土は火に焦がれる

 異常である。
 ジェットを見ていた三人は同じ事を思っていた。
 最近、ジェットがあまりナンパをしなくなった。女の子と接触していないと、奴は飢えて死ぬのではないかと思われていたからに、衝撃的であった。何か悪いものでも食べたのか、はたまた、
「改心したのかのう?」
「まさか」
「なあ」
 スティーブは良い傾向だと呑気に喜んでいたが、ハワードとイグナシスは面倒事が起こる前触れではないかと、顔を見合わせていた。

 部屋割りはローテーションにしよう。先日の一件から、奇妙な流れとなった。町や村で宿を取れる時になると、ハワードは少し憂鬱になる。普段ならベッドでゆっくり休めて嬉しい事なのだが、三回に一回はジェットと同じ部屋になる訳で。しかし、一人でいつまでも不満に思っていても仕方がないと、割り切る事にした。
(空気だ。空気になろう……)
 ないものとして振る舞えばいい、と。
 今日の宿でもまた、ジェットと一緒。

 晩になるまで時間があったので、ハワードとスティーブは買い出しに出掛けていた。ジェットは暇を持て余し、宿内のパブなど、ぷらぷらしていたが、最終的にイグナシスと駄弁ろうと部屋に行ったがいなかった。
 近くにいた従業員に訊くと、宿の調理場を借りていると言われた。その通り行ってみると、巨体がせっせと何かをしている。
「何やってんだ」
「見りゃ分かんだろ」
 イグナシスは楽しく趣味のお菓子作りをしていた。滞在期間が長い時には、レパートリーを増やす目的で料理している。今作っているのはマーマレードの焼き菓子だと言う。
「出来たら、ハワードに味見してもらうんだ」
「それだよ」
「は?」
 ジェットが溜め息をつきながら椅子に腰掛ける。
「聞いてくれよ親友」
「おまえと親友になった覚えはないけど、なんだ?」
「オレ、ハワードが好きみてぇなんだ」
 イグナシスはボウルに小麦粉を全部ぶちまけてしまった。テーブルにもこぼれ、粉が舞って白くなる。
「は、? え……?」
 困惑の色を隠せない。
 女好きで通っていた男が、いつの間にか女嫌いになっていた。突然ゲイに目覚めてしまった宣言。つまり、少なからず自分もそういう目で見られていたのかと思うと、身の毛がよだつ。
 なにそれ怖い!
「一体、どういう了見だよ」
 イグナシスは真っ青になりながらジェットを見た。
「あ、なんか勘違いしてんなこの野郎。女の子を嫌いになる訳ないだろ!」
 剣幕してイグナシスに突っ掛かるジェット。そうなると、導き出される答えは一つ。
 訂正、ジェットは両刀遣いにジョブチェンジしていた。
 最近、道理で様子がおかしいと思ったら。イグナシスはようやく納得した。
「まあ、男と女なんて、星の数だけいるから、な」
「フラれる前提の慰めすんな!」
 イグナシスは酷く驚いた。ジェットのその無駄な自信は一体どこから沸いて来るのか。
「え。どう考えても、ハワードがおまえと付き合う訳ないだろ……」
「……だな──」
 改めて現実を突き付けられたジェットは、テーブルに顔を突っ伏して落ち込んだ。
 ハワードが女だったら良かったのに。
 どうにもならない願望だけが、虚しく頭を過ぎっていた。
 夕飯を食べた後、デザートにイグナシスの作った焼き菓子が振る舞われた。批評と共に頬張るハワードはイグナシスに微笑む。それをジェットは苦々しく見ていた。
 何故、自分を見てその素顔を向けてくれない。こんなにも……。

 くちいた体は満足しても、心が満足しない。ジェットは財布を握り締めた。ナンパする気力も今はない。娼館にでも行こうと思った。
 ハワードが風呂から上がると、部屋にジェットの姿が見当たらない。首を傾げつつも、内心ラッキーだと思いながらベッドに寝転がり、魔導書を読み始めた。どうせ、夜遊びに行ってしまったに決まっている。そのうち帰って来るだろうと。
 それから数時間経ったが、ジェットが帰って来る気配はなかった。既にベッドの中に入って微睡んでいたハワードは時計を見た。もうすぐ十時になる。途端に心配になってきてしまった。もしかしたら何かあったのかも知れない。最近様子がおかしかったのも不安に拍車をかける。探しに行った方が良いだろうか。ハワードはベッドから静かに起き上がった。上着を着て部屋を出たが、スティーブとイグナシスにも知らせようかどうか迷った。多分ぐっすり寝ているであろうし、起こすのも忍びない。ハワードは一人で宿屋を出た。
 薄暗い道を歩き、ジェットがどこかにいないか探す。裏路地の方を覗くと、いきなり腕を引っ張られた。
「うわっ……」
 引っ張ってきたのは、きわどい露出の女だった。壁に追いやられ、さわさわと擦り寄ってくる。
「おにーさん、安くしておくよ。どうだい?」
 そう言われ、女が娼婦と分かったハワードは赤面した。まさか自分が対象になるとは思ってもみなくて、焦る。
「あ、の。間に合って、ます」
「つれないね。少しぐらい良いじゃないか、ね」
 断っても誘ってくる。押し付けられる豊満な胸に、冷や汗が流れていく。こういうのはてんで苦手である為、頭がオーバーヒトしてしまいそうだった。
「なあに、やってんだ?」
 その時、タイミング良くジェットの声が聞こえてきたのは幸いだった。娼婦を退けるのと、本人を探す手間が省けた。連れが来たからと、もう一度娼婦に断りを入れると、諦めて裏路地から消えて行った。
 ジェットは程よく酔っ払っており、服も着崩れている。こちらをじっと見つめ、どこか苛立ちを見せていた。
「……おまえも、お楽しみだった訳か」
「はあ? 何言ってんの。ぼくは」
 わざわざ心配して探しに来てやった。そう言おうとしたのだが、ジェットは腕をつき、そのまま壁に押し付けられた。香水の匂いが鼻を掠める。お楽しみだったのは自分ではないか。ハワードはむっとした。
「どいてよ」
 しかし退く気配はない。ジェットの目は、まるで猛禽類の如く獲物を捉えんばかりにぎらついていた。いつものおちゃらけた顔ではない、雄の顔に色気を帯びさせて。
 言い知れぬ不安に、ハワードの瞳は揺らめく。

 ジェットは目の前にいるハワードを逃がさないようにしながら、黙って直視していた。
 これが女だったなら、抱き寄せて甘い言葉の一つや二つ囁けば、喜んで胸に飛び込んで来て、この腕の中に捕まえられる。抱いて懐柔してしまえば、もう逃げられない。
 だが、今目の前にいるのは、自分を嫌っている男。ハワード相手には通じない。
 どうしようもないぐらい、やきもきしている。燻り、焦る、もう、この怒濤の想いを止めておけない。
「ジェッ、ト」
 ハワードが口を開いたのを合図に、理性は切れた。
 艶やかな黒髪を乱す。
 ジェットは噛み付くようにその唇を奪った。一瞬にして体が強張ったのが分かった。無理矢理こじ開けさせた口内に舌を滑り込ませ、貪る。空気を求め、苦しそうにもがいても離さなかった。
 ようやく唇を離した頃には、ハワードはくったりと力無く頬を紅潮させ、潤んだ悩ましい瞳でジェットを見ていた。
 このまま、奪えないだろうか。
 甘い思考を抱いた直後、強烈な平手打ちが頬に直撃した。
「ふ、ふざけるなよ、馬鹿ッ! アホ! 色魔!」
 差しぐむハワードに罵倒されて、酔っているとは言え、自分が何をしたのか事の重大さに血の気が引いていく。
 秘めておかなければならないものだった。これでは、まるで……。
(明白な、告白)
 酔いが覚める思いだった。
 どう言い訳をするべきか、鈍った思考回路をフル回転させるが、もう遅かった。
「人が心配して来てやったのに、なんだよ……」
 ハワードの頬に涙が伝ったのを見た途端、ジェットは何も言えなくなった。逃げるようにその場から駆けて行った姿を、側める。
「……何やってんだよ、オレ」
 後悔に打ち拉がれた。
 これでますます嫌われてしまっただろう。終わった。残ったのは絶望だけ。もう、想うのは止めなければならない。
 なのに、
 それでも、
 どうにか、悪酔いからの悪ふざけだと思って、悪態をつきながら仕方なくでも許して欲しい。
「馬鹿、だなあ」
 どこか他人事のように呟いた顔に、生気は消え失せていた。

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