呪縛と敬語と

 顔、声、その仕草。似ても似つかないはずなのに、ぼんやりと面影を追う、重なり合う姿。何度も言い聞かせてきたのに、自制が利かない。
 戦士は、頭を抱えた。苦しい、辛い、寂しい、そのすべてに免罪を。
「どうしたの? どっか痛いの?」
 黙ったまま動かない戦士を、心配しオロオロと見上げる黒魔。ゆらゆらと瞳がこちらを見つめ、戦士はもう正常に黒魔を見れなくなっていた。痛いくらい抱きしめ、何度も名前を呼んだ。
「……っ、白魔、白魔」
 突然知らない名前で呼ばれ、黒魔は困惑した。自分の名前を呼んでくれない。その姿が義絶した父親とだぶる。そんなはずはないと思いながら、また殴られたり痛い思いをするのではないかと怖くなった。
「戦、士……」
 急に戦士が父親と同じだったのではないかと思え、恐怖から離れようともがくが、大人の膂力に子供が敵うはずもなく。
「白魔ぁ」
 止めを刺すかのような縋る声。黒魔は固まり、ただ戦士を見ていた。

 赦して。
 ──お兄ちゃん。
 戦士には歳の離れた弟が一人いた。生れつき病弱で満足に運動が出来なかった。その為、両親はいつも弟に付きっ切りだった。何かあっても弟優先。しまいには「お兄ちゃんでしょう」と一喝。妬ましく、疎外感ばかりが募る。戦士は、そんな弟の事が少し嫌いだった。それでも弟は何も知らずに慕ってくる。
 そんなある日、日頃の鬱憤を解消しようと、弟に少しばかり悪戯を決行した。弟は草花が好きで、よくこっそり出掛けようとして見付かり、母にとめられていた。
 弟が前々から見たいと言っていた花が裏山の麓に生えていると嘘を教え、脱走の手助けをしてやった。暫くしたら笑いながら迎えに行ってやるかと軽視していた。
 ちょっとした悪戯心でしかなかったはずだった。

 ──オレガ オトウトヲ コロシタ……。

 雨の日は鬱屈とする。ふとした拍子に罪の記憶が蘇るからだ。
 戦士は宿屋の窓から滴る雨をぼんやりと眺めていた。側のベッドには黒魔が昼寝をしている。いつ起きるか、静かにして起こさないようじっとしていた。モンクと赤魔は買い出しに出掛けていて、戦士は黒魔のお守りに残ったのだった。
「……っ」
 こんな日は、思い出してしまう。罪はいつまで経っても消えやしない。怨みは深く縛り付ける。
「ふあ……」
 どうやら黒魔が起きてしまったらしい。戦士は明るく努めようとした。
「あれぇ、モンクと赤魔は?」
「買い物だ」
「ぼくも行きたかったなあ」
 昼寝をしなければ良かったなと少し後悔しながら、ベッドから降りる。喉が渇いたと、テーブルに置いてあったコップと水差しを手に取るが、手つきが危なっかしい。が、零してしまう心配はなかった。
 丁度、同じぐらいの年頃だった。あの日へ、記憶が混濁していく。暗く落ちて行ってしまう。
「ねえ。ぼく達も買い物に行こう?」
 ──お兄ちゃんも、一緒に行こうよ。
 違う。
 黒魔は、アイツでは、ない……!
 いつもと様子が違う気がした黒魔は、不思議に思い、戦士の側に近づく。視線がぶつかる。影を落とした、淀んだ目。
「どうしたの、戦っ」
 視界は、遮られた。
 戦士が抱きしめていたのは、自分ではなかった。

 モンクが、たまには一人になって考える時間をやろうと言うので、雨の降る中随分とのんびり買い物をしていた。赤魔は最初、なんの事か分からなかったが、途中でようやく気付いた。戦士は黒魔の事で悩んでいる。黒魔の義父になりたいのだと知った時には、凄く驚いた覚えもある。それから黒魔の事情も知り、酷い目に合ってきたんだなと同情した。
 買い物を終えて宿屋に戻るはずが、時間潰しと言わんばかりにお茶を一杯、茶屋で飲んでいる。雨で冷えた体も温まった。
「でもー、そんなに悩む必要がある訳?」
 赤魔は一緒に頼んだ茶菓子の団子を頬張りながらモンクに言った。黒魔にさっさと告げてしまえば済む話ではないのか。そう簡単に考えていたので、赤魔には悩む意味が分からない。
「それは、実父の事もありますし、他にも……」
「他にも?」
「戦士にも、色々あるのでしょう」
 多くは語らなかった。モンク自身も戦士と一緒に旅をしてきたが、詳しい素性は知らなかった。今現在仲間としていられれば、特に問題はなかった為、お互いに詮索しなかったのだ。
 胸の内など誰にも分からない。ただ、過去に何かあったのだろうと、根拠はないが感じていた。
「ふーん。意外と臆病とか、無駄なギャップ」
 ニシシ、と赤魔が笑う。それにモンクは微苦笑する。
「臆病なだけなら、背中を押すまでなんですけどね」
 外を眺めると、まだ雨は上がりそうになかった。

 沈黙したまま、戦士のなすがままになっていた黒魔は、異変に気付いた。
 震えている。
 寒さからではない。どうしてだろう。痛いの? 悲しいの? 辛い、の?
 あの時の自分と同じように感じていた。
 どうしよう。怖い、でも。
「戦士……ぼくは、黒魔だよ……?」
 黒魔がまるで言い聞かせるように話し掛けると、戦士は弾かれたように目を見開いた。体が少し離れ、ようやく互いに顔を合わせる。じっと絡む視線。
「ぼくは、ここにいるよ」
「……黒、魔」
 戦士は動揺していた。
 今、目の前にいるのは白魔ではなく黒魔。ゆっくりと覚醒していく。
「ね?」
 黒魔がぎこちなく笑ったの見て、ようやく自分の醜態を悟った。もう、何年前の話だと言うのに、いつまでも捕われている。そんな胡乱な思いを黒魔にまで向けてしまった。
「……っすまない」
 戦士は力無く頭を下げた。
 黒魔の言う通り、黒魔は弟ではない。分かっていた筈なのに、情けなさ過ぎて反吐が出そうだ。
 白魔。
 俺のたった一人の弟。
 本当は好きだった、大好きだった。それなのに、捻くれた心はあべこべで。
 幼い思考では何もかも遅すぎた。
 そして願うは、
 許しを。
 俺は、許されたい。
 しかし、死人は何も語らない。生前ならきっと……その思いを都合のいいように解釈し、自身に言い聞かせる。後悔や苦しみから逃れたいが為の愚考かも知れない。それでも救いと成すならば、楔を断ち切れよう。
 許して、くれるか……?
 何度も揺らめく心に問い掛ける。
 そして、戦士はもう一度、黒魔を抱きしめた。
 温かい、黒魔の体温が伝わる。今大切にしたいのはこの温もりなのだから。
 記憶の中の白魔は、笑っていた。
「なあ、黒魔」
 すべてが終わったら、聞いて欲しい話があるんだ。
 いつの間にか雨は上がり、空はどんよりと曇ったままだったが、戦士の気持ちはすっと晴れ渡っていった。

 モンクと赤魔は荷物を抱えて宿屋へ戻り、借りていた部屋のドアを開けた。
「ん?」
 モンクが中に入らず立ち止まるので、赤魔が急かす。
「何、重いんだから早」
 するとモンクは振り返り、しーっと、唇に人差し指を当てた。
「あ」
 見ると、戦士と黒魔が寄り添って寝ていた。起こさないように静かに荷物を下ろす。
「全く、戦士まで一緒になって寝ちゃって。呑気すぎ」
 赤魔は呆れながら、自分も疲れたとベッドに横になった。
 モンクは戦士と黒魔に毛布をかけてやり、その寝顔を覗き込む。どうしてか、至極穏やかであった。ずっと垣間見た苦悩を感じない。こんな感覚は今までなかった。
 ああ、戦士はきっと吹っ切れたのだと、モンクは頷いた。
「もう、大丈夫ですかね」
 呟き、モンクは微笑した。
 いつか手を繋ぎ、睦まじく歩く姿を思い描く。
 黒魔がその差し出された手を掴むのか。確信はしないが、遠くない未来へ約束出来るだろうと、瞼を伏せた。

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