土は滾り火は溺れる

 恋の続きは夢から醒めた。
 無理矢理唇を奪ったからには、そこに恋愛感情があるのだと言ったも同然。伝えるつもりなど毛頭もなかったはずだ。酔っていたとはいえ、自分の遊び癖の悪さに頭が痛い。
 ジェットは十分冷えた頭で宿屋に戻ると、室内は暗かった。ハワードの姿を確認出来る。ここに戻って来るしかない辛さ。ベッドに潜り込み、眠くない頭でぐるぐると余計な事ばかり考えている。近くにいるのに、心はなんと遠い事か。
 親友(自称)に言われた言葉を思い出す。
 ──どう考えても、おまえと付き合う訳ないだろ。
 そう、成就するものでない、間違っていると。今まで散々ナンパしてフラれる事もしばしばあったが、ここまで酷く落ち込んだ事はなかった。ぽっかりと気持ちの抜けた心の穴は、修復にどれぐらいかかるだろうか。痛みはなかなか消えてはくれない。夜遊びも無駄に終わった。朝目覚めたら、すべてがリセットされていればいいのに。そんな叶わない事を思いながら、ようやく寝付けたのだった。


 起きたら顔を合わせなければならない。そんな心配をして昨夜は眠りについたハワードだったが、杞憂に終わった。目が覚めた時にはすでにジェットの姿はなかった。五時と、まだ時間は少し早いにも関わらず、どこへ行ったのだろうか。多分、ジェットも同じく気まずいのだろうと、配慮したのかも知れないと思った。
 朝だと言うのに、出るのは欠伸ではなく溜め息。
 ジェットにキスをされた。
 その衝撃は確かにあったが、どこか冷静な自分がいた。この好意は初めて知り得たのではなく、今までに何となく感じ取れていた気がしていた。時たま、その自分を見る目が熱を帯びて、絡んでくるような感覚。ただそれだけなら友愛として受け止めただろう。だがしかし、それが本気となれば話は別だ。
 自分に仲間以上の感情はない。
 それだけ。後はもう何も考えたくなくて、魔法の力を借りて眠りについたのだ。
 それでも、思い出してしまう。あの顔を、声を、上擦った吐息の熱。強引に乱された口内。いつもからかって虐めてくるジェットとは違う扇情的な……。
 蝕まれて行ってしまうような気がして、ハワードは首を横に振った。
 もそもそと着替え、部屋を出ると、廊下脇に設けられた休憩スペースにジェットがおり、新聞を読んでいる。声をかけようかどうか、一瞬迷ったが、意外にもこちらに気づいたジェットの方から話しかけてきた。
「よお」
「うん」
 それ以上、会話は続かなかった。ジェットは椅子に座ったまま、ハワードは隣に立ち尽くす。重い沈黙が極度に緊張を高めていく。そんな空気に堪え兼ね、言葉を探す。何か言わないと、ほら、いつも通りに。
 それを察したのか、ジェットは見慣れた意地悪そうな目色で言った。
「昨日の事は、悪い夢だ。早く忘れろ」
 夢魔。
 一言で片付けられるような事ではない。ハワードは眉をひそめた。ジェットの中では自己完結している。それが何だか許せなかった。
「……人の事引っ掻き回しておいて、なにが悪い夢だ」
 ジェットがハワードを見上げた。ただムカついて、感情が爆発した。ジェットの胸倉を掴み、ハワードは凄む。
「ぼくが気付かないとでも思ってたの!? いつもなんでもないように、こっちを見てたじゃないか。なら好きだって言えばいいのに、いきなりキスしてくるし忘れろとか意味分かんないよ! 告白されてもぼくは別に軽蔑なんてしてないし、嫌じゃないッ」
 驚いて目を見開いているジェットを見て、勢いあまって吐露したハワードは、一体自分は何を言っているのかと混乱した。これではまるで、自分も好きだと言っているような態度。
「あ、だから、ちが、くて……」
 慌てて否定しようにも上手く言葉にならない。非常にまずい。掴んでいた服を放し、後ろを向いた次の瞬間には後ろから抱きしめられていた。朝っぱらからジェットの感触は昨夜を思わせて、一気に体温が上昇した気がした。
「くっそ……無自覚かよ」
 ジェットは呻くように呟く。
「は、離し」
「離すかよ」
 ハワードが藻掻くが、ジェットは更にきつく腕に力を込めた。
 諦めかけていたのに、この嬉しい仕打ち。恋の女神も意地が悪い。
「おまえの言う通り、ずっと見てた。オレ自身も戸惑ってたし、なにより拒絶されるのが怖かった。だから、言わずにいようと思ってたさ」
 いつも自信過剰な男が、その自信を喪失していたのだ。相当の事だったに違いない。
「でもな、おまえのお陰で決心がついた」
「な、だから、誤か……」
「好きだ」
 ストレートにその言葉はハワードの心を捕らえた。心臓が大きく脈打つ。
「好きだ、ハワード」
 体の芯から熱が沸き上がる。苦しいくらいに疼きが止まらない。これは、この感情は。
 歓喜に、震えている。
 ハワードは信じられなくて拳を握った。あんなにこの男を良く思っていなかったのに。いつも女にだらしない、嫌な感じだったのに。
「もう、おまえしか見えねえんだよ」
 苦しく吐き出されたジェットの言葉にハワードはゆっくりと振り返る。視界には見た事もないような真摯的な顔。何て狡い。
「ぼく、は」
 俯き、言葉を紡ぐ。
 悔しいが自覚してしまった以上、いくら否定しても、もう無駄な抵抗だった。回された腕に手を触れる。
「多分、同じ……」
 曖昧にしたのは、きっと最後の悪足掻き。素直になれない。それでもジェットには十分だった。
「そうか」
 嬉しそうに微笑み、満たされていく心。そして、ハワードをこちらを向けさせ、そっと壊れ物を扱うかのような優しいキスをした。


 一方。
「どうしたのじゃ?」
「……出るに出れねえ」
 スティーブとイグナシスは完全に部屋を出るタイミングを失っていたのだった。

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