳つくも温かい手が頭を撫で上げる。
「もうっいやだっ……ずっと、家にいて」
その問い掛けに父は曖昧に頷くだけだった。ジョバンニもそれが無理なのは百も承知だった。それでも言わずにはいられなかったのは母を心配してだった。
「ジョバンニ。さあお土産だよ」
気を取り直して父が差し出したそれは、ラッコの上着などではなかった。吸い込まれそうなぐらい美しい漆黒の丸い黒曜石の星座早見。キラキラと星が刻み込まれている。
「ラッコの上着ではないけれど、綺麗だろう?」
どうして、こんなにも胸が詰まるのは、この黒曜石があまりにも似ていて、懐かしく見覚えた物であった。
──銀河ステーションで貰ったんだ。君貰わなかったの?
ようやく貰えたよ。
ラッコの上着何かよりよっぽど嬉しくてたまらなかった。
翌日には姉も来て、家族四人が久々に揃った。一日、笑い声と笑顔が絶える事はなかった。
父が帰って来てからもジョバンニは変わらず博士の家に遊びに行ったし、ザネリやマルソ達とも遊び、仕事も続けた。
気持ちも落ち着き、少しずつ本来の明るさを取り戻せた。家族がいて友達がいて、ジョバンニは幸せを噛み締めていた。
その日、夢を見た。
(どうして体を張ってジョバンニを守ってやれなかった。
でも、ザネリ達を裏切る事も出来なかった。
ジョバンニもザネリもみんな大切だった。
だから怖かった。自分も周りから拒絶される事に。ならばジョバンニを見てみぬふりをするしかなかった。
ジョバンニを助けてやれなかった弱い自分。何も出来ない自分が不甲斐無かった。
だからお母さんも僕を置いて出ていってしまった。お父さんに愛想をつかしたのだと近所の人が言っているのを耳にした。違う、お父さんは悪くない。僕が悪いのだ。だから僕はお母さんの幸せの為なら何だってする。
だからジョバンニ……僕は行かなくてはならない。
御免。謝った所で罪が許される訳じゃないけれど、どうか愚かな僕を許して。
……さようなら。さようなら、ジョバンニ……)
ありがとう。
目が覚めると、涙が流れていた。
僕らは、これからもずっと一緒です。
そう言っただろう? カムパネルラ。
本当の幸は、君から。
僕から君へ。