力を貸してくれ。
今回のWABCの推薦選手としてオファーがきた。祖国の申し出とあれば、たとえ仲間と戦う事になっても仕方がないと思った。逆に仲間と思いっきり力をぶつけ合って戦えると思うと、楽しみなくらいだった。
エーモンドは、久々の帰国に至った。アメリカの雰囲気、ニオイ、全てが懐かしい。
「どうだい。やっぱり祖国はいいもんだろう」
空港でエーモンドを出迎えたのはドランプだった。エーモンドを推薦した張本人である。横には旧友のランディもいた。
「よう」
「アア」
ぎこちない挨拶。ドラーズとデビルキングスが一戦を交えて以来だった。恨みや怒り等の感情は薄れたが、まだ何処か距離を取ってしまう。
見兼ねたドランプはランディの肩を叩いた。
「過ぎた事だ。お互い水に流しなよ。野球を愛してたからこそだ」
そうだろ?
ドランプの言葉を聞き、エーモンドはサングラスをかけ直し口元を笑わせた。
「はぐハシナイゼ」
手を差し出す。
「当たり前だ」
ランディはその手を握った。それを見たドランプは満足そうにしていた。
擦れ違ったまま、お互い理解しないままでは駄目なんだ。ドランプはベイブとの事でそう気付いた。だから、この二人の軋轢も見過ごせなかったのだ。小さな変化。初めて焼いた、小さなお節介。
「さて、早速監督に会ってもらうよ。俺が推薦したとは言え、テストしないと何とも言えないからな」
分かっている。エーモンドは頷いた。
挨拶もそこそこに、早速テストが始まった。それを見届けるドランプとランディ。
「さっきは、余計な事してくれたな」
ランディがぶっきらぼうに言った。あんな事されなくても、私情は挟まなかった。それはエーモンドも同じだったであろう。
「いいじゃないか。案外スッキリしただろ」
そう言われると、少しだけ図星だった。
エーモンドの後ろ姿をぼんやりと見る。確かに、昔仲間だった。今思うとエーモンドは悪くない。仲間思いだったからこそ。一番悪いのは自分か、それとも……。横目でドランプを見た。
「さて、どうだろうね」
面白いと言わんばかりの顔で見上げてくるドランプ。
「アイツなら受かるだろう」
呆れた顔で言った。昔から知っているからこそ、分かるのだ。
「アイツを見ていたのは俺の知らないランディかい? そいつは残念だ」
少しだけ、その仲に嫉妬するような言い口。ランディはドランプを見下ろした。素直じゃないと言うか、意地っ張りで気が強すぎる。
「今はおまえしか見てねえよ」
そう言って頭をガシガシと撫でてやった。すると途端にその強気な顔が幼く歪んだ。
「まだ、見足りない」
「い、いっつも見てるだろ……」
少し顔を近付けただけで、耳が垂れ下がった。恥ずかしかったりする時の癖だ。
そうだ。このギャップにいつの間にか。
ランディは確信した。
「ドランプ。来てくれ」
そこに監督の呼ぶ声が。ドランプはすぐにいつもの顔に戻った。ランディは小さく舌打ちをした。何故なら、監督以外にエーモンドがずっとこちらを見ていたからだ。
(何故ダ)
(おまえには解るまい)
絡んだ視線が語った。
そいつは、旧友と親し気に会話していた。
エーモンドは昨日の事を思い出してモヤモヤしていた。ドランプとランディは同じチームだから会話するなど当たり前の事であるが、少しだけ違うような感じがした。何故、こんな事ばかり気にしてしまうのか分からない。折角晴れて代表選手になれたのに、気分があまり優れなかった。明日から練習が始まるというのに、溜息が出そうだ。
「やあ」
その問題がいきなり目の前に現れた。
「ナ、!?」
驚いて声も出ない。心臓が飛び出すかと思った。
「呼んでも返事ないし、鍵も開いてたから上がらせてもらったよ」
「ワ、ワルイ。考エゴトヲシテタ」
ふうん、とドランプはエーモンドの隣に座る。そして部屋の中を見回す。
「流石一流ホテルだ。悪くないだろ」
アメリカ代表選手が泊まる事になっているホテルなので上等な使用だ。だがエーモンドにそんな事は関係なかった。
「ドコモ同ジダロ」
「そいつは酷いな」
やれやれとドランプは呆れていた。
「デ、ナンノ用ダ」
溜息混じりに視線を向けた。相変わらず強気な顔立ちをしている。思わず魅入ってしまう、その瞳。エーモンドは何故だか分からない衝動に駆られる。確かめて見たかったのか、挑発したかったのか。
「食事にでも行かないか? おごる、」
それ以上、ドランプは喋れなかった。エーモンドに、唇を塞がれた。驚いて動かないのをいい事に、エーモンドは更に深く口付けた。絡め合う舌が痺れてしまいそうだ。
ゆっくりと離れた頃には、顔が真っ赤になっていた。
「こいつは高くつくぜ?」
ドランプは笑った。
「俺を好きな奴が誰か知って」
「言ウナ!」
エーモンドは思わず怒鳴った。知っている、知っているからこそ聞きたくない。この感情が何かハッキリしてしまった。
「俺ハ、オマエガ好キダ」
ドランプは黙った。エーモンドは返事を待った。
「……なら、惚れさせてみろよ?」
そう言ってドランプは部屋を出て行ってしまった。
こんな大事な時に、何て事だ。
エーモンドは頭を抱えた。
ドランプはランディの元に来ていた。何をするでもなくベッドでごろ寝していた。
「明日から練習だろ? 早く休んだ方がいい」
自分の部屋に帰れと促すが、ドランプは全く聞く耳持たず。
「ったく」
ランディは諦めてベッドに入って寝ようとした。
「エーモンドがさ、俺の事好き何だって」
眠気が一気に吹っ飛んだ。
「は? ドランプ、何言って」
まさか、そんな筈はないと思っていた。だがあの視線は確かにドランプを見ていた。
「キス、されたよ」
ランディの怒りが爆発した。いきなりドランプを組み敷いた。エーモンドのキスを掻き消すような荒々しいキス。
「っ、怒った?」
「ああ。バッチリな」
もう、抱かなければ気が済まない。ランディはドランプを求めた。
「でも、忘れちゃ……困るぜ……」
俺が好きなのは、エーモンドでもおまえでもない。本当に好きなのは。
……ベイブ……。
「ドランプ」
愛しく名前を呼ぶ声も、段々心地良くなる。
「ランディ……」
おまえは、代わりでしかないのだから。
ドランプは悲し気にランディに抱きついた。それに応えるように、快感に溺れて行った。
頭がガンガンする。アルコールを入れた訳じゃないのに、スッキリしない。エーモンドは嫌々ベッドから起きた。どうせ午後から練習に行かなければならなかったので、遅く起きても同じ事だった。
(ちっ)
ドランプにキスした事が悪夢のように繰り返し思い出される。夢なら覚めて欲しい。
「案外せっかちなんだな」
練習が終わった後、エーモンドはドランプを呼び出した。誰もいないロッカールームで、抱きしめる。何て感情が溢れるのだろう。酷く、熱い。
「オマエガ好キナノガ」
「エーモンド。勘違いされちゃこまるぜ」
「ナニ?」
「確かにランディは俺が好きだ。でも、俺が好きなのはランディじゃない」
エーモンドは驚いてドランプの顔を見た。てっきりランディかと思っていた。
違うよ。
おまえも知っているだろう?
(アノ、主審……カ)
エーモンドは気が抜けた。ドランプとベイブは親友と聞いていた。だが、ドランプの中でそれ以上の感情が芽生えていたとは。
「ソレデオマエハ、折角和解シタ関係ヲ壊シタクナクテ、イジイジシテイルノカ」
図星だったようだ。エーモンドは思いきっきり殴られた。サングラスが吹っ飛んで落ちる。その時ドランプは初めてエーモンドの目を見た。酷く、哀れんでいる。そういう感情が一番嫌いだった。
「おまえに何が分かる!」
その怒りは、瞳の色をより濃い赤にしていた。
「らんでぃニ甘エテイルダケダ」
気高いプライドが、一気に崩れ落ちた。
「……違う。違う! 俺は」
否定出来ない。言い返せない。もう、どうすればいいのか分からなくて僅かに体を震えさせていた。その体をもう一度抱きしめた。
「オマエガ、ソノママデ良イノナラ、構ワナイガナ」
ドランプが返事をする事はなかった。
そして、うやむやなうちに大会は始まり、一回戦を突破した矢先の事だった。ブルペンで練習前の肩慣らしをしていたドランプの元に、マークから緊急連絡があった。その内容に、気が動転して倒れかけた。近くにいたランディに支えられた。
「ベイブ……ベイブが……」
真っ青になりながら、ドランプはランディにしがみついた。
マークの話によれば、彼の勤務する病院にベイブが運び込まれたと言うのだ。ベイブもこの大会の主審に選ばれていて、今日の試合中運悪くボールがベイブの頭を直撃したのだ。
「意識が、戻らないって……」
「っ、行くぞドランプ!」
ランディはドランプを抱えて病院に急いだ。
病院にはベイブの母親がいた。椅子に座り、元気がない。
「ベイブッ!!」
ドランプはベッドに横たわるベイブに呼び掛ける。だが、目を開ける事も返事をする事もない。
ドランプはベイブの母親の方を振り返った。
「おばさん。ベイブは……」
母親は首を横に振る。
「起きろよベイブ!」
涙声になりながら、必死で呼び掛ける。ランディはいたたまれなくなり、病室を出た。するとそこにマークがやって来た。
「ランディ。来たのか。……ドランプは」
「中だ」
「……もしかしたら、ベイブは一生目を覚まさないかも知れない」
「植物人間って事か」
マークは辛そうに頷いた。それからランディと一緒に病室に入ると、ドランプが真っ先にこちらを見た。
「マーク、ベイブはいつ目を覚ますんだ……?」
マークは何も言えなかった。ただ首を横に振る。いくらマークが腕の立つ医者でも、どうしようもない事もある。
「おまえはアメリカ一のドクターだろ!? 何でだよ。助けろよ、なあ!」
マークを責め立てるドランプ。マークはただ、すまないと頭を下げる。それが気に沿わなくて、ドランプは手を上げようとした。が、それをランディが制した。
「止めろよドランプ。マークは悪くないだろ」
ドランプも分かっていた。だが、誰かに当たらなければ、この涙を止められなかった。塞き止めていた涙が一気に流れ落ちた。
「ベイブぅ、うっ」
もう泣くしかない。ドランプは人目を憚らず泣いた。
今日はもう練習どころではないと思っていたが、ドランプは戻って練習を続けた。何事もなかったかのように平気そうな顔をしていた。
「相当無理シテルナ」
エーモンドも事情を聞き、複雑な気持ちでドランプを見ていた。隣にいたランディも頷く。
「あいつは、弱さを甘えだと思って、強がっているんだ」
本当は友達思いの優しい子である。だが、その優しさをも隠してる。
「だが、俺じゃあ……」
その後の言葉をランディは飲み込んだ。
慰めてやれても、本当に癒してやれない。
ドランプの中にはずっとベイブがいる。それを承知でランディはドランプを抱いていた。虚しいと分かっていても、それでもドランプが好きだった。
「……甘エナンテ、端カラ無カッタダロウ」
エーモンドは呟いた。
「クダラナイ、ぷらいどダケ」
自分から、壁を作って距離を置いて偽っている。その壁をぶち壊すのはただ一人しかいない。
ドランプは悲しみを打ち消すように遮二無二ボールを投げていた。
(約束したじゃないか……!)
世界一のチーム、審判になると。熱い視線を絡ませて、誓い合った。
(俺は、おまえの為に……おまえの分まで!)
たとえ、この愛しい気持ちに応えてくれなくても。分かっていた。ベイブは友達であり親友。それ以上の関係は望めないと。だが、ズルズルと未練を残して辛い時に、ランディはずっと傍に居てくれた。それはとても心強くて嬉しかった。いつの間にか、寂しさを埋めるようにランディに縋った。だが、その時からだろうか。誰かを愛する事を止めた。ベイブ以外にはいらなかった。もう、辛い思いをしたくない。
(畜生ッ)
これが好き勝手やってきたツケなのか。代償はあまりにも大きい。
投げ損ねたボールが虚しく転がった。