オレは自分の思考回路を疑った

 オレは、自分の思考回路を完全に疑った。こちらを見つめるスカイブルーの瞳は、戸惑う姿を見透かしているかのように、静かに映し出していた。

 真っ黒な、艶やかな髪だった。
 あれは、まるで自分の母親のそれと似ていた。
 美しく、綺麗な黒髪と。

 確か、学校からの帰り道。イグナシスと他愛ない会話をしていたら、急に立ち止まるので何事かと視線を辿ると、その先には喝上げ現場が。脅す不良二人組の制服は見た所、確か隣町の学校のもの。そしてカモになっている少年は同じ制服で、恐らく後輩であろう。
「おい……」
 ジェットがイグナシスを見ると、もう正義感丸出しで歩み寄っていた。まあ分かっていた事だが、一々よく面倒事に首を突っ込むなと半ば呆れる。
 これが女子ならジェットも勇んで助けに行ったであろうが、残念な事に男子だったのでやる気も削がれるものだ。しかし、ジェットが加勢するまでもなく、イグナシスはあっという間に不良共を蹴散らした。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとう、ございます」
 イグナシスが差し出した手を取り、尻餅をついていた少年は立ち上がる。いかにも大人しそうな顔立ちで、頭を下げる。
 いるよな、こういう地味なヤツ。
 ジェットには縁遠い人種だった。イグナシスのお節介とも言える会話が終わるまで、暇そうにスマホでメールチェックをしていた。

 あれから数日経った。あの日の帰りの出来事など、早いものですっかり忘れていた。
 人気のない静かな図書室は、昼寝には打って付けだった。体育の授業で疲れた体はすぐ眠気に誘われる。体を動かす事は嫌いではないが、昼前だったのが良くない。結果、怠いだけである。
 夢を見た。
 しかし、大概覚えていないが、この時は何となく覚えていた。大きく温かな抱存在にかれ、リラックスしていた。それはきっと柔らかな女体を意味しているに違いない。
 そんないい気分でいたまま目が覚めると、話し声が聞こえた。寝ている間に誰か来ていたらしい。それにしても、うるさい。
「っせーなぁ」
 嫌味ったらしく声を上げると、その二人組はジェットの存在に気付いていなかったしく、かなり驚いた様子でいた。
 片割れが謝ってきたが、本心からでないのが分かった。いかにも地味で、冴えない少年……。
 ……?
 ふと、ジェットは既視感を覚えた。前にも同じ事を思ったような。しかし、思い出せない。誰だったか。首を傾げる。
「何か見覚えあんな」
 すると、その少年は言った。
「先日、イグナシス先輩とあなたに、不良から助けてもらいました」
 言われれば、そんな事があったような。しかし、イグナシスが勝手にやっていただけなので、何もしていない。
「ああ〜……」
「知り合い?」
 もう一人が話し掛けてきて、ジェットは肩をすくめる。
「そうらしい。良い女なら覚えてるんだけどよ」
 そう言うと、少年が僅かに眉をひそめたように見えた。嫌悪したのだろう。しかし、一々眼中にないのだ。イグナシスとは違う。
「体育の後は疲れんだ。邪魔したな」
 欠伸をしながら、半ば睨まれたまま図書室を出た。
 言われるまで本当に思い出せなかったのは、覚えていなかったと言っていいと思うが、あの目は何故か少しだけざわめきを感じた気がする。
(……冗談)
 あれはどう見ても男だ。女を好くように、恋が芽生える訳がない。
 しかし、何かが始まりそうな予感だけが残った。

 またあの少年が目の前に現れた。丁度昼休みで購買に来ていて、焼きそばパンが売り切れて騒いでいた時だった。
 ジェットは最初、一体何の用があって来たのかと焦ったが。
「イグナシス先輩」
 小さな口が隣にいた友人の名前を呼んだ途端、納得した。そりゃそうか。間違っても自分に用がある訳がない。
「よお、ハワード」
 その時、初めて名前を知った。いつの間に仲良くなったんだとツッコミたくなったが、何だか冗談を言える雰囲気ではなかった。楽しそうに会話をする二人。見ていると段々と苛々してきて視線を反らす。
(男同士でイチャイチャ、キメぇんだよ)
 面白くねえ!
 ジェットはその場に居たくなくなり、適当にパンを買い、先に教室に帰った。
 それが、嫉妬だと気づかずに。


 体育があってもなくても、ジェットが図書室で寝るのは日課のようなもので、ハワードが友人と昼食をしている場面には何度か遭遇していたが、今日は少し違った。いつも一緒の友人がおらず一人だ。思わず声をかけると、風邪で休みだと言われた。それ以上は会話が続かなかったので、ジェットはまた横になり、何となく横目で様子を窺った。ハワードはどこか思い詰めたような顔をしていた。だからと言ってまた声をかける気にはなれなかった。

「今日、バスケ部の助っ人だから、先帰っていーぞ」
 イグナシスはそう言って、忙しそうに教室を出て行った。
 イグナシス自身が入部している棒術部は、部員が二人しかいない。ぶっちゃけ正当な部員はイグナシスのみで、もう一人が幽霊部員のジェットだった。これは棒術部を作りたいと、泣き付かれて頼まれた結果。そもそも部活として認められる人数は三人からなのだが、後一人、保健医のスティーブを無理矢理顧問として確保し、何とか目をつぶってもらっている。
 そんなんで古武術の大会には出られない状態だが、本人は全く気にしておらず、練習に精を出していた。ただ、元々スポーツセンス抜群のイグナシスを周りが放っておかなく、よく助っ人を頼まれるようになっていた。
「おうよ〜」
 ジェットはやる気のない返事をしながら、とっとと帰ろうと玄関へ向かう。途中コンビニにでも寄ろうかと、ちんたら歩いた。限定の食品があったりすると、つい購買意欲をそそられてしまう。
 コンビニ横の路地の前を通ろうとした時、いきなり怒鳴り声が聞こえ、思わず立ち止まった。
「あの野郎はどうした?」
 どうやら誰かが不良達に絡まれているらしい。しかし、前にも同じ事があったような、何やら見覚えがある光景。
「イグナシス先輩は来ないよ」
 あ。
 完全なそれ。ジェットはその声を聞いた途端、パズルのピースがピッタリと当てはまるように理解した。
 ハワードだ。
 トラブル体質なのか、しょうがない奴。また助けてやるかと思ったが、先程ハワードが言った言葉が引っ掛かった。
 “イグナシスは来ない”
 どういう意味か、答えはすぐに分かった。
「連れて来いって言っただろうが!」
 不良の一人がゴミ置場にあったゴミ箱を蹴り飛ばす。相当苛ついていた。もう一人がハワードの胸倉を掴む。
「じゃあ、てめぇを代わりに殴るしかねぇな」
 そう脅してきたが、ハワードは抵抗しなかった。諦めの表情をし、それで気が済むならやればいい、と。
(あいつ……)
 ジェットは納得がいかない。
 不良がハワードに殴り掛かろうとした瞬間、後ろから蹴り倒した。突然の事に、不良もハワードも何が起こったのか一瞬分からなくなった。
「何だてめぇ!?」
「構わねえ、コイツもやっちまえ」
 不良は二人がかりでジェットにかかって行った。殴り殴られ、蹴り飛ばし。その様子をハワードは呆然と見ていた。ジェットは二人相手に、見事に喧嘩を遣って退けた。手酷くやられた不良は捨て台詞を吐きながら逃げて行ってしまった。
 ジェットは手をはたき、道路に置いていた鞄を拾う。
「なん、で……」
 ハワードが小さな声で呟けば、ジェットは睨むように見返してきた。
「何で、だあ? そりゃこっちの台詞だ。何でイグナシスを呼ばなかった!」
 ぐっと近付き、怒鳴るように言われたハワードは視線を逸らす。どうしてジェットにそんな事を言われなければならないのか、色々反論はしたかったが、
「だって、迷惑かけたくないし」
 ただ、それだけだったのだ。これぐらい自分で何とかしなければ。何でもかんでも甘えてはいけない、そう思っていた。
 しかし、ジェットはその返答が気に入らなかった。
「アイツはんな事気にするようなヤツじゃねーよ」
 強がった顔して、何が迷惑だ……!
 ハワードの両肩を掴み、怒りをぶちまけた。
「オレが来なかったら、おまえボコボコにされてたんだぞ!」
 喧嘩もした事がない顔に傷がつく。
 そんな事は許さない。
 そこでジェットはハッとした。何故こんなにもハワードの事を気にかけているのか。それは、まるで……。自分の思考回路を完全に疑った。
「……助けてくれてありがとうございました。それでも、あなたには関係ない」
 ハワードは静かに言った。今度は真っ直ぐにジェットを見て。スカイブルーの瞳は吸い込まれてしまいそうに、戸惑う姿を見透かし、ただ映し出していた。
「おまえに、なくてもな」
 気づきたくない。でも、気付いてしまった。葛藤する心を打ち破る。
「オレにはあるんだ……!」
 本能的に、ジェットはハワードを掻き抱いた。思ったよりは小さくない体。実感する温もり。求めていたのはこれ。
 ハワードは意味が分からず硬直する。どうしてこうなった、と。明白な行動は、心を掻き乱すには十分すぎた。
「何、が」
 それ以上は言えなかった。目線で追って、惹かれていたのは事実。
 意識したのはどちらが先だったか。


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