バレンタインデーが必ず幸福とは限らない。
ショッピングに来ていたドランプはバレンタイン特集のコーナーが視界に入った。そういえばもうすぐだったなと立ち止まり、ぼんやり眺めた。ふとベイブを思い出す。そして賑わっている中に自然と自分も紛れた。綺麗に包装された箱に多かれ少なかれチョコレートが詰まっている。
(ベイブ、喜ぶかな?)
あの食欲旺盛な体には物足りないかも知れないが、小振りなのを一箱購入した。自然と足取りが軽くなる。早く、渡して喜んでもらいたい。別に、変な意味じゃなく友達としての感謝を。野球を教えてくれた、大好きな友達。
だが……。
浮かれていたのは僅かな間だった。
今日もベイブと野球をする約束をしていた。他愛ない会話をしながらボールを投げる。ベイブの構えるミットに気持ち良いくらいバシバシとボールが吸い込まれる。
何度かボールを投げている内に、変化が起こったのはその時だった。くるりとボールが一回転したのである。
「あれ? 今何か……」
「魔球だよ、ドランプ! 凄いや、やっぱり君は天才だよ!」
ドランプは元々あった野球の才能に実力がどんどん開花していく。ベイブはこれといって抜きん出る事はなかった。
二人には天賦の差があったのだ。
魔球を編み出してしまったドランプは焦りと苛立ちを隠せなかった。ベイブではこのボールを取れない。
「誰か……」
一人壁に向かってボールを投げる。キャッチャーのミットを目掛けるように、その思うキャッチャーは顔が定かではない。ベイブでありたいのにベイブではないのだ。
「このボールを受け取ってくれぇっ!!」
何故だベイブ。
オレの野球の才能を見出だしたのはお前だろう。このボールはお前に受け取って欲しいんだ。
畜生っ。
壁にぶつかったボールは転がりながら戻ってきた。虚しく佇む。
「……あ!」
今日が何の日かすっかり忘れていた。バレンタインデー。バッグの中にベイブに買ったチョコレートが入れっぱなしである。
(悩んでても仕方ない、か)
取り敢えずベイブに渡しに行こうと思いバッグをを手に取ろうとした時、壁の向こう側に人影があった。それは見紛えるはずもない姿。
「ベ、ベイブ!」
いつからそこに!?
ドランプは驚いたと同時に硬直した。背筋が凍り付く。
まさか……!
「ドランプ……」
ベイブは悲しそうな顔をして歩み寄ると、突然別れを告げて去った。
僕じゃ君のボールを受け取れない。
世界一のチームを作って。
君になら出来る……!
「ベイブ……」
言葉が胸に突き刺さる。
こんな筈ではなかった。
バッテリーを組むのはベイブが良かっただけなのに。それが叶わぬならせめて……。
佇んだまま、涙を流した。ベイブの野球人生を終わらせたのは自分だ。自分と出会わなければベイブは野球を続けていたはずだ。
ドランプはチョコレートを取り出して見つめた。結局渡せなかった。ベイブが嬉しそうに食べる姿を想像していた。何て、惨め。思いっきり遠くに投げてその場から逃げるように離れた。何処へ向かうでもなく走った。零れた涙が風にさらわれる。やがて悲しむように空から雪が降ってきた。
(せめて、それでも友達でいて)
優しい記憶と共に。
降り出した雪に、チョコレートは埋もれていった。